2016年11月11日金曜日

まだイエス様を知らない方へ

まだイエス様を知らない方へ
2016年11月11日、中町家庭集会
酒井 千尋

エレミヤ
31:3 主は遠くから、私に現われた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。
31:4 おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。」

皆さん、こんにちわ。酒井です。もと中町の酒井です。

十日ほど前に、田中順次兄から電話がかかってきて、『いくら電話しても、ベックさんにかからないんだよ!』それは、そうだろうと思ってね。『ついては千尋さん、メッセージを頼むよ』ということで、『はい、じゃあやるよ。』それが今日のメッセージです。急なことでございまして、よろしくお願いいたします。

この地上で生きていくということは、本当にたいへんです。お一人お一人、よくここまで生きて来られた、切り抜けて来られたと思われるはずです。本当に、お疲れさまでした。そして、不思議なことに、幸いなことに、皆さま、こうしてちゃんとここに集められている――神様の哀れみです。そして、恵みであり、守りです。


でも、イエス様を知っている私たちはまだいいのです。そうでなくて、何の希望もなく、苦労しておられるのは全てを一人で背負い込んで苦しんでおられる方、まだ、イエス様を知らない方ですね。今日は、まだイエス様を知らない方にお話しをいたします。

生きているということはたいへん痛みがあることです。例を挙げましょう。例えば音楽、バッハ、フォーレ、ブラームス・・・・楽譜には、呻きに近い心の痛みが刻み込まれています。絵画もそうです。モネは奥さんを亡くして、数年後に丘に立った彼女の思い出を描いています。日傘の中のその顔には目鼻がありません。腕は茶褐色です。死斑ですね。その痛みがよくわかります。多くの芸術作品は、痛みを刻み込んで、私たちの心に迫ります。

生きていくということは、本当、頼りない不安で、孤独なことではないでしょうか。人間は誰しも、骨を噛むような痛みと孤独と不安の傷跡を心の底に秘めています。人には見えないけれど、友だちや家族といるときは、陽気に振る舞っていても、一人になると、本当に孤独です。孤独は、言い換えると、頼りなさ、不安、寂しさ、虚しさです。この寂しさはどこから来るのでしょう?どうすれば、そこから抜け出せるのか。

そのように思っておられる方、実はこういう方々こそ、すばららしい幸せのすぐ近くにいる方なのです。心の痛み、この不安、ひとりぼっち、心細さの原因、それはただひとつ、あなたがイエス様を知らないというところからきているのです。あなたは、イエス様に深く愛されているということをご存知ないから、寂しく、孤独に、虚しくおられるのです。

イエス様を知っておられる方は、そのような苦しみの中から、抜け出して来られた方です。そして、不安も孤独も心細さも心の痛みも持ってはいるけれども、いつもイエス様と一緒だから、安らぎと安心と喜びと希望を持っていることができるのです。それも、静かにそっと持っていることができるのです。だから今日は、まだイエス様のことをよくご存知ない方への、イエス様の優しい呼びかけを少しだけ見てみましょう。

私はあなたを愛しているよ。寂しがることも、不安がることもないんだよ。私がいるのだから。その呼びかけにあなたはきっと、心の底から温められることでしょう。

まず、神様のあなたへの喜びの一番目は、聖書の神様はあなたを愛しておられるということです。先ほど、順次兄に読んでいただいたエレミヤ、『永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。』――これは確か、リンデの本で、いいところで引用されているんですよね、確かね。集会で非常に、いくつか、十個ぐらいあるこれが決まりという、その聖句のひとつです。

また、聖書の別のところには、『わたしは、生まれる前からあなたの名前を刻んだ。』『わたし』とはもちろん、神様のことです。あなたの名前を――私たちの名前を刻んだとあります。主イエス様はあなたが大好きなんですね。私たちは、いつも神様に愛されている。だから、どんな時でも絶対に安心です。孤独なんかじゃない。守られている。囲まれています。

二番目、主イエス様を信じ、従う者は神様の子供とされます。

ヨハネ
1:12 この方を受け入れた人々(・・・・この方、イエス様を受け入れた人々・・・・)、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

