2019年6月30日日曜日

イエスは岸べに立たれた

イエスは岸べに立たれた
2019年6月30日、市川福音集会
黒田 禮吉

ヨハネ
21:4 夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。
21:5 イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」彼らは答えた。「はい。ありません。」
21:6 イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。

今、読んでいただいた聖書の箇所ですね。『夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。』私が敬愛するある兄弟が、かつてこの聖句を礼拝の時にしばしば、読んでお祈りしてくださいました。そのときは、あまりよくわからなかったのですけど、この御言葉の意味するところが、次第に心に刻み付けられるようになりました。今日は、この御言葉の背景を、ご一緒に学んでみたいと思います。

2019年5月19日日曜日

主の計画

主の計画
2019年5月19日、富山よろこびの集い


箴言
16:9 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。

聖書を読むと、神に仕えたいという願いをもって、生活のすべてを投げ出してまで、自分で考えた道筋に沿って行動しながら、主によって行く手をさえぎられた人たちの例が多く描かれています。

今の世界に生きている私たちもまた、ものごとが計画したとおりに進まず、挫折を味わうことは少なくありません。

人生の新しい機会を模索して、周到な準備をし、一歩を踏み出しながら、その足を取られて、希望を失った経験を、多くの人が持っているのではないでしょうか。

2019年5月12日日曜日

サタンに侵された病んだ集会、みからだなる集会を主が治療される

サタンに侵された病んだ集会、みからだなる集会を主が治療される
2019年5月12日、町田福音集会
重田 定義

エペソ
4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。

私たち、人間の体は研究すればするほど、実に巧妙にできております。ここで、人間の体の仕組みを、改めてみてみたいと思います。

人間の体には、何十億もの細胞があります。そして、これらの細胞は、各々の役割に応じて、例えば、心臓の細胞は、心臓が正常に機能するように、心臓を支えるために働きます。同じように、肝臓の細胞は、肝臓が正常に機能するよう、肝臓を支えるために働きます。このように、体の全ての臓器、器官は、それぞれの細胞の働きに支えられて、正しく働くことができるのです。さらに、細胞の働きに支えられた多くの臓器、器官は、身体全体が正常に働くために、それぞれの機能を用い、互いに密接に協力し合い、調和を保ち、秩序正しく働くことによって、人間は生きているのです。小さな細胞も、大きな臓器も皆、決して、自分だけのために生きているのではありません。ですから、もしある臓器や器官の細胞に異変が起これば、その臓器、器官も正常に働くことができなくなり、その影響は身体全体に及び、病気になってしまいます。

2019年3月23日土曜日

回復への希望

回復への希望
2019年3月23日、バンクーバー喜びの集い


エゼキエル
36:25 わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、
36:26 あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。

(1)

今、読んでいただいた箇所を含め、エゼキエル書は私にとって、とても心を惹かれる書のひとつであり、また、何かわからなくなると必ず戻ってきて読み返すところです。

2019年3月17日日曜日

The Secret to Build up the Church. [Unser Herr lebt, Issue 50]

The Secret to Build up the Church.
Unser Herr lebt, Issue 50, 2019
Gotthold Beck

I would like to begin this sermon with this passage from the Gospel according to Matthew, chapter 16 verses 13 to 25:

When Jesus came into the coasts of Caesarea Philippi, he asked his disciples, saying, Whom do men say that I the Son of man am?
And they said, Some say that you are John the Baptist: some, Elias; and others, Jeremias, or one of the prophets.
He said to them, But whom say you that I am?
And Simon Peter answered and said, You are the Christ, the Son of the living God.
And Jesus answered and said to him, Blessed are you, Simon Barjona:
for flesh and blood has not revealed it to you, but my Father which is in heaven. And I say also to you, That you are Peter, and on this rock I will build my church; and the gates of hell shall not prevail against it. And I will give to you the keys of the kingdom of heaven: and whatever you shall bind on earth shall be bound in heaven: and whatever you shall loose on earth shall be loosed in heaven.
Then charged he his disciples that they should tell no man that he was Jesus the Christ. From that time forth began Jesus to show to his disciples, how that he must go to Jerusalem, and suffer many things of the elders and chief priests and scribes, and be killed, and be raised again the third day.
Then Peter took him, and began to rebuke him, saying, Be it far from you, Lord: this shall not be to you. But he turned, and said to Peter, Get you behind me, Satan: you are an offense to me: for you mind not the things that be of God, but those that be of men.
Then said Jesus to his disciples, If any man will come after me, let him deny himself, and take up his cross, and follow me. For whoever will save his life shall lose it: and whoever will lose his life for my sake shall find it. (Matthew 16:13-25)
[King James Version]

