2014年4月27日日曜日

よみがえりの主

よみがえりの主
2014年4月27日、沖縄よろこびの集い
ゴットホルド・ベック

第一コリント
15:3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
15:4 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、
15:5 また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。
15:6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。
15:7 その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。
15:8 そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。
15:9 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。

コリント第一の手紙の15章(13章)は、『愛の書』と呼ばれています。この15章は、『よみがえりの書』と呼ばれているところです。イエス様は復活なさいました。我々の主は、生きておられるお方です。


ちょうど先週、いわゆる、イースター、復活祭のお祝いがされた日がありました。このよみがえりの主との出会いこそが、我々にとって、最も大切なのではないでしょうか。主、今日も生きておられる主との出会いの大切さ、必要性、また、可能性について、ちょっとだけ、一緒に考えてみたいと思います。

今、読みました箇所の中で、7節から9節までを見ると分かります。ここで、パウロは『キリストは、私にも、現われてくださいました』、『私は、価値のない者です。』価値のない者であるパウロが、キリスト、復活さなったイエス様と出会いました。結果として、彼の人生そのものは、全く、変えられたのです。

昔、ロシアで、復活祭がどのようにお祝いされたかと言いますと、主のよみがえりを讃える教会の鐘は、一週間のあいだ、町々に響き渡り、人々は喜びに胸をはずませて、主を賛美し、町で会うと、誰も『こんにちは』とは言わないで、『主イエスはよみがえった』と言ったのであります。答えとして、『ありがたい』、『我々の主は生きておられる。』今から、こういうふうに挨拶したら、多くの人々は『ちょっとおかしい』と、思うかもしれない。他の人々は、『本当か、ありがたい』と、思うようになるのではないかと思います。それだけではなく、40日後の昇天記念日まで、ロシアではいつも、床にひざまずいて、ロシアのクリスチャンたちは、40日のあいだ、立ったままで祈ったそうです。また、このよみがえりから、昇天までの40日間のあいだに誰かが死ぬと、墓の周りで悲しい賛美歌は誰も歌おうとしなかった。死に打ち勝ちったイエス様を讃えるよみがえりの歌だけが、歌われたのです。それから、もうひとつの非常におもしろい習慣があったそうです。復活の礼拝には、その集いのさなかに皆、一同、大笑いし、大きな声で笑って、復活の喜びを表したということです。

イエス様は、我々の罪、咎を負い、死と悪魔に打ち勝ちました。悪魔は、我々に何の権利もない。悪魔をあざ笑う笑い声を礼拝のさなかに、声高くあげたのであります。我々も上を見上げて、望みを抱く、悪魔に打ち勝ち、よみがえられたイエス様とともに、大いに喜ぶことができるのではないでしょうか。悪魔を大声であざ笑うことが許されています。

我々にとって、一番、大切なのは、新しく、復活なさったイエス様にまみえ、新たにされることなのではないでしょうか?

パウロは、『主イエスは、最後に私に現れた』と言って、よみがえりのイエス様にお会いした喜びを書いてます。ですから、この15章、『よみがえりの書』、そのものが、もちろん、喜びの秘訣なのではないでしょうか。パウロという男はどうして、イエス様を知るようになったのでしょうか。理屈で攻められ、納得させられたから、イエス様を知るようになったのではありません。また、脅かされて、強制させられたから、イエス様を知るようになったのでもない。

実にパウロは、よみがえりの主にお会いしたため、イエス様を知り、監禁され、捕まえられたのです。また、パウロはどうして、イエス様を紹介する者となり、主イエス様の証し人となったのでしょうか。答えは、復活なさったイエス様に出会ったからです。我々が今、差し迫って必要としているのは、新たにこの生きておられる主に出会うことなのではないでしょうか。

よみがえりの主に出会った人、イエスさまのよみがえりの姿を拝した3人の男について、ちょっとだけ一緒に考えてみたいと思います。まず、ペテロ。2番目、トマス。3番目、ヤコブです。

ペテロは、復活なさったイエス様にお会いして、何を得たかといいますと、『新しい信頼』なのではないでしょうか。イエス様のよみがえりは、したがって、ペテロのすべてになりました。もし、イエス様がよみがえられなかったら、ペテロはどうなっていたか、分かりません。ペテロはイエス様を公然と否認しました。『私はイエスを知らない、何のことか分からない』と、愛するイエス様を裏切ってしまった。

