2012年12月18日火曜日

よろこべ

よろこべ
2012年12月18日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

ルカ
2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」

第二コリント
8:9 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。

9:15 ことばに表わせないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。

いわゆるクリスマスのメッセージとは、「恐れるな、大きなよろこびを。あなたのために救い主がお生まれになった。」私のためか・・・・と思う人がいるかもしれないけど、そうなんです。考えられない愛の現れなのではないでしょうか。

2012年12月11日火曜日

必要な交わり

必要な交わり
2012年12月11日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

第一ヨハネ
1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
1:2 ――このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。――
1:3 私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。
1:4 私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。

1:7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。

今、読んできてくださった箇所は、イエス様の弟子であるヨハネの書いたものです。何歳だったか、解からない。ある人々は、百歳くらいだったのではないかと言うのです。

2012年12月9日日曜日

クリスマスの大いなる奇蹟(+二人の祝福式)

クリスマスの大いなる奇蹟(+二人の祝福式)
2012年12月9日、吉祥寺福音集会
ゴッドホルド・ベック

ルカ
2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
2:13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。
2:14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

クリスマスにおける出来事の非常に良いたとえは、あるイタリア人、フランチェスコ・フォン・アッシジというイタリア人です。彼は、もちろん有名人であり、尊敬された人格者であり、プラス・アルファ、金持ちでした。

2012年12月4日火曜日

静まれ

静まれ
2012年12月4日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

イザヤ
40:25 「それなのに、わたしを、だれになぞらえ、だれと比べようとするのか。」と聖なる方は仰せられる。
40:26 目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方は、その万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つももれるものはない。
40:27 ヤコブよ。なぜ言うのか。イスラエルよ。なぜ言い張るのか。「私の道は主に隠れ、私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている。」と。
40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。
40:29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
40:30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
40:31 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

2012年11月20日火曜日

主の教育と導き

主の教育と導き
2012年11月20日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

マルコ
6:45 それからすぐに、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませ、先に向こう岸のベツサイダに行かせ、ご自分は、その間に群衆を解散させておられた。
6:46 それから、群衆に別れ、祈るために、そこを去って山のほうに向かわれた。
6:47 夕方になったころ、舟は湖の真中に出ており、イエスだけが陸地におられた。
6:48 イエスは、弟子たちが、向かい風のために漕ぎあぐねているのをご覧になり、夜中の三時ごろ、湖の上を歩いて、彼らに近づいて行かれたが、そのままそばを通り過ぎようとのおつもりであった。
6:49 しかし、弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、叫び声をあげた。
6:50 というのは、みなイエスを見ておびえてしまったからである。しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。
6:51 そして舟に乗り込まれると、風がやんだ。彼らの心中の驚きは非常なものであった。
6:52 というのは、彼らはまだパンのことから悟るところがなく、その心は堅く閉じていたからである。

ヘブル書の十二章二節に、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」もっとも大切な呼びかけなのではないでしょうか。なぜならば、イエス様から目を離すと、誰でも落ち込みます。どうしたらいいか、解からなくなってしまうからです。

2012年11月13日火曜日

従順の結果

従順の結果
2012年11月13日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

使徒行伝
5:32 私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。

ローマ
5:19 すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。

ピリピ
2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。

第二テサロニケ
1:8 そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。

今日の会、いつものように聖書の勉強会というよりも、主イエス様を紹介する会です。

イエス様とは、いったいどういうお方なのでしょうか。比類なきお方です。嘘を知らないお方です。何があっても百パーセント、信頼できるお方です。また、イエス様とは、人間一人ひとりを心から理解してるよりも、一人ひとりを愛していてくださるお方です。確かに、人間はみな悩んでいて、重荷を持っているものです。失望、また、絶望をしている者であり、どうしたらいいか解からないのが人間です。人間は、孤独であり、さまよう羊のようであると、聖書は言っています。

2012年11月12日月曜日

Consequence of the Obedience

Consequence of the Obedience
November 13th, 2012, Kichijouji Bible Meeting
Gotthold Beck

Acts
5:32 And we are his witnesses of these things, and so is also the Holy Ghost, whom God has given to them that obey him.

Romans
5:19 For just as through one man’s disobedience many people were made sinners, so also through one man’s obedience many people will be made righteous.

Philippians
2:8 And being found in fashion as a man, he humbled himself, and became obedient to death, even the death of the cross.

