2023年4月23日日曜日

すぐに起こるはずのこと【第3部】33.ハルマゲドンにおける戦いとさばき

33.ハルマゲドンにおける戦いとさばき

黙示録19章17節から21節まで

七つの問い
1.戦いの時期
2.戦いの時期
3.戦いに参加する者たち
4.戦いの目的
5.さばきの現われ
6.さばきの対象
7.二つの宴会

黙示緑19章17~21節の主題は、「ハルマゲドンにおける戦いとさばき」です。この戦いは、言うまでもなく、「反キリスト」と「にせ預言者」に対する主の戦いです。そして、主は圧倒的に勝利されます。

黙示録17章から18章まで、終わりの時代に「不品行な女」である巨大な教会組織が、主によってさばかれる様子を見てきました。19章17節以降では、「反キリスト」と「にせ預言者」がたくらむ「世界征服」に対する主の戦いが行なわれます。

(17)また私は、太陽の中にひとりの御使いが立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛ぶすべての鳥に言った。「さあ、神の大宴会に集まり、(18)王の肉、千人隊長の肉、勇者の肉、馬とそれに乗る者の肉、すべての自由人と奴隷、小さい者と大きい者の肉を食べよ。」
(19)また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。(20)すると、獣は捕えられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕えられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。
(21)残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。(黙示19・17~21)

「反キリスト」と「にせ預言者」の特徴は、神を認めない頑なさと、イエス・キリストに対する憎しみです。悪魔は、この世に対するさばきの時が近づいたことを知ります。このため、大きな戦いに備えて、自らに仕える者たちを呼び集めます。この戦いについては、黙示禄の次の箇所で、すでに学びました。

そこで御使いは地にかまを入れ、地のぶどうを刈り集めて、神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ入れた。その酒ぶねは都の外で踏まれたが、血は、その酒ぶねから流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった。(黙示14・19、20)

また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出てくるのを見た。彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出ていく。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。・・・・・・こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。(黙示16・13~14、16)

あなたが見た十本の角は、十人の王たちで、彼らは、まだ国を受けてはいませんが、獣とともに、一時だけ王の権威を受けます。この者どもは心を一つにしており、自分たちの力と権威とをその獣に与えます。この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。(黙示17・12~14)

では、ハルマゲドンの戦いとさばきについて、七つの問いについて学んでいきましょう。

1.戦いの時期


この戦いは、「いつ」起こるのでしょうか。

黙示緑11章ですでに学んだ通り、反キリストは七年の間、この世を支配します。反キリスト支配下の最後の三年半は、大きな苦難の時となります。戦いが始まるのは、この苦難が去った後です。イエス様が義と平和の国を打ち建てられる前の、最後の戦いです。

それでは、「ハルマゲドン」という言葉の意味を見てみましょう。「ハル」とは「山」や「丘」を意味し、「メギッド」は「踏みにじられ、殺され、捨てられる」ことを意味します。この言葉は、しばしば「絶望の山」と訳されます。また、「上からの崩壊」と訳すこともできます。

2.戦いの場所


この戦いは、「どこで」行なわれるのでしょうか。

ハルマゲドンは、カルメル山のふもとにある広い場所であると言われています。この平野は、長さ35キロメートル、幅25キロメートルあります。ここはかつて、ヨシュアがアマレク人を打ち破った場所です。

さて、エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを聖絶し、先にエリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らの中にいることを聞き、大いに恐れた。それは、ギブオンが大きな町であって、王国の都の一つのようであり、またアイよりも大きくて、そこの人々はみな勇士たちであったからである。それで、エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヘブロンの王ホハム、ヤルムテの王ピルアム、ラキシュの王ヤフィア、エグロンの王デビルに使いをやって言った。「私のところに上って来て、私を助けてください。私たちはギブオンを打ちましょう。ギブオンがヨシュア、イスラエル人と和を講じたから。」それで、エモリ人の五人の王たち、エルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシュの王、エグロンの王とその全陣営は、相集まり、上って行って、ギブオンに向かって陣を敷き、それを攻めて戦った。ギブオンの人々は、ギルガルの陣営のヨシュアのところに使いをやって言った。「あなたのしもべどもからあなたの手を引かないで、早く、私たちのところに上って来て私たちを救い、助けてください。山地に住むエモリ人の王たちがみな集まって、私たちに向かっているからです。」そこでヨシュアは、すべての戦う民と、すべての勇士たちとを率いて、ギルガルから上って行った。主はヨシュアに仰せられた。「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。彼らのうち、ひとりとしてあなたの前に立ち向かうことのできる者はいない。」それで、ヨシュアは夜通しギルガルから上って行って、突然彼らを襲った。主が彼らをイスラエルの前でかき乱したので、イスラエルはギブオンで彼らを激しく打ち殺し、ベテ・ホロンの上り坂を通って彼らを追い、アゼカとマケダまで行って彼らを打った。(ヨシュア10・1~10)

また、士師記7章において、ギデオンがミデヤン人を打ち破った場所でもあります。さらに、ヨシヤが死んだのも、この場所です。

そこで、家来たちは彼を戦車から降ろし、彼の持っていた第二の車に乗せた。そして、彼をエルサレムに連れ帰った。彼は死んだので、その先祖たちの墓に葬られた。全ユダとエルサレムはヨシヤのために喪に服した。(第二歴代誌33・24)