彼は、とくに、主の御そば近くを歩み、3年半、イエス様に愛されるという特権に与かり、いろいろな忠告をイエス様の御口から聞くことができたにもかかわらず、しかも、『私は決してイエスを捨てない』と、誓ったにもかかわらず、ペテロはイエス様を否んでしまったのです。否んだイエス様は、十字架で亡くなられた。この世でペテロを助ける者は一人もいません。よみがえりのイエス様だけが、ペテロを助けることができたのです。

マルコ伝の16章を見ると次の箇所があります。『・・・とペテロ』というふたつの言葉が書かれています。

マルコ
16:6 青年は言った。「『驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。
16:7 ですから行って、お弟子たちとペテロ(・・・弟子たちだけではなくて、弟子たちとペテロ・・・)に、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』とそう言いなさい。」

復活なさったイエス様は使いを送り、ご自分のよみがえりを弟子たちに告げましたが、とくに、ペテロの名前をあげて、『イエスはよみがえった。今から弟子たちとペテロとのところへ行ってこう伝えなさい』と、言っています。ペテロは主を否んだまま、イエス様に死なれましたので、まったく、打ちのめされていました。もし、『弟子たちとペテロ』と、ペテロの名前を特別に付けて、名指しで呼ばれなければ、ペテロはもう、アウトだったでしょう。立ち上がれなかったでしょう。

他の弟子たちは、『たぶんペテロは主を裏切ったから、もう我々の群れと関係ない男です、縁のないものです』と、ペテロを、軽蔑していたかもしれない。ペテロがイエス様を否んだから、他の弟子たちは、ペテロを指導者として仰ぐことをやめたでしょう。もう、信頼できない男です。ペテロは間違いなく、信頼、他の弟子たちの信頼を全く失いました。このペテロに対する疑いを解くために、『弟子たちとペテロ』と、ペテロの名前を特にイエス様は、付け加えられたに違いない。何という、すばらしい主でありましょう。

我々はペテロと同じではないでしょうか。ペテロは我々のあいだで、例外ではなく、当たり前のことのようになってはいないでしょうか。もし、私たちが、よみがえりの前の土台に立っているなら、何か大きな問題がやってくると、簡単にイエスさまを否んでしまわなければなりません。私たちは、偽りやすい自らを信頼することは絶対にできない者です。

ペテロは本当に、とんでもない態度を取ったのです。確かに、彼は指導者となるべく、イエス様から召しを受けました。けど、今は、ペテロはイエス様を否み、イエス様の弟子であるかどうかさえ、疑われています。イエス様のよみがえりは、ペテロをどん底から救い出しました。ペテロは、元のペテロになりました。他の仲間の目にも、ペテロは見事な立ち直りを見せたのです。

ペテロは、主を否むという悲しむべき出来事を通して、自らの真相を知ることができたのです。主を否んでから、イエス様がよみがえられるまでの3日間は、長い3日間だったと思うのですけど、彼にとって、暗い日々、真っ暗闇でした。ペテロにとっては、この3日間は本当に想像できない日々でした。けども、この真っ暗闇を通される必要があったのではないでしょうか。もし、ペテロに、よみがえりの主が現れてくださらなかったならば、もうペテロは絶望し、立ち上がることができなかったでしょう。

我々も、イエス様に用いられるために、ペテロと同じ体験をしなければならないのではないでしょうか。私たちは、自我に満ちた生活をやめ、イエス様に生きる、神の土台に立たせられることができれば、本当に幸いです。よみがえりの主はペテロに現れ、二人で何を話しあったか、分かりません。聖書は言っていないから。

ルカ
24:34 「ほんとうに主はよみがえって、シモンに(…ペテロのことです・・・)お姿を現わされた。」と言っていた。

この箇所を見ると、言えることはイエス様は、シモン・ペテロと親しくお話になったことだけは、分かります。イエス様とペテロは、何を話したか、知る必要はないし、知る由もありませんが、私たちはペテロと同じように、主に対して不真実であり、不信頼に満ちた心の持ち主であることを、教えていただかなければならないのです。それを教えられて初めて、後で見事に立ち直ったペテロと同じようになることができます。

