ラベル 主は生きておられる の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 主は生きておられる の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年4月1日木曜日

イエスの救い(五)進歩への道「ささげること」

イエスの救い(五)進歩への道「ささげること」
主は生きておられる、56号、2021年
ゴットホルド・ベック

しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。(ローマ6:22)

今回はローマ人への手紙6章6節および11節から23節までを、ご一緒に考えてみたいと思います。主題は進歩への道、すなわち、「ささげること」です。

今まで考えてきた問いは、どうすれば、実際に、主イエス様の似姿が私たちのうちに形造られてくるのか、どうすれば、実際に私たちのあこがれの勝利の生活に達することができるのか、また、どうすれば、私たちの信仰生活が前進するのかということでした。

これらの問いに対する答えは、一番目に「霊的に知ること」、二番目に「信仰の計算をすること」、この二つでした。

2020年11月30日月曜日

イエスの救い(四)進歩への道「計算すること」

イエスの救い(四)進歩への道「計算すること」
主は生きておられる、55号、2020年
ゴットホルド・ベック

ダビデは詩篇で次のように告白しています。

幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。(詩篇32・1~2)

ヨハネは「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」(1ヨハネ1・7)と書き記しています。

この二つのみことばを読む時、主イエス様の血潮がどれほど尊いものか、しみじみとわかります。私たちは主イエス様の血潮の尊さを、さらによく知り、もっと感謝したいものです。

本日は、ローマ人への手紙6章1~11節を基にして、進歩への道「計算すること」についてご一緒に考えてみたいと思います。

2020年8月2日日曜日

イエスの救い(三)進歩への道「知ること」

イエスの救い(三)進歩への道「知ること」
主は生きておられる、54号、2020年
ゴットホルド・ベック

今回は、ルカの福音書3章3節からお節、そしてローマ人への手紙6章1節から1節を学び「進歩への道、すなわち知ること」について考えてみたいと思います。

主なる神様のご目的は、私たちが主イエス様の似姿に変えられていくことです。これが私たちの内に実現する時に、私たちはパウロと同じように、「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2・2)と、言えるようになります。

ところで問題は、いかにしてそのようになるかということです。

これまで私たちは、どうしても知らなければならない基本的な二つの事柄について学んで来ました。「人間の罪と主イエス様の血潮の価値」、そして「私たちの古い人に対する主イエス様の十字架の価値」です。この事実がなければ、私たちは揺るがないしっかりとした土台の上に立つことはできません。この恵みの事実こそ、私たちの信仰生活の土台なのです。

2020年3月16日月曜日

イエスの救い(二)「古い人」に対するイエス様の「十字架」の価値[主は生きておられる53号]

イエスの救い(二)「古い人」に対するイエス様の「十字架」の価値
主は生きておられる、53号、2020年
ゴットホルド・ベック

前回、私たちは、人間の罪と主イエス様の血潮の価値について三つのことを学びました。第一に、主イエス様の血潮によって神と人との間を隔てている罪という名の壁は取り除かれ、人は神との交わりが可能になりました。これを深く知るなら、第二に、良心の呵責は消え、第三に、悪魔の訴えは効き目がなくなります。

今回は、私たちの「古い人」に対するイエス様の「十字架」の価値について考えてみたいと思います。

かつて私たちは、神を知らず、望みもなく、滅んでいかなければならない自分を見出した時、このように叫びました。「主よ、私は滅びなければならない罪深い者です。どうか赦して、救って下さい」と。その時、私たちは、主イエス様の流された血潮は、すべての罪を聖める力があるということを深く知りました。そして悔い改めて信仰に立った私たちですが、大部分の兄弟姉妹はさらにその先を経験しているのではないでしょうか。

つまり、私たちは罪を犯しただけではなく、自分自身が罪の本質を根深く持った「罪人である」ということを、認めるようになったのではないでしょうか。

2019年11月15日金曜日

イエスの救い(一)人間の罪とイエス様の血潮の価値[主は生きておられる52号]

イエスの救い(一)人間の罪とイエス様の血潮の価値
主は生きておられる、52号、2019年
ゴットホルド・ベック

聖書は私たちに理論や教えを伝えようとしているのではありません。事実を伝えようとしています。

聖書の中でもっとも大切な事実は、主イエス様のなされた救いです。私たちはこの事実を、頭の中に蓄えた知識として知っているだけでは駄目で、生活の中にその知識が満たされ、体験的に知っていなければなりません。このような知識は、頭の知識とは遠くかけ離れた知識であって、私たちの人格から切り離して考えることのできないほど内に深く浸透しているものです。

