2020年2月25日火曜日

エペソ人への手紙から学ぶ

エペソ人への手紙から学ぶ
2020年2月25日、火曜学び会
水渡 紀久雄

エペソ
4:1 さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。
4:2 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、
4:3 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
4:4 からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。
4:5 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。
4:6 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。

ご存知のようにエペソ人への手紙というのは、新約聖書の中で、ローマ人への手紙と並んで、パウロが残した重要な書簡とされております。ただし、ローマ人への手紙は、パウロがエペソの教会で活動し、ご奉仕した頃に、コリントで書かれたと言われてます。その代わり、このエペソ人への手紙は、ローマで殉教の死を遂げる前に、ローマに幽閉されていた時に書きました。だから、むしろエペソ人への手紙の方が、最後の手紙ということになると思います。ローマ人の手紙は、ローマで書かれたわけではないということです。

2020年2月23日日曜日

新しいいのちにあって生きる

新しいいのちにあって生きる
2020年2月23日、吉祥寺福音集会
古田 公人

エペソ
4:13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
4:14 それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、
4:15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。
4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。

イエス様を信じる者は、罪が赦され、主なる神との和解をいただき、永遠のいのちを受けます。しかし、大切なことは言うまでもなく、永遠のいのちを持つだけではなくて、その新しいいのちにあって生きることだと言えるのではないかと思います。

2020年2月9日日曜日

イエス様の前に置かれた喜び

イエス様の前に置かれた喜び
2020年2月9日、御代田福音集会
古田 公人

ヘブル
12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

イエス様は、『ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の右に着座されました』と記されています。このみ言葉の中にある四つの言葉のうち、『はずかしめ』、『十字架』、『神の御座の右』、この三つの言葉については、それぞれが具体的に何であるかは、聖書を読めば、それなりに明らかになります。しかし、『ご自分の前に置かれた喜び』というものは、やはり、りちょっと聖書を読んだだけでは、何を指しているのかは、分かりにくいところではないかと思います。ですけど、この『ご自分の前に置かれた喜び』のゆえに十字架を忍ばれたのですから、前に置かれた喜びとは、イエス様が人のかたちをとってこの世に来てくださった、そのご目的に関わることであったということは、明らかであろうと思います。

2020年2月8日土曜日

来なさい。休ませてあげます

来なさい。休ませてあげます
2020年2月8日、御代田家庭集会
古田 公人

『来なさい、休ませてあげます』という題を紹介していただきましたけど、ちょっと、羊頭を掲げて、狗肉を売るという感じがしないわけではありません。お話しさせていただきたいことは、『必要な心構え』というほうがいいかもしれないんですけど、イエス様の愛の御言葉を題とさせていただきました。

イエス様一人一人に、来なさい、私のところに来なさい、休ませてあげますと、呼びかけてくださっています。今日は、この御言葉を、個人的に体験するために必要な心構えについてご一緒に考えたいと思います。

まずマルコの福音書の中のいくつかの逸話から、ご一緒に考えたいと思います。最初にマルコ5章、長血の女のところです。