2019年3月16日土曜日

教会を建て上げる秘訣[主は生きておられる50号]

教会を建て上げる秘訣
主は生きておられる、第50号、2019年
ゴットホルド・ベック

はじめにみことばをお読みいたします。マタイによる福音書十六章十三節から二十五節です。

さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」
彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」
イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。
このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
そのとき、イエスは、ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない、と弟子たちを戒められた。その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。
するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」
それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。(マタイ16・13~25)

2019年3月15日金曜日

Be Filled with the Holy Spirit [Unser Herr lebt, Issue 50]

Be Filled with the Holy Spirit
Unser Herr lebt, Issue 50, 2019
Gotthold Beck

When all the people had been baptized, Jesus too was baptized. While he was praying, heaven opened and the Holy Spirit descended on him, appearing in the form of a dove. Then a voice came from heaven, saying, “You are my Son, whom I love. I am pleased with you!” (Luke 3:21-22)

You, however, are not under the control of human nature but under the control of the Spirit, since God’s Spirit lives in you. And if anyone does not have the Spirit of the Messiah, he does not belong to him. (Romans 8:9)

Stop getting drunk with wine, which leads to wild living, but keep on being filled with the Spirit. (Ephesians 5:18)
[International Standard Version]

1. Those who do not Have the Spirit of Christ.

Today, I would like to discuss some aspects of being filled with the Holy Spirit.

2019年3月14日木曜日

聖霊に満たされなさい[主は生きておられる50号]

聖霊に満たされなさい
主は生きておられる、50号、2019年
ゴットホルド・ベック

さて、民衆がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなた睦わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」(ルカ3・21~22)

けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。(口ーマ8・9)

また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩(ほうとう)があるからです。御霊に満たされなさい。(エペソ5・18)

1.キリストの御霊を持たない人

きょうは、御霊に満たされることについてゆっくり考えたいと思います。

2019年1月29日火曜日

信仰の従順

信仰の従順

2019年1月29日、吉祥寺学び会
黒田 禮吉

創世記
22:2 神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」

信仰の父、アブラハムは数々の試みを受けましたが、最大のものとは、独り子、イサクを捧げるようにとの命令であったに違いあるません。ここで彼は、神の愛を疑うこともできました。けれども、次の三節にありますように、アブラハムが出かけて行ったのは翌朝、早くであります。つまり、彼は、神の御声を聞いてからすぐに、言われる通りにしています。愛するひとり子を捧げるという過酷な試練に、彼はすぐに、従順に、聞き従ったのであります。アブラハムは、イサクから祝福が来るという神の約束を信じていました。しかし、それをどうやって信じたのでしょうか?

2018年11月15日木曜日

Growth of the Life of Faith [主は生きておられる49号]

Growth of the Life of Faith
Unser Herr lebt, Issue 49, 2018
Gotthold Beck

He was also saying, “The kingdom of God is like a man who scatters seeds on the ground. He sleeps and gets up night and day while the seeds sprout and grow, although he doesn’t know how. The ground produces grain by itself, first the stalk, then the head, then the full grain in the head. But when the grain is ripe, he immediately starts cutting with his sickle because the harvest time has come.” (Mark 4:26-29)
[International Standard Version]

In this article, I would like to discuss with you the “growth of the life of faith” for the Christians. In chapter 4, verse 26 of the Gospel according to Mark we cited at the beginning, it is written, “the kingdom of God is like a man who scatters seeds on the ground,” which implies the beginning of the life regenerated through the belief in the Lord. And this expression in verse 27, “he sleeps and gets up night and day while the seeds sprout and grow,” illustrates how the regenerated life continues to grow.