私たちは今、末の世の暗黒の時代に生きています。私たちには岩のように堅いしっかりとした土台が必要です。その土台とは、今述べたような生活の中にしみこんだ知識、聖書が伝える神の永遠に変わらない事実でなければならないと確信しています。

2019年7月19日金曜日

イエス様とはどのようなお方でしょうか[主は生きておられる51号]

イエス様とはどのようなお方でしょうか
主は生きておられる、51号、2019年
ゴットホルド・ベック

さて、あるパリサイ人が、いっしょに食事をしたい、とイエスを招いたので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。すると、その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油のはいった石膏のつぼを持って来て、泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。
イエスを招いたパリサイ人は、これを見て、「この方がもし預言者なら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っておられるはずだ。この女は罪深い者なのだから。」と心ひそかに思っていた。
するとイエスは、彼に向かって、「シモン。あなたに言いたいことがあります。」と言われた。シモンは、「先生。お話しください。」と言った。
「ある金貸しから、ふたりの者が金を借りていた。ひとりは五百デナリ、ほかのひとりは五十デナリ借りていた。彼らは返すことができなかったので、金貸しはふたりとも赦してやった。では、ふたりのうちどちらがよけいに金貸しを愛するようになるでしょうか。」シモンが、「よけいに赦してもちったほうだと思います。」と答えると、イエスは、「あなたの判断は当たっています。」と言われた。

2019年3月16日土曜日

教会を建て上げる秘訣[主は生きておられる50号]

教会を建て上げる秘訣
主は生きておられる、第50号、2019年
ゴットホルド・ベック

はじめにみことばをお読みいたします。マタイによる福音書十六章十三節から二十五節です。

さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」
彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」
イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。
このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
そのとき、イエスは、ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない、と弟子たちを戒められた。その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。
するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」
それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。(マタイ16・13~25)

2019年3月14日木曜日

聖霊に満たされなさい[主は生きておられる50号]

聖霊に満たされなさい
主は生きておられる、50号、2019年
ゴットホルド・ベック

さて、民衆がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなた睦わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」(ルカ3・21~22)

けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。(口ーマ8・9)

また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩(ほうとう)があるからです。御霊に満たされなさい。(エペソ5・18)

1.キリストの御霊を持たない人

きょうは、御霊に満たされることについてゆっくり考えたいと思います。

2018年11月14日水曜日

信仰生活の成長[主は生きておられる49号]

信仰生活の成長
主は生きておられる、49号
ゴットホルド・ベック

また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」(マルコ4・26~29)

きょうは、キリスト者の「信仰生活の成長」について、ご一緒に考えてみたいと思います。はじめに読んだマルコによる福音書4章26節には「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので」とあって、主を信じ新生したいのちの生涯の始まりが書かれています。そして次の「夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます」という27節は、新生したいのちの成長について書かれています。

2015年10月16日金曜日

みこころを知る道[主は生きておられる38号]

みこころを知る道
主は生きておられる38号
ゴットホルド・ベック

今回は「どうすれば、主のみこころを知ることができるか」について学びたいと思います。

「みこころを知る道」についてよりよく学ぶためには、ローマ人への手紙8章12節~17節および26節~29節、ピリピ人への手紙1章9節~11節、コロサイ人への手紙1章9節~11節、エペソ人への手紙3章16節~18節を読むことが有益です。結論から言えば、神のみこころは神の霊によって、ただ聖霊の働きによってのみ知ることができるということです。ですから、御霊に導かれる生活こそみこころを知る道なのです。以下では、(1)どうしたら御霊に導かれる生活をすることができるか、(2)どうすれば御霊の導きが分かるか、(3)主の導きに対する従順とその結果はどういうものか、について順に考えたいと思います。

2010年4月1日木曜日

リバイバルの必要性–主よ、私を新たに生かしてください![主は生きておられる17号]

リバイバルの必要性–主よ、私を新たに生かしてください!
主は生きておられる17号
ゴットホルド・ベック

主を信じる人々の集いは、いつも「喜びの集い」です。なぜなら、いつでも悔い改めることができるからです。

「悔い改めることはもっともすばらしい仕事だ」と宗教改革者マルティン・ルターは言っています。悔い改めに導かれた人々は、みなに喜びをもたらし、逆に、悔い改めようとしない人々はみなにとって悩みの種となります。

パウロは当時の教会に宛てた手紙の中で、ある信者たちに対しては「私たちは、いつもあなたがたすべてのために神に感謝しています」(1テサロニケ1:2)と書いていますが、別の信者たちに関して「私は困っている、悩んでいる」と書かなければなりませんでした。ここに、「二種類の信者」がいることが分かります。