2 Thessalonians
1:8 In flaming fire taking vengeance on them that know not God, and that obey not the gospel of our Lord Jesus Christ:

As always, we gathered here today to let as many people as possible know about Jesus, rather than to study the Bible. What kind of man is Jesus? He is incomparable to anyone else. There is no pretense in Jesus. He can be trusted in any circumstances. Jesus, not only understands us, He loves each one of us from the bottom of His heart. Actually, all humans are in agony and are carrying their burdens. They have lost hope; they are all disappointed and desperate and don’t know what to do. This is how humans are today. People are all alone, like lost sheep according to the Bible.

2012年11月6日火曜日

もっとも大切なもの

もっとも大切なもの
2012年11月6日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

マルコ
10:45 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」

第二コリント
5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。

私と家内にとって、もっとも大切な聖書の箇所は、結婚指輪にも刻まれていることばです。

コロサイ(口語訳)
1:10 主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ(よう)。

信じる者にとっていちばん、大切なのは、それなのではないでしょうか。パウロは、コリントにいる兄弟姉妹に、次のように書いたのです。

2012年10月30日火曜日

真に主を喜ばせよう

真に主を喜ばせよう
2012年10月30日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

第二コリント
5:9 そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。

コロサイ
1:10 また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。

今、最後にお読みになりました箇所は、私たち、家内と一緒に、一番、大切なことばです。結婚指輪の中にも刻まれていることばです。「主の御心にかなった生活をして、真に主を喜ばせよう」ということばです。初代教会の人々は、今、読まれたようにそういう気持ちでいっぱいでした。

第二コリント
5:9 そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。

2012年10月23日火曜日

勝利か敗北か

勝利か敗北か
2012年10月23日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

士師記
2:1 さて、主の使いがギルガルからボキムに上って来て言った。「わたしはあなたがたをエジプトから上らせて、あなたがたの先祖に誓った地に連れて来て言った。『わたしはあなたがたとの契約を決して破らない。
2:2 あなたがたはこの地の住民と契約を結んではならない。彼らの祭壇を取りこわさなければならない。』ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。なぜこのようなことをしたのか。
2:3 それゆえわたしは言う。『わたしはあなたがたの前から彼らを追い出さない。彼らはあなたがたの敵となり、彼らの神々はあなたがたにとってわなとなる。』」

2012年10月16日火曜日

御心にかなうダビデ

御心にかなうダビデ
2012年10月16日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

第二サムエル
12:13 ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。
12:14 しかし、あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる子は必ず死ぬ。」
12:15 こうしてナタンは自分の家へ戻った。主は、ウリヤの妻がダビデに産んだ子を打たれたので、その子は病気になった。
12:16 ダビデはその子のために神に願い求め、断食をして、引きこもり、一晩中、地に伏していた。
12:17 彼の家の長老たちは彼のそばに立って、彼を地から起こそうとしたが、ダビデは起きようともせず、彼らといっしょに食事を取ろうともしなかった。
12:18 七日目に子どもは死んだが、ダビデの家来たちは、その子が死んだことをダビデに告げるのを恐れた。「王はあの子が生きている時、われわれが話しても、言うことを聞かなかった。どうしてあの子が死んだことを王に言えようか。王は何か悪い事をされるかもしれない。」と彼らが思ったからである。

2012年10月9日火曜日

何でもできるイエス様

何でもできるイエス様
2012年10月9日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

ヘブル
7:25 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。

今の箇所は、皆さんよく知っておられる箇所だと思いますが、私たちは誇りを持って、「我々の主はできる。完全に救うことができる。守ることができるし、導くことができるし、また、用いられるお方です。」詩篇の作者は次のように言ったのです。

詩篇
59:10 私の恵みの神は、私を迎えに来てくださる。

将来、私たちは何を経験するようになるのかは、もちろん、今はわからない。喜びを与えるものなのか、悲しむ者になるのか、全くわからないけど、ひとつのことだけ、我々は知っている。すなわち、主ご自身がまず、私たちを迎えに来てくださるということです。

2012年10月2日火曜日

十字架こそ唯一の救い

十字架こそ唯一の救い
2012年10月2日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

ピリピ
2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。

ガラテヤ
6:14 しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

第一コリント
1:18 十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

コロサイ
1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。

第一ペテロ
2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

2012年9月25日火曜日

備えあれば憂いなし

備えあれば憂いなし
2012年9月25日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

ローマ
8:1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

ピリピ
1:20 それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。
1:21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。

