2023年10月7日土曜日

ノアの箱舟の警告

ノアの箱舟の警告
2023年10月7日、町田よろこびの集い
重田 定義兄

今日は会場に出向き、皆様のお顔を見ながら、お話ししたかったんですけれども、九十六歳という歳に加えて、肺気腫などの持病があり、残念ながら、そちらに行く体力の余裕はありません。しかし、幸いなことに、気力だけはあり、このように大きな声も出せますので、ズームによって、これからお話をさせていだきたいと思います。

聖書を読んだことがなくても、ノアの箱舟の話をご存知の方は、少なくないのではないでしょうか?ノアという人は、どんな人で、なぜ箱船を作り、その中に入ることになったのでしょうか?その理由は、聖書の創世記に、次のように記されております。

創世記
6:9 ・・・・ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
6:10 ノアは三人の息子、セム、ハム、ヤペテを生んだ。
6:11 地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。
6:12 神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。
6:13 そこで、神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。それで今わたしは、彼らを地とともに滅ぼそうとしている。
6:14 あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。・・・・」

7:1 主はノアに仰せられた。「あなたとあなたの全家族とは、箱舟にはいりなさい。あなたがこの時代にあって、わたしの前に正しいのを、わたしが見たからである。」

7:4 「それは、あと七日たつと、わたしは、地の上に四十日四十夜、雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面から消し去るからである。」
7:5 ノアは、すべて主が命じられたとおりにした。

7:7 ノアは、自分の息子たちや自分の妻、それに息子たちの妻といっしょに、大洪水の大水を避けるために箱舟にはいった。

7:16 ・・・・それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。

天地万物の造り主であり、全知全能の生ける真の神様は、人間をご自分に従い、親しく交わることができるようにと、ご自分のいのちの息を吹き込んでお造りになりました。ところが、その最初の人間、アダムとエバは、サタンの誘惑に負けて、神様の御心に背いてしまいました。その結果、彼らは神様との正しい関係を失い、神様の前に堕落した者となってしまったのであります。

そして、これは彼らだけではなくて、彼らの遺伝子を受け継いだ人間すべてに及びました。今の聖書に記されておりますように、ノアの時代には、地上は悪と暴虐に満ちた様になっていたのであります。ただし、ノアだけは、正しい人、全き人であったとあります。

正しい人というのは、洪水の気配が全く見られなかった時にも、疑うことなく、ただ神様の仰せに素直に従って、大きな大きな箱船を作ったような、神様との関係において、神様をご信頼もうしあげた人、正しい人という意味であります。

ノアたちが箱舟に入り、神様が彼のうしろの戸をの閉ざされてから三日後に、神様がおっしゃったとおり、全ての高い山々も覆われるほどの大洪水が起こり、地上のすべての生き物は死に絶えてしまいました。聖書には、水は百五十日も引かなかったとあります。今日でも、世界中でしばしば大洪水が起こりますけれども、ノアの洪水は、それとは比較にならない地球規模の大きさであったのであります。

さて、ノアの時代からはるかに下った今日(こんにち)、世界の状態はどうでしょうか?

私たちが目にする世界は、まさにノアの時代、いやそれ以上に悪と暴虐が満ちているといえるのではないでしょうか?世界中で戦争やテロ、殺人、強盗、暴行など、数え切れないほどの凶悪な事件が、毎日のように起こっております。また、地球の温暖化に伴う気候の変動によって生じた大洪水、あるいは、反対に大干ばつ、あるいは、大きな山火事などの自然災害が、これもまた、地球規模で頻発しております。

その原因はすべて、相変わらず人間が神様に背を向けて自分の欲望を満たすことだけしか考えないような生き方をしていることに基づいているのであります。

では、神様は、このような罪に汚れた人間を滅ぼされるために、再びノアの時と同じような大洪水を起こされるのでありましょうか?このたいへんに気になる疑問に対して、聖書は次のように記しております。

第二ペテロ
3:3 まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わり(・・・・これは世界の終わりのことですが・・・・)の日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、
3:4 次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束(・・・・これは罪と悪にまみれた世界を滅ぼすために、御子イエス様が再び来られるというイエス様のお約束のことですが・・・・)はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」
3:5 こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成った(・・・・これは創世記にそう記されております・・・・)のであって、
3:6 当時の世界(・・・・すなわち、ノアの時代の世界・・・・)は、その水により、洪水におおわれて滅びました。
3:7 しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。

これによりまして、神様は、ノアの時代には、大洪水を起こされて、不敬虔な人間どもを滅ぼされましたけれども、今度は、水ではなくて、火によって滅ぼされるということがわかります。

世界が火によって滅ぼされるほどの大きな火というのは、いったいどうして起こるのでしょうか?私たちは、そのような火は、核爆発によって生じる他にはないということが、すぐに分かります。こんにち、いくつかの国は、核兵器を所有しており、その数はすでに地球を破壊するに十分なほどあります。そして今、ある国は、今にもその核兵器を使うぞと、本気で脅かしているのであります。

最近、アメリカのシンクタンクが、世界の終わりまでの時間を時計で示しました。それによりますと、東西の冷戦が終わった当時は13分であったのが、最近は、1分30秒までに縮まったとのことであります。それほど、世の終わりは近いのです。

では、このような恐ろしい事態から逃れるには、どうしたらよいのでしょう?シェルターなどではとうてい、生き延びられません。もし、今の時代にも、ノアの箱舟のような立派な避けどころがあれば、手遅れにならないうちに入りたいと、誰でも思うのではないでしょうか?

