2020年7月11日土曜日

悲しみの中の祈り

悲しみの中の祈り

2020年7月11日、芦屋ティータイム
古田 公人

第一ヨハネ
5:14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。

詩篇
ダビデがその子アブシャロムからのがれたときの賛歌
3:1 主よ。なんと私の敵がふえてきたことでしょう。私に立ち向かう者が多くいます。
3:2 多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼に神の救いはない。」と。セラ
3:3 しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。
3:4 私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。セラ
3:5 私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。
3:6 私を取り囲んでいる幾万の民をも私は恐れない。
3:7 主よ。立ち上がってください。私の神。私をお救いください。あなたは私のすべての敵の頬を打ち、悪者の歯を打ち砕いてくださいます。
3:8 救いは主にあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように。セラ

この詩篇の三篇は、『ダビデがその子アブシャロムからのがれたときの・・・・』と記されています。もちろん、ダビデでは、ご存知のように、イスラエルの王で、アブシャロムはダビデの三男でした。この息子は、父親に代わって、自分が王になりたいと思っただけではなくて、彼は行動に移しました。そのアブシャロムの謀反の中での、ダビデの祈りがこの詩編三篇であります。

2020年7月5日日曜日

エマオの二人

エマオの二人
2020年7月5日、秋田福音集会
翻訳虫

ルカ
24:13 ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。
24:14 そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。
24:15 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。
24:16 しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。

[1]はじまり

今、読んでいただきました、ルカの福音書の最後の章には十字架で死なれたイエス様が三日後に復活した、その一日のあいだに起こった出来事が、三つの部分に分けられて、三組の人々の経験を中心に描かれています。初めの1節から12節は、イエス様の墓が空であることを見つけた女たち、次に、エルサレムからエマオへ歩いていた二人の弟子、そして、最後に、36節から後ろは、エルサレムに残っていた十一人の弟子たちであります。

祈りのかたち

祈りのかたち
2020年7月5日、吉祥寺福音集会
古田 公人

マタイ
6:5 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
6:6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

おはようございます。こういう機会をいただきましたことを、本当に感謝いたします。