2015年5月24日日曜日

五旬節について

五旬節について
2015年5月24日、吉祥寺福音集会
ゴットホルド・ベック兄

使徒行伝
2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
2:3 また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。
2:4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
2:5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、
2:6 この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。
2:7 彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。
2:8 それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。
2:9 私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
2:10 フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、
2:11 ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」
2:12 人々はみな、驚き惑って、互いに「いったいこれはどうしたことか。」と言った。
2:13 しかし、ほかに「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ。」と言ってあざける者たちもいた。
2:14 そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。
2:15 今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。
2:16 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。
2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
2:18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
2:19 また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。
2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。
2:21 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』

今、愛する千尋兄弟は何回も、ベック兄、ベック兄のメッセージと言ったんですけど、私の祈りは、主よ、哀れんでください、みんなが私のしゃべっていることを聞かないように、あなたの言わんとしていることだけ聞かせてください。そういう気持ちでいっぱいです。

ある時、イエス様は、弟子たちに、わたしはやがて、天に帰る。けど、わたしの代わりに、わたしはあなたがたに助け主を与える。それは、あなたがたを導き、力づけるためです。わたしが天に行くこととは、結局、あなたがたのために損ではない。益です。弟子たちはこのイエス様の話を聞いた時、もちろんピンと来なかったでしょうし、驚きました。けど五旬節に、弟子たちは、イエス様が約束された御霊の降臨を受け、御霊に満たされたと聖書は言っています。

弟子たちは、神の宮、聖霊の宿になりました。同じように御霊は、主イエス様に出会った人々の一人一人のうちにも宿っておられます。

次の言葉は、我々にも当てはまるのではないでしょうか――もしイエス様を信じ受け入れたならば。コリント第一の手紙からお読みいたします。パウロがコリントによる兄弟姉妹に書き送った言葉です。

第一コリント
3:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

忘れたの?

第一コリント
6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。

生けるまことの神が、信じる者のうちに宿っておられるから、信じる者は、この世におけるいちばんの財産家と言わなければならないのではないでしょうか?

五旬節とはどういう日でしょうか?今、話したように、神の霊、聖霊を送られた日の記念日です。日本ではあまり大切にされていない。外国では、非常に大切です。今日、アイドリンゲンで、少なくとも一万人以上の若者が集まっているのです。非常に、考えられないほど大切な日です。日本では、クリスマスくらい大切にされるのです。商売のため!

けども、五旬節はやはり、聖霊の来られた日の記念日です。十日前は、イエス様の昇天された日の記念日でした。

1900年前に、イエス様は弟子たちを小さな村、ベタニアの近くまで連れて行きました。そのベタニアの近くで、手を上げて、彼らを祝福してくださいました。祝福しておられるうちに、彼らを離れて、天に上げられたのです。弟子たちは、イエス様を拝し、非常な喜びをもってエルサレムに帰り、絶えず宮に行って主を褒めたたえていたと聖書は言っています。

弟子たちは、イエス様の命令を聞きました。すなわち、見よ、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送る。だから、上から力を授けられるまでは、あなたがたは都に留まっていなさい。弟子たちは、十日の間で、父の約束されたお方、すなわち、聖霊のために絶えず、宮にいて、主を褒めたたえたと聖書は言っています。

そして、この十日の後で、五旬節がやってきました。この偉大な出来事について、今も、千尋兄弟に読んでもらいました使徒行伝、二章に詳しく書かれています。

一つの質問があります。聖霊はどうして来られたのでしょうか?何のために、来られたのでしょうか?答えは三つです。

第一番目、すべての真理に導くためです。イエス様は言われました、その方、すなわち、真理の御霊が来るとあなたがたを、すべての真理に導き入れます(ヨハネ十六章十三節)。真理そのものであらるイエス様のすばらしさに対して、聖霊は、人の心の目を開いてくださいます。

【参考】ヨハネ
16:13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。

聖霊がどうして送られたのか。二番目の答えは、真のいのちを与えるためです。

ローマ
8:10 もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。

聖霊を宿すことによって、私たちは、永遠のいのちを持つようになったのです。

聖霊がどうして来られたか。すべての真理に導くためであり、それから、真のいのち、永遠のいのちを与えるため、もう一つは、主の満たしにあずかるために、聖霊が送られたのです。パウロはエペソにいる兄弟姉妹に書いたのです。五章十八節、『御霊に満たされなさい。』これはもちろん、いわゆる提案ではなくて、はっきりとした命令です。御霊に満たされなさい。聖霊に満たされるとは、いったいどういうことでしょうかね?