2018年11月14日水曜日

信仰生活の成長[主は生きておられる49号]

信仰生活の成長
主は生きておられる、49号
ゴットホルド・ベック

また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」(マルコ4・26~29)

きょうは、キリスト者の「信仰生活の成長」について、ご一緒に考えてみたいと思います。はじめに読んだマルコによる福音書4章26節には「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので」とあって、主を信じ新生したいのちの生涯の始まりが書かれています。そして次の「夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます」という27節は、新生したいのちの成長について書かれています。

2018年4月15日日曜日

パン種の入らない純粋で真実なパンとは

パン種の入らない純粋で真実なパンとは
2018年4月15日、吉祥寺福音集会
重田 定義

第一コリント
5:6 あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。
5:7 新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。
5:8 ですから、私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正のパン種を用いたりしないで、パン種のはいらない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか。

今日は、今、紹介していただいた、『パン種の入らない純粋で真実なパン』というのは、いったい何か、このことについて、ご一緒に考えたいと思います。

2018年4月14日土曜日

The Parable of the Mustard Seed (2) [主は生きておられる48号]


The Parable of the Mustard Seed (2)
Unser Herr lebt, Issue 48, 2018
Gotthold Beck

からし種のたとえ(2)
主は生きておられる48号
ゴットホルド・ベック


He was also saying, “How can we show what the kingdom of God is like, or what parable can we use to describe it? It is like a mustard seed planted in the ground. Although it is the smallest of all the seeds on earth, when it is planted it comes up and becomes larger than all the garden plants. It grows such large branches that the birds in the sky can nest in its shade.” With many other parables like these, Jesus kept speaking his message to them according to their ability to understand. He did not tell them anything without using a parable, though he explained everything to his disciples in private. (Mark 4:30-31)[International Standard Version]

In our previous issue, we discussed two things through the parable of the mustard seed; firstly, what the kingdom of God is, and secondly, how the kingdom of God is revealed to us at this present time. In this article, I would like to discuss with you briefly the third point; how the kingdom of God will be realized in the ages to come.

2018年1月15日月曜日

The Parable of the Mustard Seed (1) [主は生きておられる47号]

The Parable of the Mustard Seed (1)
Unser Herr lebt, Issue 47, 2018
Gotthold Beck

からし種のたとえ(1)
主は生きておられる47号
ゴットホルド・ベック

He presented another parable to them, saying, “The kingdom from heaven is like a mustard seed that a man took and planted in his field. Although it is the smallest of all seeds, when it is fully grown it is larger than the garden plants and becomes a tree, and the birds in the sky come and nest in its branches.” He told them another parable: “The kingdom from heaven is like yeast that a woman took and mixed with three measures of flour until all of it was leavened.”

Jesus told the crowds all these things in parables. He did not tell them anything without using a parable. This was to fulfill what was declared by the prophet when he said, “I will open my mouth to speak in parables. I will declare what has been hidden since the creation of the world.” (Matthew 13:31-35, International Standard Version).

So Jesus went on to say, “What is the kingdom of God like? What can I compare it to? It is like a mustard seed that someone took and planted in his garden. It grew and became a tree, and the birds of the sky nested in its branches.” Again he said, “What can I compare the kingdom of God to? It is like yeast that a woman took and mixed with three measures of flour until all of it was leavened.” (Luke 13:18-21sion).

In this article, I would like to discuss briefly the parable of the mustard seed. Let us divide the discussion into three parts.

2017年12月8日金曜日

絶えず祈れ[7]祈りのかぎりない可能性

絶えず祈れ[7]
ゴットホルド・ベック著
祈りのかぎりない可能性

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」(エレミヤ33・3)

この聖句は「祈りのかぎりない可能性」を私たちに語っています。聖書を表面的に、その意味を深く考えないで読むひとでさえも、聖書のなかには、主に呼び求め、その祈りが聞きとどけられたひとびとの多くの実例があふれていることに気がつくことでしょう。ちょっと考えただけでも、アブラハム、モーセ、ハンナ、サムエル、ダビデ、エレミヤ、ダニエル、ヨナ、あるいはペテロ、パウロ、ヨハネと、その例にことかきません。かれらはみな、主がいかにかれらの祈りに答えてくださるかを経験しました。そして聖書は、「祈りのかぎりない可能性」を体験したひとびとのことが書いてあるだけではなく、私たちもまたおなじように祈り、おなじ体験をするようにとすすめています。イエス様が四つの福音書のなかでどれほど祈りの必要性をくりかえし指摘しておられるか、また書簡集のなかでどれほど信者の祈りの特権と責任がくりかえし強調されているか、そのことを考えれば、私たちも「祈りのかぎりない可能性」を体験するように強くすすめられていることがよくわかります。

2017年12月7日木曜日

絶えず祈れ[6]イエスのみ名によって祈る

絶えず祈れ[6]
イエスのみ名によって祈る

「絶えず祈れ」。「イエスのみ名によって祈れ」。これこそ、いま、キリスト者に与えられているもっともたいせつな主のご命令です。

「わたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」(ヨハネ14・13、14)