しかし、神様は、きよく正しく厳しいお方であるとともに、愛と哀れみに満ちたお方であります。神様は、ノアの箱舟に代わる、もっともっとすばらしい救いの船を既に提供してくださっていたのであります。その船こそ、私たち人間を滅びから救い出してくださるために、神様が救い主として、この世にお遣わしになった神の御子、イエス様であります。

では、この船に入るには、どうしたらよいのでしょうか?もう一度、ノアの場合を考えてみましょう。ノアが箱舟に入ることができたのは、神様から正しいと認められたからでありました。ということは、私たちも、神様から正しいと認められればいいのであります。

では、私たちが神様から正しいと認められるには、どうしたら良いのでありましょうか?『これからは真面目に、きよく正しく生活します』と神様に誓えば、神様は認めてくださるのでしょうか?あるいは、一生懸命、社会奉仕や慈善活動をして、神様に認めていただくことでありましょうか?それでも、駄目なのであります。

人間の心の中まで見抜かれる神様は、私たちの心に、きよい生き方をしたとか、良い行いをしたとかという、そのような誇りやおごり、高ぶりが少しでもあれば、いくら努力をしても、神様は正しいとお認めにはなりません。

ではどうしたらいいのでしょうか?これに関して、イエス様は有名な例えをお話しになりました。

ルカ
18:9 自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。
18:10 「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。

パリサイ人と申しますのは、ユダヤ教の一派で、神様の戒めを正しく守っていると自負しておりますけれども、実際にはそうではなくて、上べだけ守っているに過ぎない、そのような人々のことを指しております。

取税人と申しますのは、ユダヤ人でありながら、当時、支配国であったローマ帝国に収める税金を取り立てる集金人のことです。そして、彼らは余分に取り立てたお金を懐にする、そういう者が多いので、ユダヤ人から軽蔑されておりました。

ルカ
18:11 パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。
18:12 私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』
18:13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
18:14 あなたがたに言うが、この人が、(・・・・神様に・・・・)義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」

神様が正しいとお認めになるのは、この取税人のように心が砕かれ、神様に背き、欲望を満足させることに心を向けてきたという罪を認め、心から神様の前にへりくだるものであります。

私たちも、この取税人のように、自分が神様に背を向けて、自分の思いのままに生きてきたことを心から神様に謝罪した時に、神様は御子イエス様が私たちの罪を身代わりによって十字架にかかり、流されたきよい血潮によって、その罪をきよめてくださり、私たちを義、すなわち、正しいと認めてくださるのであります。

第二コリント
5:21 神は、罪を知らない方(・・・・すなわち、御子イエス様を・・・・)を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。

イエス様という救いの船に入れていただくために、どうしたらよいかは、以上ではっきりしました。では、いつ神様に謝ればいいのでありましょう?というのは、神様に謝る前に、自分にはまだやりたいことがあるから、それが終わってから謝ってもいいのではないかというふうに考える人がいるからであります。

しかし、その人は、いつイエス様が救いの船の扉を閉ざされるのかを知っていないのです。先ほどの聖書の箇所に、『それから主は彼のうしろ後ろの戸を閉ざされた』とありました。

ノアたちが箱舟に入った後、箱舟の戸はノアが中から閉めたのではなかったんですね。神様の手で外から、箱船の外から神様がお閉めになったんです。一度、神様によって閉められた戸はもう決して、開かれることはなく、いくら外から叫んで、『入れてください』と言っても入ることはできません。それと同様に、イエス様も時が来れば、救いの扉をご自分で閉ざされます。一度、締められた扉は、決して開かれません。

では、その時は、いつなんでしょうか?それは、先ほどお話ししたイエス様の再びおいでになる時、すなわち、ご再臨の時であります。

イエス様は、二千年前には神様に背き、離れた人間の罪をあがなう十字架の御業を成し遂げるために、この世においでになりました。けれども、今度は、暴虐と悪に満ちたこの世界を火によって滅ぼすためにおいでになります。

しかし、その直前に、イエス様はご自分が義と認められた人々、すなわち、正しいと認められた人々を、天の御国に携え上げてくださるために救いの運び手となって迎えに来てくださるのであります。イエス様は恐ろしい永遠の滅びから一人でも多くの人を救おうと、愛と忍耐をもって、箱舟の扉を閉める時を伸ばしておられるのであります。しかし、それにも限度があります。

世界の終わりの日は、間近に迫ってております。コリント人への第二の手紙の6章2節に、『確かに、今は恵みの時、今は救いの日です』とあるその恵みの時、救いの日である今、この集会の中に、自分もイエス様の救いの国に入れて欲しいと心から思う方がおられたならば、手遅れにならないうちに、あの取税人のように、自分が神様に背を向けて生きてきたことを、素直にイエス様に打ち明け、『助けてください、救ってください』とお願いしましょう。

イエス様は喜んで、ご自分の流されたきよい血潮であなたの罪を洗いきよめ、あなたを正しいと認めてくださり、救いの船に入るようにしてくださいます。

また、先に神様に義と認めていただいた者には、世の終わりが近いことを感じながらも、どうしてよいかわからず、恐れと不安の日々を送っている親族、友人、知人に、イエス様の大いなる恵みの福音を伝える使命が与えられていることを強く覚えて、これらの人々の救いを、心を尽くして祈らなければなりません。

どうも、ありがとうございました。

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