2016年10月30日日曜日

若き日の挫折とその後の回復

若き日の挫折とその後の回復

2016年10月30日、吉祥寺福音集会
西川 義方

マルコ
14:50 すると、みながイエスを見捨てて、逃げてしまった。
14:51 ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行ったところ、人々は彼を捕えようとした。
14:52 すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた。

お読みいただきました引用聖句は、イエス様が十字架にかけられる前日、オリーブ山のふもと、ゲッセマネで、祭司長、律法学者たちが遣わした群衆によって逮捕された、その時の話であります。この少し前の三十一節で、ペトロは力を込めて言っております。

マルコ
14:31 ペテロは力を込めて言い張った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」みなの者もそう言った。


ところが、ただいまの五十節では、『すると、皆がイエスを見捨てて逃げてしまった』というのであります。そして、この後の五十一節から五十二節の記事は、マルコにのみ、記された話であり、他の福音書にはありません。この不思議な、一見、蛇足のような、付け足しにも見える記事には、どのような意味が込められているのでしょうか。さらに、この謎めいた、私たちの想像力をかきたてるように登場した、ある青年とは、この福音書を書いたマルコ自身ではないかという説が一般的であります。それが事実だとすれば、なおのこと、マルコは、イエス様を見捨てて裸で逃げた、その惨めな自分自身を、なぜ福音書の中に、さらけ出したのでしょうか。

本日は、マルコ、本名、ヨハネ・マルコの若き日の挫折とその後の回復というテーマで聖書から、ご一緒に学んで参りたいと思います。

それでは、まず、マルコが育った環境から見ておきたいと思います。この福音書には、ただいま触れましたように、誰が著者であるか、はっきりとは記されておりません。マルコの名前が最初に登場するのは、使徒の働き、十二章十二節です。

当時、ユダヤ地方の領主であったヘロデ王は、ユダヤ人の人気を取るために、教会を迫害し始めました。なぜならば、ご承知のように、伝統を重んじるユダヤ人は、新興のキリスト教と敵対していたからです。ヘロデ王によって、まず、十二弟子の一人であるヨハネの兄弟、ヤコブが殺され、次いでペテロが捕らえられ、死刑を宣告された時、大勢の信者が集まって、彼のために夜遅くまで祈っておりました。その後、ペテロは、祈りが聞かれたのでしょうか、御使いによって奇跡的に、牢獄から救い出され、真っ先に訪ねたのが、マルコの母、マリアの家でありました。

使徒の働き
12:12 こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。
12:13 彼が入口の戸をたたくと、ロダという女中が応対に出て来た。
12:14 ところが、ペテロの声だとわかると、喜びのあまり門を開けもしないで、奥へ駆け込み、ペテロが門の外に立っていることをみなに知らせた。

聖書の中で、ヨハネの母、マリアの名前は、ここに一度、出てくるだけでありますが、この短い文章から、エルサレムで資産家であったマリアは、初代教会の誕生のために、集会所として、自分の屋敷を提供し、大勢の信者を陰で支えたご婦人であったということがうかがえます。

聖書には具体的には記されておりませんが、イエス様が最後の晩餐を、弟子たちとともにされたのも、また、よみがえられたイエス様が、四十日間、弟子たちにご自身を表されたのも、さらには、五旬節の日に弟子たちが聖霊に満たされたのも、このマリアの家であったと考えられております。

また、後ほど詳しく触れますが、ここでマルコのいとこであるバルナバについて、少し触れておきたいと思います。使徒の働き4章36節、他には、このように記されております。彼は、自分の持ち物であった畑を売り払い、その代金をエルサレム教会の貧しいキリスト者のために捧げた立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であったと記されております。また、エルサレムの教会が、改心後のパウロの受け入れをためらっていた時、バルナバが進んでパウロを弁護し、彼らの恐れを取り除いております。さらに、その後、パウロの故郷であるタルソから彼をアンテオケに連れ出し、彼を同労者として、広く世に出るきっかけを作ったのもバルナバでありました。

次に、マルコが若き日に味わった挫折について見てまいりたいと思います。これまでに、浮かんでくるマルコの人物像は、裕福な家に育ち、気の優しい、人なつこい、誰からも愛される青年であったように思われます。とくに、母、マリアはじめ、いとこのバルナバの影響もあって、早くから、福音に接し、信仰を持っていたと思われます。そのような彼が、イエス様に出会ってからは、イエス様にいっそう引かれていったと考えられます。だからこそ、本日の引用聖句、五十一節にありますように、マルコは、弟子たちがイエス様を見捨てて逃げてしまった後も、なお、イエス様について行ったのです。マルコはまだ若く、十二弟子の一人ではありませんでしたから、彼の家で行われたであろう最後の晩餐には加わっていなかったと思います。しかし、その後、これから先は、推測でありますが、イエス様と弟子たちがゲッセマネに向かわれる時、普段なら休む時間のマルコは、その異様な雰囲気に気づき、上着を着るまもなく、裸の上に亜麻布の一枚をはおり、その後を急いでついて行ったのではないかと思われます。そして、イエス様の逮捕の場面に出くわしたのではないかと推測されます。そこで、彼は、人々に捕らえられようとした時、自分が身につけていた高価な亜麻布を脱ぎ捨てて、裸で逃げるというまことに惨めな失態を演じたのであります。