主は私たちの祈りを聞きとどけたいと思っておられます。たとえどんなに大きな願いでも、またどんな小さな願いでも、「イエスのみ名によって祈る」なら、かならず聞きとどけられます。イエス様ご自身が、この聖句のなかでそのことをはっきりと約束してくださっているのです。
「イエスのみ名によって祈る」ということは、祈りのおわりに決まり文句として「イエスのみ名によって」とつけ加えることではありません。「イエスのみ名によって祈る」とは主の栄光のために祈ることです。それは私たちに提供されている主なる神の豊かさをくみとることであり、イエス様の代理人として祈ることです。そしてまた、さらにそれ以上の意味でさえあります。パウロは当時の信者たちにつぎのように言っています。

2017年12月6日水曜日

絶えず祈れ[5]祭司としての奉仕

絶えず祈れ[5]
祭司としての奉仕

キリスト者はその生活のなかで、いつも「主はなにを望んでおられるのだろうか。主に喜ばれることはいったいなんだろうか。主がいちばんたいせつにしておられることはなんだろうか」という疑問に直面します。それをたずね求めるために、主は私たちに「絶えず祈れ」と呼びかけておられます。主の恵みによって「祈りのひと」になりましょう。そうすれば私たちは、まったくべつのひとに生まれ変わることができるのです。それを見て、私たちの家族や友だちも変わりますし、それだけでなく、私たちの周囲の環境すら変わってしまうのです。

きっとあなたは「そうなることが私の願いです。私も祈りのひとになりたい」と言うでしょう。ではいったいどうしたら、「祈りのひと」になることができるのでしょうか。

イエス様はあらゆる時代をとおして、もっとも偉大な「祈りのひと」でした。イエス様が十字架にかかられたとき、イエス様の横でやはりはりつけの刑に処されていた犯罪人のひとりはこう言いました。

2017年12月5日火曜日

絶えず祈れ[4]真剣な祈り

絶えず祈れ[4]
真剣な祈り

祈りとはいったいなんでしょうか。祈りとは、私たちと生けるまことの神との「結びつきのあらわれ」です。祈りのなかで、私たちは主の愛と恵みを心から感謝します。祈りのなかで、私たちは幼子のようにすなおに自分の願いを主にうちあけます。したがって「祈りとは、たましいの呼吸である」ということができます。

呼吸ができないと、ひとは死にます。おなじように、キリスト者でありながら祈らないなら、つまりたましいの呼吸をしないなら、そのひとはかならずまちがった状態におちいります。

前章において学んだとおり、祈りによって、宇宙を支配しておられるおかたのみ手が動かされます。祈りによって、私たちには驚くべき主の力が提供されるのです。「主なる神は私の祈りを聞きとどけてくださる」。この幼子のような信頼が私たちの特徴となるべきです。

主の恵みによって自分のほんとうの状態に目が開かれ、自分のわがままや罪を認め、救われたいと願う者は、だれもが「祈りの力」を体験します。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい」というすすめに応じてイエス様のみもとにくる者は、イエス様が罪の赦し、心の平安、そしてほんとうの喜びを与えてくださることを体験します。

2017年12月4日月曜日

絶えず祈れ[3]祈りへのまねき

絶えず祈れ[3]
祈りへのまねき

私たちのキリスト集会では、福音のメッセージや証しが録音されているカセットテープをたくさん作っていますが、何年かまえ、そのカセットレーベルを新しくしました。そこには「祈れ!」ということばが印刷されています。これはたんなる標語などではなく、まさに主なる神のご命令そのものをここにはっきりとしるしたものです。またそのレーベルには、一条の明るい光がうえからさしこんでいるさまがデザインされています。私たちが祈るとき、主からの明るい光が私たちの心や私たちの周囲にさしこんできます。そしてその結果、問題があかるみにだされ、また傷があかるみにだされるだけでなく、それらがいやされるのです。

主は、全国のキリスト集会が「祈りの集会」となることを心から望んでおられます。祈りほどたいせつなものはありません。そして祈りほど必要なものはありません。ですから、「絶えず祈れ」というテーマについて、さらによく考えてみましょう。

2017年12月3日日曜日

絶えず祈れ[2]まことの祈り

絶えず祈れ[2]
まことの祈り

「祈り」は、私たちが主のため、またひとびとのためにすることができるもっとも大きなことです。祈りをとおして、主のためにご奉仕をするよりもはるかに大きなことがなされます。私たちが祈るとき、全能なる主は奇蹟を行なうことがおできになり、永遠に残る実を結ぶことがおできになるのです。

