2019年12月31日火曜日

金を数えてはならない

金を数えてはならない
2019年12月31日、御代田よろこびの集い
岡本 雅文

第二列王記
22:1 ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで三十一年間、王であった。彼の母の名はエディダといい、ボツカテの出のアダヤの娘であった。
22:2 彼は主の目にかなうことを行なって、先祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった。
22:3 ヨシヤ王の第十八年に、王はメシュラムの子アツァルヤの子である書記シャファンを主の宮に遣わして言った。
22:4 「大祭司ヒルキヤのもとに上って行き、主の宮に納められた金、すなわち、入口を守る者たちが民から集めたものを彼に計算させ、
22:5 それを主の宮で工事している監督者たちの手に渡しなさい。それを主の宮で工事している者たちに渡し、宮の破損の修理をさせなさい。
22:6 木工、建築師、石工に渡し、また宮の修理のための木材や切り石を買わせなさい。
22:7 ただし、彼らの手に渡した金を彼らといっしょに勘定してはならない。彼らは忠実に働いているからである。」

先日、長い信仰生活を送ってこられた兄妹姉妹の家に泊めていただきました。そのとき、その方は、今、読んでいただいた最後の七節、「ただし、彼らの手に渡した金を彼らと一緒に勘定してはならない。彼らは忠実に働いているからである」という箇所を読んで、非常に驚いたと言われました。そして、同時に、本当に考えさせられたと語ってくださいました。主イエス様が、私たちの群れにも、この旧約聖書から御心を告げてくださっていると、私は思います。「金を勘定してはならない」、すなわち、「計算してはならない」という御言葉は、何を意味しているのか、聖書に耳を傾けてみたいと思います。