2010年1月27日水曜日

聖書とは何か(六)

聖書とは何か(六)
ベック兄暦年テープ、DVD1、CD18-222
ゴットホルド・ベック

【これまでのまとめ】

今まで、私たちは、聖書が神のみことばであることを見てきました。そして、預言者たち、使徒たちによって宣べ伝えられ、また、書かれたみことばが、神によって受け取られたみことばであることをも見てまいりました。すなわち、これは語られ、書かれたみことばと、受け取られたみことばとが等しいということを意味しています。また、私たちは今までに、神が預言者たちと使徒たちをとおしてお語りになったということを、確認して参りました。したがって、書かれたみことばと受け取ったみことばとは等しいということが明らかになったわけです。

今までのことを、ここでわかりやすくまとめてみましょう。先ず、第一に言えることは、神のお語りになったみことばと、人間、すなわち、預言者たちや使徒たちが受け取ったみことばとは等しい。同じものであるということです。第二に、預言者たちや使徒たちが書き記し、宣べ伝えたみことばは、彼らの神から受け取ったみことばと等しい、同じものであるということです。したがって、その結果として、第三に言えることは、主なる神のお語りになったみことばは、預言者たちや使徒たちが宣べ伝え、書き記したみことばと等しいということです。この結論は、否定することができません。

2010年1月26日火曜日

聖書とは何か(五)

聖書とは何か(五)

ベック兄暦年テープ、DVD1、CD18-221
ゴットホルド・ベック


(三)旧約聖書についてのイエス・キリストの証し(続き)


このあいだ、始まったテーマ、すなわち、『旧約聖書についてのイエス・キリストの証しとはいったいどういうものでしょうか』という点について、もう少し考えてみたいと思います。聖書が――聖書にふくまれているひとつひとつのみことばが――ほんとうに、神のみことばであることを要求しているのでありましょうか。そして、また、聖書のひとつひとつの文字が、神の権威を持ち、それゆえに、永遠に続くものであるということを、要求しているのでありましょうか。

私たちはこのことについて、イエス・キリストご自身よりも、偉大な人に訊ねることができません。主イエスこそ、最高の権威なのです。主イエス様は、神の権威をもって、旧約聖書全体を、神のみことばと言っておられます。神のみことばは、誰一人、改善したり補ったり、変更したりすることのできない永遠なるみことばです。イエス様は、旧約聖書を百パーセント、信じていました。

2010年1月25日月曜日

聖書とは何か(四)

聖書とは何か(四)

ベック兄暦年テープ、DVD1、CD18-220
ゴットホルド・ベック

今まで、大きく分けて、二つのことについて考えて参りました。第一に、主なる神が聖書の発起人、起草者、すなわち、著者、そのお方であること。第二に、神のことばが人間、すなわち、使徒と預言者に与えられ、吹き込まれたことを見て来ました。そこで、最後に、第三として、使徒たちと預言者たちが与えられ、受け取ったものを、さらに伝えて行き、述べ伝え、書き伝えたことを見てみましょう。すなわち、別のことばで表現しますと、第一に、語られたみことば、第二に、受け取られたみことばを見て来ましたが、今度は、第三に、書かれたみことばを見てみるわけです。

人間は、主なる神から受け取ったみことばを、書き記した事実について考えてみましょう。主なる神は、時々、召された人たちにお語りになり、受け取った事柄を、さらに宣べ伝えることを禁じました。そういう場合、私たちは、神が語られたことばだけはわかりますが、主が何を語られたかは、わかりません。たとえば・・・・

ダニエル
8:26 先に告げられた夕と朝の幻、それは真実である。しかし、あなたはこの幻を秘めておけ。これはまだ、多くの日の後のことだから。

2010年1月24日日曜日

聖書とは何か(三)

聖書とは何か(三)

ベック兄暦年テープDVD1、CD18-219
ゴットホルド・ベック

学びの題は、『神のみことばは、神のみことばである』という題です。

南太平洋にある島の話ですが、ヤシの木陰で一人の土人が、聖書を読んでいました。そこへ神を信じない西洋人が通りかかり、『イギリス辺りでは、よほど時代遅れの者でなければそんな本は読まないよ』と言いました。すると土人は顔を上げて、ニッと白い歯を見せながら、「しかし、私がこの本を読んでいればこそ、あなたは無事にここにおられるのですよ。私どもは人食い人種でしたが、キリストを信じてから、以前の悪習慣を捨てて、全く生まれ変わった人間となりました。もし、私どもが聖書の教えを知らなかったら、あなたは私の腹の中にいることでしょう。」この西洋人はブルッと身震いしたまま、二の句も告げず、そのまま足早に立ち去って行きました。

聖書は、神が語られたことを、そのまま私たちに伝えています。すなわち、主なる神は語られました。神の御子、主イエス様が来られ、そして、語られました。それから聖霊が遣わされ、証しをし、そして、宣べ伝えました。神ご自身が聖書に記されている黙示を書いた方なのです。

2010年1月23日土曜日

聖書とは何か(二)

聖書とは何か(二)

ベック兄暦年テープDVD1、CD18-218
ゴットホルド・ベック

ある有名人の聖書観について、ちょっと考えてみたいと思います。

マルチン・ルター・・・・聖書は、古いものでもなければ、新しいものでもない。聖書は永遠のものである。

ニュートン・・・・いかなる世界歴史におけるよりも、聖書の中には、より確かな真理が存在する。

ヴォルフガング・ゲーテ・・・・私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されるとしたら、私は聖書を選びます。

ナポレオン・・・・聖書は単なる書物ではない。それに反対するすべてのものを征服する力を持つ生き物である。

ガンジー(インド)・・・・私の生涯にもっとも深い影響を与えた書物は、聖書である。

リンカーン・・・・聖書は、神が人間に賜わった、もっともすばらしい賜物である。人間の幸福にとって望ましいものはすべて聖書の中に読まれている。

ルーズベルト・・・・聖書を教えない単なる教育は、無責任な人に鉄砲を渡すようなものである。

山室軍平・・・・聖書は世界無二、宇宙第一の書物である。

前に始まったテーマについて、すなわち、みことばを宣べ伝える者としての預言者について、もう少し考えてみたいと思います。

2010年1月22日金曜日

聖書とは何か(一)

聖書とは何か(一)
暦年テープ、DVD1、CD18-217
ゴットホルド・ベック

今日から始まる学びの題は、「神のみことばは、神のみことばである」という、まことに意味深い題です。すなわち、聖書は、すべて神の霊感によるものです、と。

まず、聖書の霊感について、学んでみることにしましょう。聖書は今日、もっとも普及した書物であり、また、もっとも近代的な書物です。疑いもなく、聖書に惹かれる動きは、どこの国でも進行しています。現代の悩みと混乱にあって、多くの人々は、しっかりとした支えを求め、聖書を読もうという飢え渇きを持っています。

なぜ、聖書が求められるのでしょうか。この書物の比類なき内容は何なのでしょうか。聖書は、どういう点で、他の書物とは比較にならないほど、すぐれているのでしょうか。聖書には、どのような特別な地位が与えられているのでしょう。私たちは、こういう問いに従事したいと思います。すなわち、その問いとは、全く簡単に表現すれば、次のように言えるでしょう。「聖書とは何か」と。