ペテロは、火を通された後、実にゆるがない、その名前のように『岩』のようなキリスト者になりました。ペテロは多くの人々の信頼を受けるにたる者になりました。よみがえりの主は、ペテロに会いました。ペテロを新しくし、ペテロはイエス様に対する新しい信頼を持ち、また、多くの人々に信頼される人へと造り変えられました。私たちが差し迫って必要としているもののひとつは、この主に対する、新しい『より頼み』ではないでしょうか。

二番目、よみがえりの主にお会いして、著しく変えられたトマスについて、ちょっと考えたいと思います。トマスと言う男は、『新しい信仰』を与えられました。彼は、もともと、疑問に満ちた、疑い深い性質の持ち主でした。

ヨハネ
20:24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。
20:25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た。」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。

他の弟子たちは、よみがえりの主に出会い、喜び、これを仲間のトマスに告げましたが、彼は頑(がん)として信じようとしません。個人的な疑いは、イエス様に親しくお目にかかるまで、おそらく解けません。人が何と言っても、もう通じません。聖書を読んでいきますと、よみがえりの主は、疑い深いトマスのために、わざわざ、もう一度、現れてくださったのです。何という恵み深いお方でありましょうか、我々の主イエス様は。

『自分のこの指をイエス様の手と足とわき腹の傷にさしてみないうちは、イエス様のよみがえりを信じることができない』と、言っていたトマスは、目の前に現れたイエス様の御姿を拝した時、指を傷にあてるどころか、ただ、その場にひれ伏して、イエス様を拝した、礼拝したと聖書は告げています。

疑い深いトマスがこんなに、変えられたのは、驚くべきことです。彼は、まことの礼拝者になりました。彼は、疑惑に満ちた者だったが、『新しい光が与えられたら、この疑惑は解けるのだが』と、絶えず、光を求めていました。けども、イエス様は、なぜもっと早くトマスに現れてくださらなかったのでしょうか?

これはイエス様のせいではなかった。トマスが悪かったからです。他の兄弟弟子たちと一緒にいなかったからです。もし、トマスが兄弟のところに帰ってこないで、そのまま、自分の道を歩んでいたならば、イエス様に会うことができなかったばかりか、悲しい結果になったかもしれない。

イエス様は、救われた者の一人ひとりの頭(かしら)であるばかりではなく、信じる者の群れ、すなわち、ご自分のからだなる教会の頭です。ですから、イエス様は、兄弟姉妹が、共に集まり、御名を賛美しているところに、ご自分を現される場合が多いと、聖書は言っています。疑いは、そんなにひどく悪いことではないと思います。トマスは、正直な男でした。彼は、イエス様のよみがえりを信じることができなかったから、自分を偽らずに、はっきり、『信じられない』と、正直に言ったのです。多くの人々は、信じられないのに、あたかも信じたかのように自分を偽って進みます。トマスは、これらの人たちよりも、ましだったのでしょう。

私たちは、それぞれ、問題を持っています。また、これからも必ず持つでしょう。その中には、よみがえりの主が現れてくだされなければ、どうしても解決できない問題にぶつかることが、必ずあると思います。そのような時は、トマスのように、心から新しい光を求めましょう。そうすれば、必ずよみがえりの主が、問題に解決を与えてくださいます。トマスは、新しい光を求めて、それを受け入れる備えをしていました。彼は、主を信じる仲間に入って、いっしょに先へ進むことを拒まなかったのです。彼は疑いながらも、交わりに加わっていました。そして、イエス様がトマスに現れた時、彼はイエス様の前にひざまずいて、拝んだのです。

私たちの過去を振り返ってみると、本当に主に対して不信仰な者であり、イエス様を悲しませた者であることが分かります。私たちが今日、今、一番、必要としているもののひとつは、よみがえりの主に新しくお会いして、『新しい信仰』をいただくことではないでしょうか。

次にヤコブについて、ちょっと考えたいと思います。ヤコブは主イエス様、よみがえりの主にお会いして、『新しい義』をいただきました。前に読みましたコリント第一の手紙15章7節に、『その後、ヤコブに現われた』と、書いてあります。

このヤコブは、ご存知のように肉体的にイエス様の弟でした。後に、このヤコブは、完全に変えられ、『義人ヤコブ』と呼ばれるようになったのです。エルサレムの信じる者の一人の指導者、監督となった男でした。彼の手紙、ヤコブ書を見ると分かります。彼は、正しさ、義を強く、主張していました。このヤコブが何年間も、心に持っていた悩みは、本当の義を自分は持っていないで、自分の持っている義は、おきての義、自分の義だけだということでした。

