2025年10月5日、町田福音集会
重田 定義兄
ヨハネの手紙第一
5:21 子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。
それでは、これから少し時間をいただいて、ご一緒に聖書から学んでみたいと思います。
広辞苑という辞書には、偶像とは、『木や石や土や金属などで神、神仏に形取り、作った像』とあります。また、大きな権力や能力を持った生きた人間も偶像になります。これは、現在も、政治や宗教の分野などで、少なからず見られます。問題なのは、人間が偶像を礼拝したり、崇拝したり、仕えたりすることであります。
イザヤ書の44章には、偶像礼拝がいかに愚かであるかを、揶揄した箇所があります。それは、次のようなものであります。
人間は、木を植え、育てて、たきぎにしたり、燃料にしたりする。そして、その残りで神を創り、それに、ひれ伏して拝み、『私を救ってください』と言う。彼らの目はふさがって見ることもできず、ふさがって悟ることもできない。
まったく、その通りであります。しかし、神様が偶像礼拝を固く禁じておられることを知っている者でも、その戒めを破ってしまうことが、しばしば起こります。
今日は、ヨハネが初代教会の信者に宛てた手紙の結びとして記した、今、読んでいただきました御言葉から、イエス様を信じる者が、いかに偶像を警戒しなければならないかということを考えたいと思います。
神様は、私たち人間に、ご自分だけが唯一、真の生ける神であることを、次のように仰せになりました。
イザヤ
45:22 地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。
そして、この神様は、ご自分が選ばれたイスラエルの民に、指導者、モーセを通して、私の言うことを守りなさいと、十戒、すなわち、十の戒めの言葉を与えられました。その一番目と二番目の戒めは、次のようなものでありました。
出エジプト記
20:3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
20:4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
20:5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
20:6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。
このように、神様はもっとも大切なことは、ご自分だけに仕えることであり、決して偶像に仕えてはならないと、厳しく命じられたのであります。
しかし、神の民として選ばれたイスラエルの民は、この戒めを破って、何度も偶像を作って、それを神として拝み、これに仕えるという愚かな罪を犯し、その度に神様から厳しく裁かれました。
そのような事例のうちから、イスラエルの王、ソロモンについて見てみましょう。
ソロモンは、ある夜、夢を見ました。夢の中で、神様はソロモンに、『あなたに何を与えようか、願え』と仰せになりました。彼は次のように答えました。列王記の第一、三章の中から、要約してお話しいたします。
『神様、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私はまだ若く、未熟なもので、このおびただしいイスラエルの民を裁くすべを知りません。どうか教えてください。』
神様は、このようにへり下ったソロモンの態度を喜ばれ、彼に非常な知恵を与えられました。彼は、その知恵を使って、イスラエルの国を繁栄させ、彼の名声は海外にまで及びました。
しかし、ソロモンは晩年になって、神様の戒めに背き、平定した国々の多くの女を妻やそばめとして愛し、その結果、彼女たちの礼拝している偶像の神々に、心を傾けてしまったのであります。列王記の第一、十一章には、次のように書いてあります。
第一列王記
11:9 主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現われ、
11:10 このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。
11:11 それゆえ、主はソロモンに仰せられた。「あなたがこのようにふるまい、わたしが命じたわたしの契約とおきてとを守らなかったので、わたしは王国をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。
11:12 しかし、あなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中は、そうしないが、あなたの子の手からそれを引き裂こう。
『彼の子供の手から』、神様がそのようにおっしゃった、『引き裂こう。』ソロモンの王国を引き裂くとおっしゃったんですね。
この神様の御言葉の通り、ソロモンの死後、父ダビデが統一したイスラエル王国は、北のイスラエルと南のユダに分裂しました。
このソロモンのケースは、私たちイエス様を信じる者に、大きな警告を与えるものではないでしょうか。私たちキリスト者も、偶像に心を奪われ、神様、イエス様から心が離れることがないでありましょうか。
私たちは冒頭で、ヨハネが、『子供たちよ、偶像を警戒しなさい』と言っていることに、留意しなければいけません。『子供たちよ』というのは、私たち、イエス様を信じる信者たちのことであります。
イエス様は、次のようにおっしゃっています。
マタイの福音書
