2021年8月15日日曜日

ヨルダン川を渡る(吉祥寺)

ヨルダン川を渡る(吉祥寺)
2021年8月15日、吉祥寺福音集会
黒田 禮吉

ヨシュア
3:14 民がヨルダン川を渡るために、天幕を発ったとき、契約の箱をかつぐ祭司たちは民の先頭にいた。
3:15 箱をかつぐ者がヨルダン川まで来て、箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき、――ヨルダン川は刈り入れの間中、岸いっぱいにあふれるのだが――
3:16 上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツァレタンのそばにある町アダムのところで、せきをなして立ち、アラバの海、すなわち塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面するところを渡った。
3:17 主の契約の箱をかつぐ祭司たちがヨルダン川の真中のかわいた地にしっかりと立つうちに、イスラエル全体は、かわいた地を通り、ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった。

2021年8月1日日曜日

原罪

原罪
2021年8月1日、秋田福音集会
岡本 雅文

ヨブ
1:20 このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、
1:21 そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」

先程、原罪というタイトルにさせていただきましたけれども、副題としては、『裸で生きよ』というテーマにしたほうがいいかもしれません。

ヨブ記は、1章の1節で、『この人(ヨブ)は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた』と始まっています。この1節を読むと、神は何か特別なことを告げようとしておられるのではないかと思わされます。なぜなら、ルカの5章の32説では、イエス様は、『わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです』と、告げておられるからです。正しい人、義人、ヨブ――この箇所は、ルカの5章の32節から見ると、どのような展開になるのか・・・・初めから、興味がわいてまいります。