今、読んできてくださった箇所とは、パウロの個人的な告白でもあり、彼の喜びの源でした。すなわち、いつになるかわからないけど、近いうちに殺されるかもしれない。ピリピ人への手紙は、刑務所で中で書かれた手紙です。ですから、出られるかどうか、殺されるかどうか、全くわからなかった。けど、彼は何の心配も、恐れもなかった。行く先は、決まっている。

2012年9月19日水曜日

God as the Merciful Potter – Part 2 of 2

God as the Merciful Potter – Part 2 of 2
September 18, 2012, Kichijouji Bible Study Meeting
Gotthold Beck

Jeremiah
18:1 The word which came to Jeremiah from the Lord, saying,
18:2 Arise, and go down to the potter's house, and there I will cause you to hear my words.
18:3 Then I went down to the potter's house, and, look, he wrought a work on the wheels.
18:4 And the vessel that he made of clay was marred in the hand of the potter. so he made it again another vessel, as seemed good to the potter to make it.
18:5 Then the word of the Lord came to me, saying,
18:6 Oh house of Israel, cannot I do with you as this potter? says the Lord. Look, as the clay is in the potter's hand, so are you in mine hand, Oh house of Israel.

Jeremiah
29:11 For I know the thoughts that I think toward you, says the Lord, thoughts of peace, and not of evil, to give you an expected end.

Today, I’d like us to think about the same subject we discussed last week, 'God as the Merciful Potter'. This last verse was a wonderful message from the Lord, which was sent through Jeremiah.

Jeremiah
29:11 For I know the thoughts that I think toward you.

2012年9月18日火曜日

恵みに富みたもう陶器師なる神(二)

恵みに富みたもう陶器師なる神(二)
2012年9月18日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

エレミヤ
18:1 主からエレミヤにあったみことばは、こうである。
18:2 「立って、陶器師の家に下れ。そこで、あなたに、わたしのことばを聞かせよう。」
18:3 私が陶器師の家に下って行くと、ちょうど、彼はろくろで仕事をしているところだった。
18:4 陶器師は、粘土で制作中の器を自分の手でこわし、再びそれを陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替えた。
18:5 それから、私に次のような主のことばがあった。
18:6 「イスラエルの家よ。この陶器師のように、わたしがあなたがたにすることができないだろうか。――主の御告げ。――見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある。

エレミヤ
29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

今日、もう一回、前に始まったテーマ、すなわち、『恵みに富みたもう陶器師なる神』について、一緒に考えたいと思います。

最後に読みました箇所とは、エレミヤの宣べ伝えたすばらしいメッセージでしたね。

エレミヤ
29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。

2012年9月12日水曜日

God as the Merciful Potter – Part 1 of 2

God as the Merciful Potter – Part 1 of 2
September 11, 2012, Kichijouji Bible Study Meeting
Gotthold Beck

Jeremiah
18:1 The word which came to Jeremiah from the Lord, saying,
18:2 Arise, and go down to the potter's house, and there I will cause you to hear my words.
18:3 Then I went down to the potter's house, and, look, he wrought a work on the wheels.
18:4 And the vessel that he made of clay was marred in the hand of the potter. so he made it again another vessel, as seemed good to the potter to make it.
18:5 Then the word of the Lord came to me, saying,
18:6 Oh house of Israel, cannot I do with you as this potter? says the Lord. Look, as the clay is in the potter's hand, so are you in mine hand, Oh house of Israel.

29:11 For I know the thoughts that I think toward you, says the Lord, thoughts of peace, and not of evil, to give you an expected end.

2012年9月11日火曜日

恵みに富みたもう陶器師なる神(一)

恵みに富みたもう陶器師なる神(一)
2012年9月11日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

エレミヤ
18:1 主からエレミヤにあったみことばは、こうである。
18:2 「立って、陶器師の家に下れ。そこで、あなたに、わたしのことばを聞かせよう。」
18:3 私が陶器師の家に下って行くと、ちょうど、彼はろくろで仕事をしているところだった。
18:4 陶器師は、粘土で制作中の器を自分の手でこわし、再びそれを陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替えた。
18:5 それから、私に次のような主のことばがあった。
18:6 「イスラエルの家よ。この陶器師のように、わたしがあなたがたにすることができないだろうか。――主の御告げ。――見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある。」

29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

2012年9月5日水曜日

Just Fear the Lord and Everything will be Fine.