6:24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
富というのも、偶像の一つになります。このようなことを仰っております。
私たちキリスト者も、イエス様に祈る一方で、知らず知らずに、偶像に心を奪われていることはないでしょうか。
世界一の知恵を持ったソロモンですら、神様から心が離れ、神様の忌み嫌われる偶像に心を奪われてしまったということを知って、私たちはあらためて、偶像の恐ろしさを覚えます。
また、ソロモンのケースから、どんなに優れた人間でも、一旦、心を奪われた偶像から、自分の知恵や力で離れることは、極めて難しいということも知るのであります。
では、どうしたら私たちは、この恐ろしい偶像から、自分を守ることができるのでありましょう。
それには、いつも霊の目をはっきり覚ましていることが必要なのであります。なぜならば、偶像に心が奪われるのは、必ず私たちの霊が眠っている時、霊が衰えている時だからであります。
そして、そのためには、信じる者に与えられた御霊が、聖霊が、自分の霊を強めてくださるように、絶えず御霊の助けと導きを祈るということが必要になってまいります。
私たちの霊は、御霊に満たされている時は、生き生きとした元気に満ちておりますけれども、イエス様にしっかり 結びついていなければ、どんどん衰えてしまい、簡単にサタンの餌食となり、偶像に囚われてしまうのであります。
ソロモンのケースに戻ってみましょう。
神様は、警告なしにソロモンを裁かれた のではありません。列王記の第11の9節から10節には、主は二度も、彼、すなわち、ソロモンに現れ、このことについて、他の神々に従ってはならないと命じておられたのに、彼は、その主の命令を守らなかったとありました。
神様は、ソロモンに一度ならず、二度までも警告されたのに、ソロモンの霊が衰えていたために、神様の警告が聞こえなかったのであります。
私たちも、偶像に心を奪われた時には、神様は、私たちに警告してくださいます。そして、もし私たちが警告を受け入れない時には、神様は、私たちを懲らしめられます。
神様の懲らしめは、私たちの肉にとっては、大きな苦痛となります。しかし、私たちが、この苦痛は、神様の愛から来た警告であることを知って、偶像に心を奪われていたことに気がついて、悔い改めて、直ちに偶像を捨てた時に、神様は、その私たちの悔い改めを、喜んで受け入れてくださるのであります。
神様は、次のように約束しておられます。
『イスラエルよ。』イスラエルとありますが、神様の民であり、そして、イエス様を信じる私たちのことです。
ホセア
14:1 イスラエルよ。あなたの神、主に立ち返れ。あなたの不義がつまずきのもとであったからだ。
14:2 あなたがたはことばを用意して(・・・・ことばというのは、悔い改めの言葉のことです・・・・)、主に立ち返り、そして言え。「すべての不義を赦して、良いものを受け入れてください。私たちはくちびるの果実をささげます。
『くちびるの果実』というのは神様への賛美のことです。
14:3 アッシリヤは私たちを救えません。・・・・
アッシリヤというのは強い力のある人間、すなわち、偶像のことです。
14:3 アッシリヤは私たちを救えません。私たちはもう、馬にも乗らず、自分たちの手で造った物に『私たちの神』とは言いません。・・・・
『馬にも乗らず』とありますが、この馬というのは、この世の力のことです。
14:3 ・・・・自分たちの手で造った物に『私たちの神』とは言いません。みなしご(・・・・すなわち、頼る者もいない弱い無力な者、外国の保護や援助を断ち切ったイスラエルのことを指しておりますが、みなしご・・・・)が愛されるのはあなたによってだけです。」
このようにホセア書にあります。
ホセア
14:4 わたし(・・・・すなわち、主なる神さま・・・・)は彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。
ホセア
14:8 エフライムよ。(・・・・エフライムというのは神様の民、すなわち、イエス様を信じる私たちのことです・・・・)もう、わたしは偶像と何のかかわりもない。わたしが答え、わたしが世話をする。わたしは緑のもみの木のようだ。あなたはわたしから実を得るのだ。
14:9 知恵ある者はだれか。その人はこれらのことを悟るがよい。悟りある者はだれか。その人はそれらを知るがよい。主の道は平らだ。正しい者はこれを歩み、そむく者はこれにつまずく。
なんという愛に満ちたありがたい神様のお言葉でありましょうか。
神様はここで、知恵ある者は誰か、その人はこれらのことを悟るがよいと、仰せになっています。
ソロモンの知恵は、自分で得たものではなくて、神様から与えられた賜物でありました。その知恵を、彼は、神様の栄光のために用いないで、自分の栄光のために用いてしまって、ついには、心が神様から離れて、偶像に傾くようになってしまったのであります。
私たちにも、神様は、一人一人、その人にふさわしい知恵と、能力を与えてくださっております。世の終わりの近い今の時にあって、私たちキリスト者は、偶像――とくに生きた偶像ですね――に、心を奪われることがないように、そして、神様から与えられた知恵と能力を、自分のためにではなくて、ただ主のために用いることができますように、御霊のお導きを、これから祈る次第であります。
ありがとうございました。

 
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