2012年10月30日火曜日

真に主を喜ばせよう

真に主を喜ばせよう
2012年10月30日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

第二コリント
5:9 そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。

コロサイ
1:10 また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。

今、最後にお読みになりました箇所は、私たち、家内と一緒に、一番、大切なことばです。結婚指輪の中にも刻まれていることばです。「主の御心にかなった生活をして、真に主を喜ばせよう」ということばです。初代教会の人々は、今、読まれたようにそういう気持ちでいっぱいでした。

第二コリント
5:9 そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。

2012年10月23日火曜日

勝利か敗北か

勝利か敗北か
2012年10月23日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

士師記
2:1 さて、主の使いがギルガルからボキムに上って来て言った。「わたしはあなたがたをエジプトから上らせて、あなたがたの先祖に誓った地に連れて来て言った。『わたしはあなたがたとの契約を決して破らない。
2:2 あなたがたはこの地の住民と契約を結んではならない。彼らの祭壇を取りこわさなければならない。』ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。なぜこのようなことをしたのか。
2:3 それゆえわたしは言う。『わたしはあなたがたの前から彼らを追い出さない。彼らはあなたがたの敵となり、彼らの神々はあなたがたにとってわなとなる。』」

2012年10月16日火曜日

御心にかなうダビデ

御心にかなうダビデ
2012年10月16日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

第二サムエル
12:13 ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。
12:14 しかし、あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる子は必ず死ぬ。」
12:15 こうしてナタンは自分の家へ戻った。主は、ウリヤの妻がダビデに産んだ子を打たれたので、その子は病気になった。
12:16 ダビデはその子のために神に願い求め、断食をして、引きこもり、一晩中、地に伏していた。
12:17 彼の家の長老たちは彼のそばに立って、彼を地から起こそうとしたが、ダビデは起きようともせず、彼らといっしょに食事を取ろうともしなかった。
12:18 七日目に子どもは死んだが、ダビデの家来たちは、その子が死んだことをダビデに告げるのを恐れた。「王はあの子が生きている時、われわれが話しても、言うことを聞かなかった。どうしてあの子が死んだことを王に言えようか。王は何か悪い事をされるかもしれない。」と彼らが思ったからである。

2012年10月9日火曜日

何でもできるイエス様

何でもできるイエス様
2012年10月9日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

ヘブル
7:25 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。

今の箇所は、皆さんよく知っておられる箇所だと思いますが、私たちは誇りを持って、「我々の主はできる。完全に救うことができる。守ることができるし、導くことができるし、また、用いられるお方です。」詩篇の作者は次のように言ったのです。

詩篇
59:10 私の恵みの神は、私を迎えに来てくださる。

将来、私たちは何を経験するようになるのかは、もちろん、今はわからない。喜びを与えるものなのか、悲しむ者になるのか、全くわからないけど、ひとつのことだけ、我々は知っている。すなわち、主ご自身がまず、私たちを迎えに来てくださるということです。

2012年10月2日火曜日

十字架こそ唯一の救い

十字架こそ唯一の救い
2012年10月2日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

ピリピ
2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。

ガラテヤ
6:14 しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

第一コリント
1:18 十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

コロサイ
1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。

第一ペテロ
2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。