2021年5月30日日曜日

三つのうめき

三つのうめき
2021年5月30日、吉祥寺(Zoom礼拝)
重田 定義

ローマ
8:22 私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。
8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。

8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

今日は、このローマ人への手紙のみ言葉の中にある三つのうめきということについて、ご一緒に学んでみたいと思います。

2021年5月23日日曜日

金のように、銀のように

金のように、銀のように
2021年5月23日、吉祥寺(ZOOM)福音集会
岡本 雅文

創世記
18:9 彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻サラはどこにいますか。」それで「天幕の中にいます。」と答えた。
18:10 するとひとりが言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」サラはその人のうしろの天幕の入口で、聞いていた。
18:11 アブラハムとサラは年を重ねて老人になっており、サラには普通の女にあることがすでに止まっていた。
18:12 それでサラは心の中で笑ってこう言った。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」
18:13 そこで、主がアブラハムに仰せられた。「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに。』と言って笑うのか。
18:14 主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」
18:15 サラは「私は笑いませんでした。」と言って打ち消した。恐ろしかったのである。しかし主は仰せられた。「いや、確かにあなたは笑った。」

2021年5月22日土曜日

どんなことでも、神にはできるのです

どんなことでも、神にはできるのです
2021年5月23日、秋田福音集会
藤田 匡

マルコ
10:27 イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」

これは、イエス様が語られた言葉でございます。これは、弟子たちに、イエス様が語られた言葉ですけれども、この直前に、イエス様を一人の青年が訪ねてまいりました。その会話の後で、この言葉をイエス様が語られました。この青年とイエス様のやりとりの場面につきまして、少し見させていただきたいと思います。

2021年5月17日月曜日

木には望みがある

木には望みがある
2021年5月17日、吉祥寺福音集会
黒田 禮吉

ヨブ
14:7 木には望みがある。たとい切られても、また芽を出し、その若枝は絶えることがない。
14:8 たとい、その根が地中で老い、その根株が土の中で枯れても、
14:9 水分に出会うと芽をふき、苗木のように枝を出す。

木には望みがある。私は若い頃、よく山歩きをしました。ですから、このみ言葉に出会ったとき、霊的な意味は分かりませんでしたが、本当にその通りだと思いました。以来、私の心の中にあったみ言葉でありました。そして、最近になって、『木には望みがある』とは、救われた私たちには、主にある希望がある――そういう意味ではないかと思うようになりました。ヨブ記を通して、ご一緒に考えてみたいと思います

2021年5月9日日曜日

もっとも大切なこと

もっとも大切なこと
2021年5月9日、秋田福音集会
岡本 雅文

第一ヨハネ
5:13 私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。

5:20 しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。

この二、三週間のあいだに、私が知っている四人の兄弟姉妹が天の故郷に帰っていかれました。旧約聖書が告げる――皆さんがもうよくご存知の――『死の日は生まれる日にまさる』という神の御心に、特別に深くふれる、そういう時が与えられました。