Just Fear the Lord and Everything will be Fine.
September 4, 2012, Kichijouji Bible Study Meeting
Gotthold Beck

Psalms
33:8 Let all the earth fear the Lord. let all the inhabitants of the world stand in awe of him.

33:18 Look, the eye of the Lord is upon them that fear him, upon them that hope in his mercy;

103:13 Like as a father pities his children, so the Lord pities them that fear him.

128:1 Blessed is every one that fears the Lord. that walks in his ways.

128:4 Look, that thus shall the man be blessed that fears the Lord.

We can see from these verses in the Psalms what the whole Bible is telling us, summed up in a single phrase: Those who fear the Lord will be blessed. If the Lord cannot bless you, then there is no hope for you. Thus, there is nothing more important than to fear the Lord.

2012年9月4日火曜日

主を恐れればオーケー

主を恐れればオーケー
2012年9月4日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

詩篇
33:8 全地よ。主を恐れよ。世界に住む者よ。みな、主の前におののけ。

33:18 見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。

103:13 父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。

128:1 幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。

128:4 見よ。主を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける。

今の詩篇の箇所を読んでもわかりますけども、聖書全体の言っていることとは、主を恐れる人々とは、祝福されます。主が祝福することができなければ、もうおしまいです。したがって、もっとも大切なのは、主を恐れることです。

2012年8月29日水曜日

Let's Start Running, We Are Embraced by the Lord.

Let's Start Running, We Are Embraced by the Lord.
August 28, 2012, Kichijouji Bible Study Meeting
Gotthold Beck

Acts
16:6 Now when they had gone throughout Phrygia and the region of Galatia, and were forbidden of the Holy Ghost to preach the word in Asia,
16:7 After they were come to Mysia, they assayed to go into Bithynia. but the Spirit suffered them not.
16:8 And they passing by Mysia came down to Troas.
16:9 And a vision appeared to Paul in the night. There stood a man of Macedonia, and prayed him, saying. Come over into Macedonia, and help us.
16:10 And after he had seen the vision, immediately we endeavoured to go into Macedonia, assuredly gathering that the Lord had called us for to preach the gospel to them.
16:11 Therefore loosing from Troas, we came with a straight course to Samothracia, and the next day to Neapolis;
16:12 And from thence to Philippi, which is the chief city of that part of Macedonia, and a colony. and we were in that city abiding certain days.

2012年8月28日火曜日

捕らえられた者として走りましょう

捕らえられた者として走りましょう
2012年8月28日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

使徒行伝
16:6 それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。
16:7 こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。
16:8 それでムシヤを通って、トロアスに下った。
16:9 ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。
16:10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。
16:11 そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた。
16:12 それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。

2012年7月3日火曜日

十字架につけられた救い主イエス様

十字架につけられた救い主イエス様
2012年7月3日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

第1コリント
1:23 しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、
1:24 しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。

第1コリント
2:2 なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。

ガラテヤ
6:14 しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

今、読んできてくださった内容は、十字架につけられた救い主であるイエス様です。

2012年6月26日火曜日

平安を得るための苦しみ

平安を得るための苦しみ
2012年6月26日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

出エジプト記
15:22 モーセはイスラエルを葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いた。彼らには水が見つからなかった。
15:23 彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。
15:24 民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか。」と言った。
15:25 モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。その所で主は彼に、おきてと定めを授け、その所で彼を試みられた。
15:26 そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行ない、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」
15:27 こうして彼らはエリムに着いた。そこには、十二の水の泉と七十本のなつめやしの木があった。そこで、彼らはその水のほとりに宿営した。

2012年6月19日火曜日

何でもできる主イエス様

何でもできる主イエス様
2012年6月19日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

ヘブル
4:14 さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

7:25 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。

2012年6月6日水曜日

It will Happen to Your Family.

It will Happen to Your Family.
June 5th, 2012, Kichijouji Bible Study Meeting
Brother Gotthold Beck

Mark
6:1 And he went out from thence, and came into his own country; and his disciples follow him.
6:2 And when the sabbath day was come, he began to teach in the synagogue: and many hearing him were astonished, saying, From whence hath this man these things? and what wisdom is this which is given unto him, that even such mighty works are wrought by his hands?
6:3 Is not this the carpenter, the son of Mary, the brother of James, and Joses, and of Juda, and Simon? and are not his sisters here with us? And they were offended at him.
6:4 But Jesus said unto them, A prophet is not without honour, but in his own country, and among his own kin, and in his own house.
6:5 And he could there do no mighty work, save that he laid his hands upon a few sick folk, and healed them.
6:6 And he marvelled because of their unbelief. And he went round about the villages, teaching.

