2020年8月30日日曜日

主のはかりごとだけが成る

主のはかりごとだけが成る
2020年8月30日、市川福音集会
黒田 禮吉

箴言
19:21 人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。

皆さん、おはようございます。黒田禮吉と申します。本当は、不要不急の外出を控えるようにということのようでございますから、私は掟破りをしたようなものであります。けども、どうぞよろしくお願いいたします。今日は今、司会の山本兄から紹介がありましたように、『主のはかりごとだけが成る』というテーマで、お話をさせていただきたいと思います。

主のものとされる

主のものとされる
2020年8月30日、吉祥寺福音集会
藤田 匡

ローマ
4:1 それでは、肉による私たちの先祖アブラハムのばあいは、どうでしょうか。
4:2 もしアブラハムが行ないによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。
4:3 聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義と見なされた。」とあります。

ここで、アブラハムについて書かれております。ここに示されておりますように、アブラハムはイスラエル民族の父祖であります。彼から、主のものとされる国民が起こされることになるわけであります。主は後に、ご自身を、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と、アブラハムの名前を挙げて、ご自身を現されました。そして、このローマ書の箇所では、これと同時に、アブラハムの信仰が、主によって義とみなされた、と書かれております。アブラハムは、信仰の父とも呼ばれております。アブラハムは、主への全き信頼に導かれた人物でありました。アブラハムは、信仰によって義と認められる者たち、すなわち、主のみからだなる教会の、模範とされる人物でもあります。このアブラハムの歩みについて、今日は見させていただきたいと思います。

2020年8月23日日曜日

初めの愛に立ち返る

初めの愛に立ち返る
2020年8月23日、吉祥寺福音集会
黒田 禮吉

創世記
33:18 こうしてヤコブは、パダン・アラムからの帰途、カナンの地にあるシェケムの町に無事に着き、その町の手前で宿営した。
33:19 そして彼が天幕を張った野の一部を、シェケムの父ハモルの子らの手から百ケシタで買い取った。
33:20 彼はそこに祭壇を築き、それをエル・エロヘ・イスラエルと名づけた。

ヤコブの生涯でもっとも大切な経験とは、言うまでもなく、ペヌエルで神と組み打ちをした結果、その名をイスラエルと変えられた出来事でありましょう。しかし、ペヌエルでのこのような深い霊的経験があったにも関わらず、主なる神は、更なる環境にヤコブを置いて、彼に語りかけられたのであります。ヤコブが通らなければならなかった、ペヌエルより以降の歩みについて、今日、ご一緒に考えてみたいと思います。

2020年8月9日日曜日

絶望的状態からのすばらしい逃れ道

絶望的状態からのすばらしい逃れ道
ベック兄暦年テープDVD2、CD24-0331
ゴットホルド・ベック

ヨハネ
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。

ヨハネ伝の今、読まれました三章の十六節に、『神は愛された』と書き記されています。いちばんよく知られている聖書の箇所ではないかと思います。もちろん、神は愛されただけではなく、神は今日も愛していてくださり、いつまでも愛したもうお方であると聖書は言ってます。

2020年8月2日日曜日

イエスの救い(三)進歩への道「知ること」

イエスの救い(三)進歩への道「知ること」
主は生きておられる、54号、2020年
ゴットホルド・ベック

今回は、ルカの福音書3章3節からお節、そしてローマ人への手紙6章1節から1節を学び「進歩への道、すなわち知ること」について考えてみたいと思います。

主なる神様のご目的は、私たちが主イエス様の似姿に変えられていくことです。これが私たちの内に実現する時に、私たちはパウロと同じように、「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2・2)と、言えるようになります。

ところで問題は、いかにしてそのようになるかということです。

これまで私たちは、どうしても知らなければならない基本的な二つの事柄について学んで来ました。「人間の罪と主イエス様の血潮の価値」、そして「私たちの古い人に対する主イエス様の十字架の価値」です。この事実がなければ、私たちは揺るがないしっかりとした土台の上に立つことはできません。この恵みの事実こそ、私たちの信仰生活の土台なのです。

2020年8月1日土曜日

The Salvation of Jesus (3), the Path to Progress: “Knowing” [Unser Herr lebt, Issue 54]

The Salvation of Jesus (3), the Path to Progress: “Knowing”
Unser Herr lebt, Issue 54, 2020
Gotthold Beck

In today's sermon, I would like to study the Gospel according to Luke, chapter 23, verses 33-43 and the Epistle to the Romans chapter 6, verse 1-11 and discuss the “knowing as the path to the progress.”

The purpose of the Lord God is for us to be transformed into the likeness of the Lord Jesus. When this is realized in us, we will be able to say just as Paul did, “I no longer live, but the Messiah lives in me (Galatians 2.20).”

The question, by the way, is how this can actually happen to us.

We have learned in the previous articles about two fundamental facts we absolutely need to know, which were, “sin of humans and the value of the Lord Jesus' blood” and “the value of the Cross of the Lord Jesus to our old man.” Without these facts, it is not possible for us to stand on a firm and unshakable foundation. These facts of grace are the foundation of our faith life.