今、話したように、彼は生まれ落ちるなり、神の御子であるイエス様を兄として、いっしょに暮らしていながら、イエス様を批判し、最後にはイエス様を拒んでいました。多分、彼は、イエス様が罪人といっしょに食事をし、人間の作った掟を守ろうとしなかったし、安息日もそんなに大切にしていなかったところから、当時の聖書学者たちと同じように、イエス様を拒んだにちがいない。

ヨハネ
7:5 兄弟たちもイエスを信じていなかったのである。

ヤコブは、イエス様の生きている間は、イエス様を信じようとしなかったのです。このイエス様を受け入れなかったヤコブが、ついにイエス様を受け入れる時がやってきました。イエス様は今、十字架の上で苦しんでおります。苦しみの中からイエス様は、弟子ヨハネに向かって、『ヨハネよ、見よ、これはあなたの母である』と言って、ご自分の肉体の母マリヤを、弟子のヨハネに託されました。続いて、お母さんのマリヤに向かって、『女よ、これは汝の子です』と言って、ヨハネに生涯の面倒をみてもらうように話されました。

イエス様はどうして、ご自分の母を、実の弟であるヤコブに託さないで、ヨハネに託したのでしょうか。たぶん、ヤコブは、始めからイエス様を信じていたお母さんのマリヤと仲が合わず、離れていたからでしょう。自分を産んでくれた実の母を、自分に任せられず、他人の手に委ねなければならないとは、なんというひどい、悲しいことでしょう。これは、己を正しいとする罪の結果です。

自分を義とする結果は、いつも考えられない悲劇です。当たり前のこの世の人でさえ、信仰のゆえに自分の母を見捨てるなどということはしないでしょう。けど、自分を義としたヤコブは、母を見捨てました。ヤコブはこのように、己を正しいとする人間だったのです。

パウロは、前に読んでもらいましたコリント第一の手紙15章に、よみがえりの主イエス様が、誰と誰と誰に現れたか、順序を追って書いていますが、ヤコブの名前は後のほうに書かれています。イエス様は、己を正しいとするヤコブより、先に罪人や収税人に現れました。けど、ヤコブの身に、ついに奇跡が起こりました。ヤコブは、自分が正しいとすることは、何の役にも立たない、むしろ、妨げとなることを悟り、イエス様の前に砕かれ、『新しい義』をいただいたのです。多くの人々は、己を義とし、めくらになり、かつてのヤコブのように、悲惨な状態に陥っています。

よみがえりの主だけが、自分を義とするところから、ヤコブを解放することができました。我々も、よみがえりの主に新しくお会いすることによってのみ、ヤコブと同じように義人と呼ばれることができます。

最後にパウロは、イエス様が自分に現れてくださったことを記していますね。

第一コリント
15:8そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。

パウロは、よみがえりの主イエス様を愛し、新しい信頼、新しい信仰、新しい義を受けたのです。我々もパウロのように、『そして最後に、よみがえりの主は私に現れた』と、喜びをもって言うことができれば、本当に幸いなのではないかと思います。よみがえりのイエス様にお会いしたら、我々の考え方、見方は変わります。イエス様は私たちに、よみがえりのいのち、よみがえりの力を与えるために、死からよみがえってくださいました。

イエス様が与えてくださるよみがえりの力を受ける時、そこから新しい信頼、新しい信仰、新しい義が湧き出てくるのです。私たちは、コリントの兄弟姉妹がそうであったように、理論ではなく、実際に、イエス様の御前にひざまずき、イエス様の前に砕かれ、イエス様の備えられたよみがえりの力を受け取りたいものです。イエス様が、もし実際によみがえったのなら、イエス様のよみがえりのいのち、また、イエス様のよみがえりの力は、我々のために備えられ、託されているのです。

このよみがえりのいのちは、我々の生まれながらのいのちと全く性質を異にするものです。このいのちは、ペテロ、トマス、ヤコブ、また、パウロの内に宿ったいのちであるばかりではなく、我々の内にも宿っておられるキリストのよみがえりのいのちです。

イエス様は私たちに、ペテロのように新しい信頼、トマスのように新しい信仰、そして、ヤコブのように新しい義を授けられ、私たちが心から、パウロのように、『よみがえりの主は、最後にこんな私に現れた』と喜ぶことができれば、本当にさいわいだと思います。


おわり

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