2012年6月5日火曜日

あなたの家族も・・・

あなたの家族も・・・
2012年6月5日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

マルコ
6:1 イエスはそこを去って、郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。
6:2 安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行なわれるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。
6:3 この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。
6:4 イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」
6:5 それで、そこでは何一つ力あるわざを行なうことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。
6:6 イエスは彼らの不信仰に驚かれた。それからイエスは、近くの村々を教えて回られた。

2012年5月22日火曜日

私たちは聞く耳を持っている

私たちは聞く耳を持っている
2012年5月22日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

使徒行伝
10:33 それで、私はすぐあなたのところへ人を送ったのですが、よくおいでくださいました。いま私たちは、主があなたにお命じになったすべてのことを伺おうとして、みな神の御前に出ております。

16:25 真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。
16:26 ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。
16:27 目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。
16:28 そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫んだ。
16:29 看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。
16:30 そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。
16:31 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。
16:32 そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。

2012年5月21日月曜日

We Have Ears to Hear.

We Have Ears to Hear.
May 22nd, 2012, Kichijouji Bible Study Meeting
Gotthold Beck

Acts
10:33 Immediately therefore I sent to thee; and thou hast well done that thou art come. Now therefore are we all here present before God, to hear all things that are commanded thee of God. 

16:25 And at midnight Paul and Silas prayed, and sang praises unto God: and the prisoners heard them. 
16:26 And suddenly there was a great earthquake, so that the foundations of the prison were shaken: and immediately all the doors were opened, and every one's bands were loosed. 
16:27 And the keeper of the prison awaking out of his sleep, and seeing the prison doors open, he drew out his sword, and would have killed himself, supposing that the prisoners had been fled. 
16:28 But Paul cried with a loud voice, saying, Do thyself no harm: for we are all here. 
16:29 Then he called for a light, and sprang in, and came trembling, and fell down before Paul and Silas, 
16:30 And brought them out, and said, Sirs, what must I do to be saved? 
16:31 And they said, Believe on the Lord Jesus Christ, and thou shalt be saved, and thy house. 
16:32 And they spake unto him the word of the Lord, and to all that were in his house. 

2012年5月17日木曜日

生きる望みを持つようにしてくださった

生きる望みを持つようにしてくださった(仮題)
2012年5月17日、中町家庭集会
ゴットホルド・ベック

第一ペテロ
1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。

今、読んできてくださった箇所は、初代教会の中の一人、ペテロです。神は、私たちは、生ける望みを持つようにしてくださった。だから、彼らは大いに喜ぶことができたのです。心配から、不安から解放されました。

ドイツのある姉妹が作ったうたを、紹介いたします。前にも紹介したことがあると思うんですけど、非常にすばらしいものなんです。ガンになって、もう手遅れですと、宣告された時、作った文章です。本当は祈りなんです。

2012年5月15日火曜日

家庭集会の大切さ(三)

家庭集会の大切さ(三)
2012年5月15日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

使徒行伝
16:13 安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。
16:14 テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。
16:15 そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください。」と言って頼み、強いてそうさせた。

16:40 牢を出たふたりは、ルデヤの家に行った。そして兄弟たちに会い、彼らを励ましてから出て行った。

今日も、前に引き続いて、『伝道活動における家庭集会の大切さ』についてです。おもに使徒行伝の中でよく、家、家々という言葉が出てきます。

2012年5月8日火曜日

家庭集会の大切さ(二)

家庭集会の大切さ(二)
2012年5月8日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

使徒行伝
2:46 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、・・・

5:42 そして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた。

12:12 こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。

20:8 私たちが集まっていた屋上の間には、ともしびがたくさんともしてあった。

28:30 こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、
28:31 大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。

このあいだに続いて、『家庭集会の大切さ』について、一緒に考えてみたいと思います。

2012年4月24日火曜日

家庭集会の大切さ(一)

