2022年5月27日金曜日

すぐに起こるはずのこと【第1部】1.イエス・キリストの黙示

第1部

1.イエス・キリストの黙示

1.黙示録の概略
1著者
2書かれた時代
3受けとり手
4特徴
5解釈の方法
6目的
7内容
2.十の賛美の歌

2022年5月26日木曜日

すぐに起こるはずのこと【第1巻】まえがき

すぐに起こるはずのこと
【第1巻】ヨハネの黙示録
ゴットホルド・ベック著

イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。(ヨハネの黙示録1.1)

まえがき

2022年5月13日金曜日

絶えず祈れ[18]「祈る教会」の力

絶えず祈れ(下巻)
ゴットホルド・ベック著
[18]「祈る教会」の力

釈放されたふたりは、仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告した。これを聞いた人々はみな、心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った。「主よ。あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です。あなたは、聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの先祖であるダビデの口を通して、こう言われました。『なぜ異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの民はむなしいことを計るのか。地の王たちは立ち上がり、指導者たちは、主とキリストに反抗して、一つに組んだ。』事実、ヘロデとポンテオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民といっしょに、あなたが油を注がれた、あなたの聖なるしもベイエスに逆らってこの都に集まり、あなたの御手とみこころによって、あらかじめお定めになったことを行ないました。主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもベイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。」彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。(使徒4・23~31)

「祈る教会の力」、これがこの章のテーマです。

2022年5月11日水曜日

絶えず祈れ[17]ともに祈ることのたいせつさ

絶えず祈れ(下巻)
ゴットホルド・ベック著
[17]ともに祈ることのたいせつさ

イエス様は、つぎのように言われました。「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。」(マタイ16・18)

ここでいう教会とは、もちろん教会の建物ではありませんし、キリスト教のひとつの教派とか、宗教団体などでもありません。教会とは「イエス様を信じ、イエス様を受け入れた人々の群れ」のことです。ですから、よく「主のからだである教会」と言われるのです。イエス様に属する人々こそが、まことの「教会」です。そして、主のみこころにかなった教会の特徴が「祈り」です。私たちがもし祈らなければ、イエス様は王の王、主の主であるということの証しにならず、また、私たち自身も信仰の進歩がなく、主からはなれてしまった信者たちも、元にもどりません。イエス様を信じる人々にとってもっともたいせつなのは、祈ることです。「イエス様の教会」を建てることができるのは、もちろん、イエス様だけです。ですから、イエス様は「わたしはわたしの教会を建てる」と言われたのです。

2022年5月9日月曜日

絶えず祈れ[16]断食とむすびついた祈り

絶えず祈れ
ゴットホルド・ベック著
[16]断食とむすびついた祈り

しかし、イエスは、彼の手を取って起こされた。するとその子は立ち上がった。イエスが家にはいられると、弟子たちがそっとイエスに尋ねた。「どうしてでしょう。私たちには追い出せなかったのですが。」すると、イエスは言われた。「この種のものは、祈り*によらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」(マルコ9・27~29)

新改訳聖書の頁の下の脚注によれば、文中の「祈り」のあとの*の部分に、「と断食」を加えるものもある、としるされています。

この章の題は「断食とむすびついた祈り」です。

マルコの福音書9章を読みますと、ペテロ、ヤコブ、ヨハネがすばらしい経験をしたことがしるされています。主イエス様はかれらを連れて高い山にのぼられましたが、かれらの目のまえでみすがたが変わり、御衣は白くひかりかがやきました。そしてモーセとエリヤがあらわれ、イエス様と語りあいました。弟子たちは雲のなかから、イエス様についての神のことばを聞きました。「これは、わたしの愛する子である。かれの言うことを聞きなさい」と。

2022年5月8日日曜日

絶えず祈れ[10]主に愛されているひとびとへの祈り

絶えず祈れ[10]
ゴットホルド・ベック著
主に愛されているひとびとへの祈り

このマリヤは、主に香油を塗り、髪の毛でその足をぬぐったマリヤであって、彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。そこで姉妹たちは、イエスのところに使いを送って、言った。「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」(ヨハネ11・2~4)

この章のテーマは、「主に愛されているひとびとへの祈り」です。

ラザロはうたがいもなく、自分の姉妹たちによって愛されていました。しかしこの聖句には、「主イエス様がかれを愛された」ことが明確に語られています。

「主よ。ごらんください。あなたが愛しておられる者が病気です」。いいかえれば、

「主よ。ごらんください。あなたが、いままでずっと愛してくださった者が、いま病気です」