第一番目、本当のへりくだり、真の悔い改めが与えられます。

使徒行伝
2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と言った。

聖霊に満たされると、他の人々も悔い改めに導かれます。人間にとって、もっとも大切なことの一つは悔い改めることです。へりくだることです。それから、御霊に対する飢え渇き、また、真の祈りが捧げられるようになります――聖霊の働きとして。

使徒行伝
2:42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。

第一ペテロ
2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。

パウロはまた、エペソにいる兄弟姉妹に書いたのです。

エペソ
6:18 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

また、ユダという弟子も書いたのです。

ユダ
1:20 しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り(なさい。)

人間はいろいろなことを考えますし、悩んでいます。唯一の正しい答えは、祈ったらどう?人間と話しても、あまり解決にならないでしょう。皆、みじめです。祈れば――何でもできるお方に頼めば――、主は奇蹟を成してくださいます。

三番目、同じ信仰を持っている者に対する愛が、明らかになるということです。

使徒行伝
2:44 信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。

本当の意味でひとつでした。五旬節の前には、彼らはひとつではなかったのです。バラバラでした。けど、五旬節の時、急に、みんな同じ祈りを捧げましたし、みんな心が主だけを崇め、礼拝したのです。

もう一つ、聖霊に満たされることによって何が起こるのでしょうか?すなわち、自己決定と自己支配からの解放を経験します。信じる者にとってもっとも大切な御言葉の一つは、みんなご存知です。ガラテア書2章20節なのではないでしょうか。

ガラテア
2:20 私はキリストとともに十字架につけられました(・・・・もうアウトです・・・・)。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。

勝利の秘訣です。ガラテア書五章にも、パウロは書いたのですね。

ガラテヤ
5:24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。

聖霊に満たされると、何が起こるのでしょうか?もう一つの答えは、聖霊に満たされるものは、はずかしめを受ける力を持っています。人間に何を言われても、関係ない。

使徒行伝
5:41 そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。

不思議な力が働いたのです。ヘブル書の十三章を見ると、また似たことが書かれています。

ヘブル
13:13 ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。

御霊に満たされるものは、はずかしめを受ける力を持っているのであり、もう一つ、聖霊に満たされたものは、悪魔の力に対する勝利を持つ者です。よく引用されるエペソ書の六章の中で信じる者の戦いについて、書いてあります。パウロは、『戦い』よりも、『格闘』という言葉を使っています。

エペソ
6:12 私たちの格闘は血肉(・・・・すなわち、目に見える人間・・・・)に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

我々の戦いは、悪霊、悪魔に対する戦いです。

6:13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

6:16 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。

パウロだけではなく、ヤコブも全く同じように書いたのです。

ヤコブ
4:7 ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

この勝利について、また、ヨハネ黙示録にも書いてあります。将来についてです。まだ実現されていない箇所でしょう。

黙示録
12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。

聖霊に満たされると何が起こるのでしょうか?最後にもう一つ、聖霊に満たされた者は、真の礼拝者です。そして、主は必死になって、真の礼拝者を探し求めておられます。

ヨハネ
16:14 御霊はわたしの栄光を現わします。・・・・

これが、聖霊の目的です。もし、私たちが主の栄光を体験的に知るようになれば、私たちは、主ご自身を礼拝せざるを得なくなる。

ヨハネ
4:23 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。

聖霊、ご臨在、五旬節の意味はいったい何でしょうか?イエス様が、神の御子として、私たちの罪のために十字架で亡くなられて、昇天されて、高く引き上げられたことの証拠が、五旬節です。

また、主なる神の約束を成就されたのが五旬節であり、そして、イエス様はご自分の言葉を成就することができる力を持っているという証拠でもあります。五旬節は、証しする力を意味していますし、祝福の満たしを意味しています。

五旬節は主なる神が、弱いものでさえも用いることができるということを意味しています。一人も滅びないで、皆、永遠のいのちを持つようにと言っています。

この神の霊が、私たち一人一人を支配し、礼拝に導くことができるように切に祈るべきなのではないでしょうか?主は必ず応えてくださいます。

0 件のコメント:

コメントを投稿