私たちは、ただ救われるためだけに救われたのではありません。私たちをとおして、ほかのひとびともまたイエス様のみもとに導かれなければなりません。あなた自身をとおして、さらに福音が宣べ伝えられなければなりません。福音が宣べ伝えられることは、主の大きな目的なのです。

では、福音が宣べ伝えられ、多くのひとびとが主のみもとに導かれ、まことの実を結ぶためには、私たちはどうしたらいいのでしょうか。その答えは、一にも二にも祈ることであり、まことの祈りの生活をおくることです。この章では、「絶えず祈れ」というテーマをさらに一歩すすめて、より深く、つぎのふたつのことについて考えてみましょう。

2017年12月2日土曜日

絶えず祈れ[1]絶えず祈れ

絶えず祈れ[1]

絶えず祈れ


絶えず祈りなさい。(1テサロニケ5・17)

いつでも祈るべきであり、失望してはならない。(ルカ18・1)

「絶えず祈りなさい」という聖書のみことばこそが、この本ぜんたいをとおしての大きな、そして基本的なテーマです。まことの祈りと悔い改めがどれほどたいせつなものであるか、それはいくら強調しても強調しすぎることはありません。そのことを私たちは、この本の全編をとおして聖書からごいっしょに学んでみたいと思います。

あるとき、イエス様を信じているひとびとが集まってお祈りをする「祈り会」で、八十歳をこしている男のかたがとつぜん立ちあがって、話しはじめました。

2017年12月1日金曜日

絶えず祈れ[0]はじめに

絶えず祈れ(上巻)

・・・キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです(第一テサロニケ5・18)

わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう(エレミヤ33・3)

イエス様を信じているひとびとだけでなく、どなたにもお読みいただきたいと心から願っています。
著者、ゴットホルド・ベック



はじめに

ここに「絶えず祈れ」の上巻を、本のかたちにしてみなさまにお届けできることは、大いなる主の恵みであり、感謝です。この本がなぜ刊行されたのか、はじめにちょっとだけその理由をあきらかにしておきたいと思います。

2017年10月29日日曜日

イエス様の苦難と栄光

イエス様の苦難と栄光
2017年10月29日、吉祥寺福音集会
西川 義方

ルカ
24:25 するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。
24:26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」
24:27 それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。

第一ペテロ
1:10 この救いについては、あなたがたに対する恵みについて預言した預言者たちも、熱心に尋ね、細かく調べました。
1:11 彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき、だれを、また、どのような時をさして言われたのかを調べたのです。
1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人々を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。

皆さま、こんばんわ。本当に雨のなか、ご苦労様でございます。しばらくのあいだ、お付き合いをいただきたいと思います。

2017年10月28日土曜日

偶像、偶像礼拝について

偶像、偶像礼拝について
2017年10月28日、近江八幡よろこびの集い
松本 泰秀

富山集会に集っております松本泰秀(やすよし)と申します。よろしく、お願いいたします。本日は、偶像とか、偶像礼拝について、一緒に学んでみたいと思います。

私は長野県の辺鄙(へんぴ)なところで、曹洞宗の寺の次男として生まれました。小学校三年生くらいから、父に連れられて、兄と、後には、弟も一緒に、兄弟三人で、檀家の葬儀や法事に行き、お布施をもらっておりました。当時の葬儀と言うのは、三時間に及ぶほど長く、たいへんで、山あいにある離れた部落に歩いて出かけて行きましたから、一晩泊りは普通でありました。当然、学校に行っておりましたので、朝一、二時限の授業を終えてから、早退して、午後からの葬儀に間に合わせましたし、翌日は、また、一、二時間、遅れて学校に行ったものでした。午前の葬儀の場合は、前日から泊まり込みのこともありました。当時、学校は一日のうち、一時限でも出席していれば、休みとはならず、皆勤賞をいただくことができました。高校に入ってからは、土日とか、休みのときしか手伝いには行けなくなりましたけれども、その葬儀のことについて、少しお話をしてみたいと思います。

2017年10月15日日曜日

五千人の給食

五千人の給食
2017年10月15日、御代田福音集会
古田 公人

ヨハネ
6:1 その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。
6:2 大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。
6:3 イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。
6:4 さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。
6:5 イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」
6:6 もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。
6:7 ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」
6:8 弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。
6:9 「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」
6:10 イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。
6:11 そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。
6:12 そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」
6:13 彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。
6:14 人々は、イエスのなさったしるしを見て、「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ。」と言った。