イエス様を信じ、従った人は神の子供です。ですから、いつも神様のいつくしみと愛の中にいます。母親のように、母親以上に、与える愛の中にいます。それは、神様がくださる無条件の愛、無償の愛なんですね。

三番目、主イエスの愛は、いのちを捨てるほどの愛です。

第一ペテロ
2:24 そして自分から(・・・・というのは、イエス様のことですね・・・・)十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

イエス様は、罪もないのに十字架について、血を流し、その尊い血によって、私たちの本来、持っている罪、罪の性質を洗い流して赦し、滅びから救い出してくださいました。尊いご自身のいのちに代えて、救い出してくださいました。寂しく頼りない、おののくあなたをご自分のものにしてくださったのです。イエス様のあなたへの愛は、命を捨てるほどの愛です。ご自身のいのちを捨てられるほどの愛です。

四番目。イエス様はいつもあなたをいつくしんで見つめておられます。そして、いつもあなたと共にいて、背負い、抱いていてくださいます。

イザヤ
43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

46:4 ・・・・あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。

主は、いつも私を見つめ、見守り、あなたが苦しめば、いつも横にいて、あなたを背負ってくださいます。これはイエス様を信じた人が、いつも実際に経験していることです。

十個あるんですが、次は、五番目です。イエス様は、疲れたあなたを休ませててくださいます。これはご存知ですね。

マタイ
11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

第一ペテロ
5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

思い煩いをいっさい神にゆだねる。すると、神が心配し、もっともよい時に、もっとも良い方法で、不思議な方法で、解決してくださいます。それが疑わしいとお思いなら、あなたの隣の方にきいてみてください。多分、すてきな体験を次々と話してくださることでしょう。

六番目、神様はあなたの祈りを必ず聞いてくださる。

マタイ
18:19 もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
18:20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。

祈りというのは、何も特別な形式や順序があるわけではありません。儀式ではではありません。イエス様への打ち明け話、語らい、お願いなど、人間と神様とのコミュニケーションです。ある幼い男の子はこう言っています。神様、お祈りしてる時も、時々、あなたのことを考えているよ。これは小学校二年ぐらいの子です。『神様、お祈りしてる時も、時々、あなたのことを考えているよ。』これこそ、真の祈りです。

また、私たち、イエス様を信じる者どうしは、何も語らなくても目を見た瞬間に分かり合えることがあります。これも、神様を中心とした不思議な横の繋がりです。孤独のうちにある方、あなたの周りに目を見合わせた瞬間に分かり合える人々がいるなら、それはどんなに心強く、幸せなことでしょう。

七番目、イエス様の愛は、地上でも天国でも永遠に変わることはありません。

ヨハネ
10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。

しかも、神様の愛は、この地上にいる時も、死んで天の御国に昇ってからも、いつまでも変わりません。私たちは、いずれ、天の御国で再会することになります。それは本当に楽しいことでしょう。

さて、以上、神様の私たちへの愛を七つだけご紹介しましたが、これらは決して、宗教的な教えとか、単なる理屈、空想話などではありません。一たび、イエス様を知って受け入れれば、どこにいても、昼も夜も、肌で心で、ひしひしと感じられるものです。現実に、ちゃんと存在するものなんです。この神様の愛をあなたにも、ぜひ知っていただきたい。あなたが、イエス様に心から愛されていることを知っていただきたい。実際に、体験していただきたい。

イエス様はいつも私を愛し、見つめていてくださいます。そのことを知れば、あなたも痛みや孤独や寂しさの中から、解放されます。何か、大きな問題を抱えているにしても、全能の主が、いつも横にいてくださるのなら、何の心配があるでしょう。何を寂しがることがあるでしょう。心を痛めることがあるでしょう。

ローマ
10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

これが神様を信じる鍵です。聖書に、こう書いてありますね。『人は信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。』私たちは、ドアを開けなければ、花の園には出られません。まだイエス様をご存じない方、ドアを開けなければ、花の園には出られません。目を天に向けなければ、雲の上には出られません。目を天に向けなければ、雲の上には出られません。ぜひ、今日からはイエス様に心を開いて幸せの生活に移られますように、心からお祈りしています。

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