2013年4月23日火曜日

主を喜びましょう

主を喜びましょう
2013年4月23日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

ヨハネ
14:1 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

15:11 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。

2013年4月21日日曜日

すべての不安と心配からの解放

すべての不安と心配からの解放
2013年4月21日、松山よろこびの集い
ゴットホルド・ベック

マタイ
15:32 イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、食べる物を持っていないのです。彼らを空腹のままで帰らせたくありません。途中で動けなくなるといけないから。」
15:33 そこで弟子たちは言った。「このへんぴな所で、こんなに大ぜいの人に、十分食べさせるほどたくさんのパンが、どこから手にはいるでしょう。」
15:34 すると、イエスは彼らに言われた。「どれぐらいパンがありますか。」彼らは言った。「七つです。それに、小さい魚が少しあります。」
15:35 すると、イエスは群衆に、地面にすわるように命じられた。
15:36 それから、七つのパンと魚とを取り、感謝をささげてからそれを裂き、弟子たちに与えられた。そして、弟子たちは群衆に配った。
15:37 人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、七つのかごにいっぱいあった。
15:38 食べた者は、女と子どもを除いて、男四千人であった。

何年か前だったのですが、次のような話を聞きました。今まであまり良くない関係を持っていた親戚のことです。一人はイエス様を信じ、もう一人は、まだ、イエス様を信じていなかったのです。けども、話しの結論として、未信者が急に言いました、『今までのことは忘れて、今から、親しく交わりましょうよ』と、未信者が提案したのです。過ぎ去ったことは、もう終わったし、過ぎ去っているから、問題は今から。結局、今日からです。この態度を取ることこそが、考えられないほど、大切なのではないでしょうか。私はこの話を聞いたとき、本当に嬉しかった。なぜならば、聖書の言っていることと同じだからです。

2013年4月16日火曜日

マタイ二十二章三十二~四十節

マタイ二十二章三十二~四十節
2013年4月16日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

マタイ
22:32 「『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」
22:33 群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた。
22:34 しかし、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを黙らせたと聞いて、いっしょに集まった。
22:35 そして、彼らのうちのひとりの律法の専門家が、イエスをためそうとして、尋ねた。
22:36 「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」
22:37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
22:38 これがたいせつな第一の戒めです。
22:39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
22:40 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」

2013年4月9日火曜日

主のよみがえり(二)

主のよみがえり(二)
2013年4月9日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

ローマ
4:17 このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。
4:18 彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。
4:19 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。
4:20 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、
4:21 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

2013年4月2日火曜日

主のよみがえり(一)

主のよみがえり(一)
2013年4月2日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

ヨハネ
20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」
20:20 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。
20:21 イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
20:22 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
20:23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」

2013年4月1日月曜日

イエス様は愛し、イエス様は与えた

イエス様は愛し、イエス様は与えた
2013年4月1日、中町家庭集会
ゴットホルド・ベック

ヨハネ
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

ガラテヤ
2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

今、読んできてもらった二箇所のうち、未信者にとってのいちばん大切な箇所は、もちろん、ヨハネ伝3章16節です。そして、救われた人々にとって、もっとも大切な箇所は、言うまでもなく、ガラテヤ書2章の20節なのではないでしょうか。