イエス様は5000人の人に、あふれるばかりにパンをお与えになりました。このことは、いったい、何を意味するのでしょうか?今日はご一緒に、このことについて、考えたいと思います。

2017年10月14日土曜日

Feeding of the 5000 People

Feeding of the 5000 People
October 15th, 2017, Miyota Gospel Meeting
Kimito Furuta

John
6:1 After this, Jesus went away to the other side of the Sea of Galilee (or Tiberias).
6:2 A large crowd kept following him because they had seen the signs that he was performing by healing the sick.
6:3 But Jesus went up on a hillside and sat down there with his disciples.
6:4 Now the Passover, the festival of the Jews, was near.
6:5 When Jesus looked up and saw that a large crowd was coming toward him, he asked Philip, “Where can we buy bread for these people to eat?”
6:6 Jesus said this to test him, because he himself knew what he was going to do.
6:7 Philip answered him, “Two hundred denarii worth of bread isn’t enough for each of them to have a little.”
6:8 One of his disciples, Andrew, who was Simon Peter’s brother, told him,
6:9 “There’s a little boy here who has five barley loaves and two small fish. But what are these among so many people?”
6:10 Jesus said, “Have the people sit down.” Now there was plenty of grass in that area, so they sat down, numbering about 5,000 men.
6:11 Then Jesus took the loaves, gave thanks, and distributed them to those who were seated. He also distributed as much fish as they wanted.
6:12 When they were completely satisfied, Jesus told his disciples, “Collect the pieces that are left over so that nothing is wasted.”
6:13 So they collected and filled twelve baskets full of pieces of the five barley loaves left over by those who had eaten.
6:14 When the people saw the sign that he had done, they kept saying, “Truly this is the Prophet who was to come into the world!”
[International Standard Version]

Jesus fed the 5000 people abundantly with loaves of bread. What does this incident mean to us? I would like to discuss with you today, what we can learn from His feeding of the 5000.

2017年10月1日日曜日

あなたが神の子なら

あなたが神の子なら
2017年10月1日、吉祥寺福音集会
古田 公人

マタイ
4:1 さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
4:2 そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
4:3 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」
4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
4:5 すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、
4:6 言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」
4:7 イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」

今、兄弟が読んでくださったところの最初に、『悪魔の試みを受けるために御霊に導かれて』とあります。ですから、これは偶然の出来事ではありませんでしたし、悪魔が出てきたのも、偶然の出来事ではありませんでした。イエス様は、私たちのために悪魔の試みを受けてくださいました。悪魔がどのように私たちを攻撃するか、また、悪魔の攻撃にどのように対処すべきかを、このことを通して明らかにしてくださっています。

2017年7月30日日曜日

ユダの裏切りとイエス様の愛

ユダの裏切りとイエス様の愛
2017年7月30日、吉祥寺福音集会
西川 義方

ヨハネ
13:21 イエスは、これらのことを話されたとき、霊の激動を感じ、あかしして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります。」
13:22 弟子たちは、だれのことを言われたのか、わからずに当惑して、互いに顔を見合わせていた。
13:23 弟子のひとりで、イエスが愛しておられた者が、イエスの右側で席に着いていた。
13:24 そこで、シモン・ペテロが彼に合図をして言った。「だれのことを言っておられるのか、知らせなさい。」
13:25 その弟子は、イエスの右側で席についたまま、イエスに言った。「主よ。それはだれですか。」
13:26 イエスは答えられた。「それはわたしがパン切れを浸して与える者です。」それからイエスは、パン切れを浸し、取って、イスカリオテ・シモンの子ユダにお与えになった。
13:27 彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼にはいった。そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」
13:28 席に着いている者で、イエスが何のためにユダにそう言われたのか知っている者は、だれもなかった。
13:29 ユダが金入れを持っていたので、イエスが彼に、「祭りのために入用の物を買え。」と言われたのだとか、または、貧しい人々に何か施しをするように言われたのだとか思った者も中にはいた。
13:30 ユダは、パン切れを受けるとすぐ、外に出て行った。すでに夜であった。

ただいま、お読みいただきました引用聖句は、ご承知のように、最後の晩餐の席で、イエス様がユダの裏切りを弟子たちに予告された箇所であります。このユダの裏切りは、新約聖書の中で、もっとも不可解な出来事として、歴代の聖書学者をはじめ、多くの人々が、ユダが罪を犯すに至った動機を解き明かそうと、模索してきたところではないかと思います。

