2010年2月20日土曜日

試練すなわち愛の証拠

試練すなわち愛の証拠
ろばのこ暦年ファイル、DVD2-CD27-380
ゴットホルド・ベック

黙示録
3:7 また、フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ。『聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。
3:8 「わたしは、あなたの行ないを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。

3:13 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」

いま、愛する兄弟は、三つのことを言われたんですけど、すなわち、主は偉大である。第二番目に、我々はいろいろな試練を通らなければならない。三番目は、試練を通らなければ主に頼ろうとしない。この三つの点について、少し一緒に考えたいと思います。

2010年2月19日金曜日

聖霊の人格と働き

聖霊の人格と働き
暦年テープ、DVD2、CD22、0297
ゴットホルド・ベック

ヨハネ
7:37さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
7:38わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
7:39これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。

今、言われたように、今日は洗礼式であり、それだけではなく、五旬節でもありますね。日本ではそんなに大切にされていませんけど、外国へ行く、と非常に大切にされている日なんです。今日は、アイドリンゲンという小さい村で、若者だけで少なくとも、七千人、八千人くらい、集まるようになるんです。みんな一緒に、聖書を読んだり、学んだり、交わったりするのです。毎回、多くの人々が、イエス様を信ずるようになり、救われ、また、今から、イエス様のためにだけ生きたいと決心する人々は多いんです。

2010年2月18日木曜日

こんなにすばらしい救い

こんなにすばらしい救い
暦年テープ、DVD1-CD10-0130
ゴットホルド・ベック

マタイ
1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
1:19 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。
1:20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
1:22 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。
1:23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
1:24 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、
1:25 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。

今日の交わり会の主題は、ヘブル書、二章三節からの短いことばです。すなわち、「こんなにすばらしい救い」であります。

2010年2月17日水曜日

宗教の空しさ

宗教の空しさ
ベック兄暦年テープから、DVD1-CD10-0130
ゴットホルド・ベック

少しだけ聖書からご一緒に学んでみたいと思います。主題は、『宗教の空しさ』という題で、少しばかり聖書から学んでみたいと思います。

主なる神の目から見ると、この世には二種類の人間、すなわち、失われた人間と、救われた人間がいます。人間がどのような宗教を持つかということは問題ではありません。それは、どうでもいい問題なんです。なぜなら、救いはいかなる宗教によっても実現されないからです。

あらゆる宗教は人間がつくった産物です。宗教は、次のような事柄にたとえて考えられます。すなわち、初めての人間であるアダムとエバが、主なる神の命令に背いて罪を犯した時、自分たちが裸でいることがわかり、その裸を隠すために、木の葉を用いました。この裸を隠す木の葉のようなものが宗教である・・・・と言ったらば、恐らく、お分かりいただけるのでないかと思います。けども、それに対して、主なる神は罪のない動物を殺し、その毛皮から、人間のために着物をつくってくださったと、聖書は言っています。まことの救いとは、言わば、主なる神がつくってくださった、毛皮のようなものであります。宗教とは、人間が作り出した木の葉を綴り合わせたものにたとえられるでしょう。

2010年2月8日月曜日

キリスト者の使命(五)実を結ぶ人生

キリスト者の使命(五)実を結ぶ人生
暦年テープ、DVD1-CD19[新番号255]
ゴットホルド・ベック

キリスト者の使命について、今まで四回にわたって、次の四点について、ご一緒に学んで来ました。先ず、主に対する礼拝、それから、人に仕える奉仕、それから、悪の霊に対する戦い、そして、先週は、教会、すなわち、兄弟姉妹の交わりについて考えました。今日は、「実を結ぶ人生」について、少しだけご一緒に考えてみたいと思います。

救われた人々は、救われるためだけに救われたのでなく、キリスト者の人生は、実を結ぶ人生であるべきです。

ちょっと、三つの点に分けたいと思うんですね。この世に対してのキリスト者のあり方はどういうものであるかと言いますと、内面的な相違こそが、ひとつの大切な面だと思うんです。そして、二番目は、主にだけよりかかることも、非常に大切なことであり、それから、自己否定、自分により頼まないことも、非常に大切であります。

2010年2月7日日曜日

キリスト者の使命(四)教会の交わり

キリスト者の使命(四)教会の交わり
暦年テープ、DVD1-CD19[新番号254]
ゴットホルド・ベック

詩篇
16:1 神よ。私をお守りください。私は、あなたに身を避けます。
16:2 私は、主に申し上げました。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」
16:3 地にある聖徒たちには威厳があり、私の喜びはすべて、彼らの中にあります。
16:4 ほかの神へ走った者の痛みは増し加わりましょう。私は、彼らの注ぐ血の酒を注がず、その名を口に唱えません。
16:5 主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。
16:6 測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。
16:7 私は助言を下さった主をほめたたえる。まことに、夜になると、私の心が私に教える。
16:8 私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
16:9 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。
16:10 まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
16:11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。

このあいだ、キリスト者の使命について、三回に渡ってご一緒に学びました。すなわち、主に対する礼拝、人に仕える奉仕、そして、悪霊に対する戦い――この三つの点について、今まで学びましたが、今日は、「教会の交わり」という点について、少しだけ考えてみたいと思います。なぜなら、これもキリスト者に与えられている大切な使命であるからです。もちろん、教会の代わりに、兄弟姉妹と言った方が正しいでしょう。教会と言うと、ある人々は、建物を考えたりして、他の人々は一つの教団、教派を考えるようになるかも知れません。決してそうではありません。

2010年2月6日土曜日

キリスト者の使命(三)悪の霊に対する戦い

キリスト者の使命(三)悪の霊に対する戦い
暦年テープ、DVD1-CD19[新番号253]
ゴットホルド・ベック

民数記
8:14 あなたがレビ人をイスラエル人のうちから分けるなら、レビ人はわたしのものとなる。

8:16 彼らはイスラエル人のうちから正式にわたしのものとなったからである。すべてのイスラエル人のうちで、最初に生まれた初子の代わりに、わたしは彼らをわたしのものとして取ったのである。

8:24 これはレビ人に関することである。二十五歳以上の者は会見の天幕の奉仕の務めを果たさなければならない。

今日はもう一回、今まで学んできたテーマ、すなわち、『キリスト者の使命』というテーマについて一緒に考えてみたいと思います。

主の目的は、今まで学びましたように、一人でも多くの人々が、真の救いにあずかることです。永遠のいのちを持つことができ、毎日、安心して生活することができ、生き生きとした希望をもって、死に向かうことができる。そして、死後、もちろん、永遠に喜びの泉である神と、一緒に過ごすこと、これこそが、主の目指すところであります。

2010年2月4日木曜日

キリスト者の使命(一)礼拝

キリスト者の使命(一)礼拝
暦年テープ、DVD1-CD19[新番号251]
ゴットホルド・ベック

民数記
8:14 あなたがレビ人をイスラエル人のうちから分けるなら、レビ人はわたしのものとなる。

8:16 彼らはイスラエル人のうちから正式にわたしのものとなったからである。すべてのイスラエル人のうちで、最初に生まれた初子の代わりに、わたしは彼らをわたしのものとして取ったのである。

8:24 これはレビ人に関することである。二十五歳以上の者は会見の天幕の奉仕の務めを果たさなければならない。

今日はちょっとだけ、『キリスト者の使命』という題について、ご一緒に考えてみたいと思います。

今、兄弟も言いましたように、何か形式的になれば、お終いだと言えるのではないかと思うんです。ああすべきである、こうすべきであると思うようになれば、危険ではないか思います。知らないうちに、形式的になり、律法的になるからです。