家庭集会の大切さ(一)
2012年4月24日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

使徒
4:23 釈放されたふたりは、仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告した。
4:24 これを聞いた人々はみな、心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った。「主よ。あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です。
4:25 あなたは、聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの先祖であるダビデの口を通して、こう言われました。『なぜ異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの民はむなしいことを計るのか。
4:26 地の王たちは立ち上がり、指導者たちは、主とキリストに反抗して、一つに組んだ。』
4:27 事実、ヘロデとポンテオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民といっしょに、あなたが油を注がれた、あなたの聖なるしもべイエスに逆らってこの都に集まり、
4:28 あなたの御手とみこころによって、あらかじめお定めになったことを行ないました。
4:29 主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。
4:30 御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。」
4:31 彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。

2012年4月17日火曜日

魂の救いの大切さ

魂の救いの大切さ
2012年4月17日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

イザヤ
6:1 ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。そのすそは神殿に満ち、
6:2 セラフィムがその上に立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、
6:3 互いに呼びかわして言っていた。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。」
6:4 その叫ぶ者の声のために、敷居の基はゆるぎ、宮は煙で満たされた。
6:5 そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」
6:6 すると、私のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。
6:7 彼は、私の口に触れて言った。「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。」
6:8 私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」

このあいだ、ある人に頼まれたことがあるんです。『あなたが何年か前に一度、頼まれて話した話をもう一回、聞かせて。』それは、いつだったかと言いますと、二十八年前。その時、いろいろな福音的な団体の責任者たちに頼まれたのです。結局、尋ねられたことは、『吉祥寺においては、何が他の教会と違っているの?』その答えを簡単にまとめたんです。次の五つの点を挙げることができたのです。

2012年4月3日火曜日

霊的覚醒の大切さ

霊的覚醒の大切さ
2012年4月3日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

詩篇
26:2 主よ。私を調べ、私を試みてください。私の思いと私の心をためしてください。

139:23 神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
139:24 私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。

今朝のテーマは、『リバイバルの大切さ』であります。『リバイバル』という言葉は、日本語ではなく、英語の言葉です。すなわち、日本語に直すと、『霊的覚醒(かくせい)』、あるいは、『信仰の復興』、『信仰の復活』を意味するものです。眠ってしまった信じる者は、リバイバル、信仰の復興を必要とします。すなわち、主との生き生きとした交わりによって、新しくされ、新しく満たされることを必要とします。おそらく、今日、『私は新しく満たされなくてもけっこうです』と思う人は、おそらくないのではないでしょうか。新しく生かされることこそが、毎日、必要なのではないかと思います。

2012年3月26日月曜日

What does it mean to trust Jesus?

What does it mean to trust Jesus?
March 25th, 2012, Gospel Meeting, Vancouver
Gotthold Beck

Matthew
15:21 Then Jesus went thence, and departed into the coasts of Tyre and Sidon. 
15:22 And, behold, a woman of Canaan came out of the same coasts, and cried unto him, saying, Have mercy on me, O Lord, thou Son of David; my daughter is grievously vexed with a devil. 
15:23 But he answered her not a word. And his disciples came and besought him, saying, Send her away; for she crieth after us. 
15:24 But he answered and said, I am not sent but unto the lost sheep of the house of Israel. 
15:25 Then came she and worshipped him, saying, Lord, help me.
15:26 But he answered and said, It is not meet to take the children's bread, and to cast it to dogs. 
15:27 And she said, Truth, Lord: yet the dogs eat of the crumbs which fall from their masters' table. 
15:28 Then Jesus answered and said unto her, O woman, great is thy faith: be it unto thee even as thou wilt. And her daughter was made whole from that very hour.

I would like to start with a letter from a sister who lives here in Vancouver. Our sister, Hiromi, once wrote me a letter which started by citing Verse 12 of Psalm 19.

2012年3月25日日曜日

信頼するとは?

信頼するとは?
2012年3月25日、バンクーバーよろこびの集い
ゴットホルド・ベック

マタイ
15:21 それから、イエスはそこを去って、ツロとシドンの地方に立ちのかれた。
15:22 すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」
15:23 しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。そこで、弟子たちはみもとに来て、「あの女を帰してやってください。叫びながらあとについて来るのです」と言ってイエスに願った。
15:24 しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません」と言われた。
15:25 しかし、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください」と言った。
15:26 すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、子犬に投げてやるのはよくないことです」と言われた。
15:27 しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、子犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいたきます。」
15:28 そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになように。」すると、彼女の娘はその時から直った。

まず、このバンクーバーに住んでいる一人の姉妹の手紙を紹介します。ヒロミ姉妹は次のように書いたことがあります。まず詩篇19編12節を引用してくださいました。