2017年3月12日日曜日

兄弟愛に満たされた教会

兄弟愛に満たされた教会
2017年3月12日、春日部家庭集会
黒田 禮吉

マタイ
13:31 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、
13:32 どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」


ベック兄は、火曜日の学び会で、今、読んでいただいたところもそうなんですけど、種蒔きのたとえから始まる一連のたとえについて、学んでくださいました。けれども、からし種のたとえを最後として、以後、火曜日の学びの場に立たれることはありませんでした。ですから、私は個人的に、本当にこれが、ベック兄の遺言のようにして、受け取っております。

2017年1月15日日曜日

The Walk in the Holy Spirit [主は生きておられる43号]


The Walk in the Holy Spirit 
Unser Herr lebt, Issue 43, 2016
Gotthold Beck

“This I say then, Walk in the Spirit, and you shall not fulfil the lust of the flesh. For the flesh lusts against the Spirit, and the Spirit against the flesh. and these are contrary the one to the other. so that you cannot do the things that you would. But if you be led of the Spirit, you are not under the law” (Galatians 5:16-18, American King James Version).


“And they that are Christ's have crucified the flesh with the affections and lusts. If we live in the Spirit, let us also walk in the Spirit” (Galatians 24-25).

In this article, I would like to discuss the walk in the Holy Spirit, which we absolutely need to understand as Christians.

There are two different ways for believers to walk. One is to walk by the ”flesh,” and the other is to walk in the “Holy Spirit.” While many Christians believe that all they need is to accept Jesus Christ as their Saviour, Jesus tells us that it is not enough. They have to walk being led by the Holy Spirit. The Bible is telling us:

2017年1月14日土曜日

Death is not the End [主は生きておられる43号]

Death is not the End
Unser Herr lebt, Issue 43, 2017
Gotthold Beck

死は終わりではない
主は生きておられる43号
ゴットホルド・ベック

I am so grateful that I could come back here after so many decades. I have completely forgotten when I came for the first time. I used to visit every week to teach the German language. The founder of this school gave me special permission to use the school's library any time I liked. He even encouraged me to talk about Jesus to his students. It was a very pleasant time. Although I have no idea when the seeds sown will be reaped, I am quite confident that no seed was wasted. Today, I am going to talk about this subject, “death is not the end.”

Thirteen years ago, a terrible incident occurred on September 11th in the United States. Huge numbers of people were killed instantly. These are the words written on the wall of a fire station of New York.


No farewell words were spoken

No time to say goodbye
You were gone before we knew it,
and only God knows why.

These words were made public. After all, no one can explain why and how it had to happen. The most dangerous answer to this question comes from religion. Whenever you go through an ordeal, religion always tells you that it occurred because of your arrogance, or perhaps that it was a divine punishment for the evil deeds of your grandfather. These are all lies.



2016年11月11日金曜日

まだイエス様を知らない方へ

まだイエス様を知らない方へ
2016年11月11日、中町家庭集会
酒井 千尋

エレミヤ
31:3 主は遠くから、私に現われた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。
31:4 おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。」

皆さん、こんにちわ。酒井です。もと中町の酒井です。

十日ほど前に、田中順次兄から電話がかかってきて、『いくら電話しても、ベックさんにかからないんだよ!』それは、そうだろうと思ってね。『ついては千尋さん、メッセージを頼むよ』ということで、『はい、じゃあやるよ。』それが今日のメッセージです。急なことでございまして、よろしくお願いいたします。

この地上で生きていくということは、本当にたいへんです。お一人お一人、よくここまで生きて来られた、切り抜けて来られたと思われるはずです。本当に、お疲れさまでした。そして、不思議なことに、幸いなことに、皆さま、こうしてちゃんとここに集められている――神様の哀れみです。そして、恵みであり、守りです。

2016年10月30日日曜日

若き日の挫折とその後の回復

若き日の挫折とその後の回復

2016年10月30日、吉祥寺福音集会
西川 義方

マルコ
14:50 すると、みながイエスを見捨てて、逃げてしまった。
14:51 ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行ったところ、人々は彼を捕えようとした。
14:52 すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた。

お読みいただきました引用聖句は、イエス様が十字架にかけられる前日、オリーブ山のふもと、ゲッセマネで、祭司長、律法学者たちが遣わした群衆によって逮捕された、その時の話であります。この少し前の三十一節で、ペトロは力を込めて言っております。

マルコ
14:31 ペテロは力を込めて言い張った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」みなの者もそう言った。

2016年10月15日土曜日

Preparation for the Service

Preparation for the Service
Unser Herr lebt, Issue 42, 2016
Gotthold Beck

In this article, I would like to discuss the preparation required to serve the Lord.