この出来事から十五年が経ち、いよいよ、マルコの伝道活動が始まります。

使徒の働き
12:25 任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰って来た。

ここで、『任務』とありますのは、しばらくエルサレムを離れ、アンテオケ教会の設立に携わっていた、いとこのバルナバが、エルサレムで起きた飢饉のために、パウロを伴って、救援物資をエルサレムに運んできたことを意味しております。その帰り道、バルナバは自分の伝道活動を手伝わせる目的で、若いマルコを連れて――当然、母マリアの了解を取り付けてのことであると思われますが――マルコを連れて、アンテオケに帰ってきたのです。こうして、次の十三章二節から五節には、アンテオケから、第一回目の伝道旅行が行われ、聖霊によって聖別されたバルナバとパウロは、ヨハネを助手として連れて出発したと記されております。

【参考】使徒の働き
13:2 彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と言われた。
13:3 そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。
13:4 ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った。
13:5 サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ始めた。彼らはヨハネを助手として連れていた。

船でキプロスに渡り、そして、ユダヤ人の諸会堂で、神の言葉を述べ始めました。こうして、順調に始まった伝道旅行でしたが、飛んで十三節を見ていただきます。

使徒の働き、
13:13 パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った。

バルナバとパウロが、キプロス島での伝道を終え、現在のトルコ半島のペルガに渡って、さあ、これから本格的な伝道と教会の建設を始めようとした矢先、助手であるマルコは、はやばやと、郷里のエルサレムに引き返してしまったのです。聖書は、その時の理由については触れておりませんが、キプロス島で初めて体験した伝道の厳しさに、耐え切れなかったのでしょうか。いずれにしましても、若き日のマルコの生涯に、またしても、大きな禍根を残す伝道旅行となったのであります。

それから、約二年が過ぎ、マルコに信頼回復のチャンスがやってまいります。これが、いわゆるパウロの第二回目の伝道旅行になります。

使徒の働き
15:36 幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」
15:37 ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。
15:38 しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。
15:39 そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。
15:40 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。

バルナバは、一度は挫折したものの、すでに悔い改めているマルコにもう一度、チャンスを与えようとしましたが、パウロと激しく対立して、互いに別行動をとることになったのであります。しかし、互いに別行動を取った結果、パウロはその旅行範囲を、ヨーロッパまで拡げることができ、ヨーロッパ教会の基礎を築くことができました。一方、バルナバは、マルコをしっかりと回復させることができたのであります。

次に、成長して、信頼を取り戻したマルコの姿を見て参りたいと思います。この出来事の後、聖書には、マルコについての足跡は一切、記されておりません。しかし、その後のパウロの手紙、あるいは、ペテロの手紙に引用されている内容から推測しますと、そこには成長して、完全に信頼を取り戻したマルコの姿を見ることができます。断片的ではありますが、その手紙の中から、三箇所ほど見て参りたいと思います。

コロサイ
4:10 私といっしょに囚人となっているアリスタルコが、あなたがたによろしくと言っています。バルナバのいとこであるマルコも同じです。――この人については、もし彼があなたがたのところに行ったなら、歓迎するようにという指示をあなたがたは受けています。――

激しい反目から約十年が経ち、ローマに囚われの身となっていたパウロは、自ら牢に入り、奉仕してくれるマルコを見出しておりました。それだけではありません。マルコは、パウロの大きな信頼を受け、彼の使者として、ローマからコロサイに旅立とうとしていたのです。

第一ペテロ
5:13 バビロンにいる、あなたがたとともに選ばれた婦人がよろしくと言っています。また私の子マルコもよろしくと言っています。

バビロンはローマを指しておりますが、そこでマルコは、ペテロからも、『私の子』と呼ばれているのです。一説によれば、マルコがペテロの通訳をしていたおり、多くのローマ人が、彼に対し、ペトロの説教を文章にまとめるように求めたことが、マルコの福音書を執筆する直接の要因になったと考えられております。ペテロの説教は、イエス様の行いと言葉を、簡潔で率直に伝えていると言われておりますが、それが、マルコの福音書にも受け継がれていると、考えられております。そのようなわけで、ペテロが彼を、『私の子』と呼ぶのも頷けるような気がいたします。