“The one with two talents also came forward and said, ‘Master, you gave me two talents. See, I’ve earned two more talents.’ His master told him, ‘Well done, good and trustworthy servant! Since you have been trustworthy with a small amount, I will put you in charge of a large amount. Come and share your master’s joy!’” (Matthew 25:22-23, International Standard Version).


“Tychicus, our dear brother and a faithful minister in service to the Lord” (Ephesians 6:21).


It is an unignorable fact that some believers of Jesus Christ, while claiming that they are serving God, actually work for their own purposes and serve God in a worldly manner.

2016年10月9日日曜日

不正の富で友をつくりなさい

不正の富で友をつくりなさい
2016年10月9日、吉祥寺福音集会
黒田 禮吉

ルカ
16:9 そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。

今日は、『不正の富で友をつくりなさい』というタイトルにさせていただきましたが、まず初めに、聖書の不正な管理人のたとえ話の全文をご一緒に読んでみたいと思います。

ルカ
16:1 イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた。「ある金持ちにひとりの管理人がいた。この管理人が主人の財産を乱費している、という訴えが出された。
16:2 主人は、彼を呼んで言った。『おまえについてこんなことを聞いたが、何ということをしてくれたのだ。もう管理を任せておくことはできないから、会計の報告を出しなさい。』
16:3 管理人は心の中で言った。『主人にこの管理の仕事を取り上げられるが、さてどうしよう。土を掘るには力がないし、こじきをするのは恥ずかしいし。
16:4 ああ、わかった。こうしよう。こうしておけば、いつ管理の仕事をやめさせられても、人がその家に私を迎えてくれるだろう。』

2016年7月15日金曜日

His Blessing ― Life Everlasting

His Blessing ― Life Everlasting
Unser Herr lebt, Issue 41, 2016
Gotthold Beck

“Look how good and how pleasant it is when brothers live together in unity! It is like precious oil on the head, descending to the beard― even to Aaron’s beard― and flowing down to the edge of his robes. It is like the dew of Hermon falling on Zion’s mountains. For there the Lord commanded his blessing― life everlasting” (Psalms 133:1-3, International Standard Version).

“Not to us, Lord, not to us, but to your name be given glory on account of your gracious love and faithfulness” (Psalms 115:1).


Life without the Lord Jesus is valueless and meaningless because the Lord Jesus is the only one who has the power to give us eternal life, true satisfaction and resolve all our problems.

2016年6月13日月曜日

主を知る事によって新しくされること

主を知る事によって新しくされること
2016年6月12日、岡山福音集会
ゴットホルド・ベック

ルカ
19:1 それからイエスは、エリコにはいって、町をお通りになった。
19:2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
19:3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
19:4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。
19:5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」

2016年6月12日日曜日

Being Renewed by Knowing the Lord

Being Renewed by Knowing the Lord
June 12th, 2016, Oakayama Gospel Meeting
Gotthold Beck

Luke
19:1 As Jesus entered Jericho and was passing through it,
19:2 a man named Zacchaeus appeared. He was a leading tax collector, and a rich one at that!
19:3 He was trying to see who Jesus was, but he couldn’t do so due to the crowd, since he was a short man.
19:4 So he ran ahead and climbed a sycamore tree to see Jesus, who was going to pass that way.
19:5 When Jesus came to the tree, he looked up and said, “Zacchaeus, hurry and come down! I must stay at your house today.”

2016年6月7日火曜日

からし種のたとえ(ニ)

からし種のたとえ(二)
2016年6月7日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

マルコ
4:30 また言われた。「神の国は、どのようなものと言えばよいでしょう。何にたとえたらよいでしょう。
4:31 それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときには、地に蒔かれる種の中で、一番小さいのですが、
4:32 それが蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」
4:33 イエスは、このように多くのたとえで、彼らの聞く力に応じて、みことばを話された。
4:34 たとえによらないで話されることはなかった。ただ、ご自分の弟子たちにだけは、すべてのことを解き明かされた。

今まで私たちは、二つの点について考えました。第一番目、神の国とは、いったい何でしょうか。二番目、神の国は、現在、どのような現れを示しているかについてです。今日は、第三番目の点について、すなわち、神の国は将来、どのように実現されるのかについて、一緒に考えてみたいと思います。