三つ目は、少し戻りまして、テモテへの手紙、第二。これはパウロの手紙であります。

第二テモテ
4:11 ルカだけは私とともにおります。マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。

このパウロの遺言ともとれる手紙の中で、愛弟子のテモテに向かって、『マルコと一緒に来てほしい、彼は私の務めのために役に立つ男だから』と、マルコを名指ししているのです。殉教を目前に、ルカとたった二人になった孤独なパウロが、最後に信頼したのは、皮肉なことに一度は見限ったマルコだったのです。こうして、マルコは、パウロという偉大な伝道者から、その生涯の最後に、『彼は役に立つ男である』と呼ばれるまでに成長していたのです。

それでは、最後に、神と人とに仕える人生と変えられた、弟子たちとマルコの姿に触れてみたいと思います。マルコの福音書に戻っていただき、十章四十五節を開いていただきたいと思います。

詳しくはお読みいたしませんが、ここには、イエス様の生涯の最後の段階で、十二弟子のうちのヤコブとヨハネが、神の国において最高の地位につけていただけるように、イエス様に願い出たことが記されております。過去三年にわたって、イエス様と共に行動し、イエス様が精魂を傾けて教育された弟子たちでしたが、神の国の心理を全く理解することなく、イエス様の期待とは見当違いのことしか考えていなかったことが、ここで露呈されたのです。すなわち、今までイエス様に従ってきたきたのは、神の御心に従って歩むためではなく、自分の思いを実現させるためであったのです。

イエス様は、弟子たちのその見当違いの願い事に対して、四十二節以下ではっきりと、ご自身の弟子としての生きる道をお示しになりました。それは、私たちの意識や生き方に、根本的な変革を迫るお言葉でありました。そして、四十五節でイエス様は次のようにおっしゃったのです。

マルコ
10:45 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。

この四十五節は、マルコがこの福音書の中で、もっとも読者に語りたかったテーマであります。すなわち、イエス様は全ての人のしもべとなって仕える人にならなければならないと、お示しになるだけではなく、私たちを救うために、神の子としての御位(みくらい)をすて、もっとも貧しい奴隷の姿になって人々に仕えられる、そういうご自身の生き様をお示しになったのです。

そして、本日の引用聖句、マルコの十四章五十節に戻っていただきたいと思います。

イエス様が捉えられた瞬間、イエス様に従ってきたはずの弟子たちは恐ろしさのあまり、イエス様との関係を否定し、イエス様を見捨てて逃げてしまいました。弟子たちのこの恐れは、神の御心に従って歩まず、自らの思いに従って歩もうとする、人間本来の罪が引き起こした結果にほかなりません。そして、弟子たちが本当に、神と人とに仕えるために、生涯を捧げる人間に変えられたのは、十字架に死んでよみがえられたイエス様に出会ってからのことであります。すなわち、イエス様が十字架にかかって私たちの罪をあがなってくださったゆえに、一度はイエス様を否定し見捨ててしまった、パウロや他の弟子たちが、罪赦され、復活されたイエス様のもとに立ち返ることができたのです。そして、やがてイエス様に遣わされて人々のしもべとなって、人々のために犠牲を負うものとされたのであります。

さて、一方のマルコですが、冒頭に触れましたように、恥も外聞も無く、福音書の中に、裸で逃げた惨めな姿を書き記したのは何故だったのでしょうか。そこには、どんな意味が込められていたのでしょうか。

引用聖句の文面から見ますと、マルコはまず、イエス様の逮捕と、弟子たちが逃げ出した姿を記した後で、もっと惨めな自らの姿を福音書に記しております。それは、マルコが弟子たちと同様に、イエス様の十字架上での贖いによって、罪赦され、主に立ち返ることが許された、その感謝の中で、マルコは悔い改めつつ、人間の惨めさ、とくに、我が身可愛さから、イエス様を見捨てて、裸で逃げた惨めな自分自身を書き記したのです。

これは、福音書を書き記すにあたって、イエス様に対して、反省と許しを請うために、どうしても告白するざるを得ない心の痛みであったのではないでしょうか。そして、さらに、ついには、福音書の著者という輝かしい信仰の証し人として、大きくイエス様によって作り変えられた、その事実を記さずにはおれなかったのだと思います。また、それは、ひとえに、そのすばらしい主の恵み、その喜ばしい知らせを、読者に伝えるためでもあったと思われます。

マルコと同様に、私たちの人生にも、挫折や失敗はつきものであります。しかし、イエス様の十字架を見上げるとき、そこには、必ず、私たちのような意志の弱いものでも、支え、導いてくださるイエス様のお姿を見ることができますから、これは何とも、幸せな感謝なことではないでしょうか。

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