最後の戦いは、イスラエルの全地で行われますが、その戦いの中心地が、ハルマゲドンなのです。

3.戦いに参加する者たち


この戦いには、「どのような人々が」参加するのでしょうか。

この地上のすべての軍勢が集められるのです。

ゼカリヤ書には、全地の民がエルサレムに集められることが記されています。

その日、わたしはエルサレムを、すべての国々の民にとって重い石とする。すべてそれをかつぐ者は、ひどく傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来よう。(ゼカリヤ12・3)

反キリストは、ヨーロッパ、北米、中南米、アフリカ、アラブ、ロシア、中国、インド、アジアなど世界中の軍事力を結集してエルサレムに向かってきます。世界最大の軍勢が、キリストとユダヤ人とに戦いを挑んで集結するのです。

彼らは、あなたの民に対して悪賢いはかりごとを巡らし、あなたのかくまわれる者たちに悪だくみをしています。彼らは言っています。「さあ、彼らの国を消し去って、イスラエルの名がもはや覚えられないようにしよう。」彼らは心を一つにして悪だくみをし、あなたに逆らって、契約を結んでいます。(詩篇83・3~5)

4.戦いの目的


「なぜ」、この戦いが行われるのでしょう。

悪魔は、キリストがまもなく来られて地上を支配されることを知っています。ですから、神のご計画を妨げるため、あらゆることを試みます。

また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出てくるのを見た。彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出ていく。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。(黙示16・13~14)

悪魔はキリストに対する憎しみに燃え、その攻撃対象としてユダヤ人を選びます。各国の司令官たちは、ともに集まって戦略を練ります。しかし彼らは、神のさばきのご計画により軍隊がそこに集められたということには、気づいていません。そして恐るべきさばきが彼らに下されるのです。イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書などにおいて、預言者たちは、このさばきがどのようなものであるかを詳細に描いています。ハルマゲドンのさばきは、一日で終わるのではありません。

かつて、殉教者たちが、この日を待ち望んでいたことが、黙示録に示されています。

彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」(黙示6・10)

ついに、その日が来ます。

5.さばきの現われ


このさばきは「どのようにして」現われるのでしょうか。

まず、自然の万象にさばきのしるしが現われます。

恐怖と、戦慄が、この国のうちにある。(エレミヤ5・30)

太陽も月も暗くなり、星もその光を失う。(ヨエル3・15)

闇がこの世を覆います。また天と地が揺り動かされます。

主はシオンから叫び、エルサレムから声を出される。天も地も震える。だが、主は、その民の避け所、イスラエルの子らのとりでである。(ヨエル3・16)

そして、日と月と星には、前兆が現われ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。(ルカ21・25~27)

大きな地震も起こります。

その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたは、わたしの山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、主が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る。(ゼカリヤ14・4~5)

ソドムとゴモラとに天から火が下ったように、ハルマゲドンの戦いにおいても、天から火や雹が下ります。

「わたしは疫病と流血で彼に罰を下し、彼と、彼の部隊と、彼の率いる多くの国々の民の上に、豪雨や雹や火や硫黄を降り注がせる。」(エゼキエル38・22)

また、一タラントほどの大きな雹が、人々の上に天から降って来た。人々は、この雹の災害のため、神にけがしごとを言った。その災害が非常に激しかったからである。(黙示16・21)

疫病がまきちらされます。

主は、エルサレムを攻めに来るすべての国々の民にこの災害を加えられる。彼らの肉をまだ足で立っているうちに腐らせる。彼らの目はまぶたの中で腐り、彼らの舌は口の中で腐る。(ゼカリヤ14・12)

人々は互いに殺しあいます。

「わたしは剣を呼び寄せて、わたしのすべての山々でゴグを攻めさせる。――神である主の御告げ。彼らは剣で同士打ちをするようになる。」(エゼキエル38・21)

恐るべき戦いの背後には、厳然として、神の支配があります。

すべてのさばきは、罪に対するさばきです。主なる神は、ご自身の聖さのゆえに、さばかざるをえません。主なる神は、ご自身の王国を打ち建てられる前に、地上を聖められます。そしてこれらのさばきは、主なる神のみことばにしたがって下されるのです。

ハルマゲドンの戦いは、神に敵対するすべての者の完全な滅びを意味しています。18節にあるとおり、空の鳥は彼らの肉を飽きるほど食べることになります。神とキリストなしにこの地上を欲望のパラダイスに作り変えようとした、すべての人間の努力は、空しくされます。人は蒔いたものを刈り取らなければならないのです。

6.さばきの対象


「誰の上に」さばきが下るのでしょうか。

言うまでもなく、さばきは「反キリスト」と「にせ預言者」に下されます。反キリストの権力の頂点に立つ者は、世界的な独裁者です。この独裁者は、にせ預言者の力によって、世界的な独裁者となったのです。

さて、反キリストとキリストとの戦いは、実際に始まってみると、すぐに終わってしまいます。というのは、イエス様が天の軍勢とともに下られるとき、すべての者が驚きのあまり身動きもできなくなるからです。反キリストの力も、再臨されるイエス様の前にはまったく無力です。イエス様は十字架の上で、悪魔と悪魔の軍勢に対して永遠に完全な勝利をおさめられました。そして、ハルマゲドンにおいては、その十字架の勝利が明らかにされます。

反キリストとにせ預言者とは、永遠の滅びに投げ込まれます。かつて旧約の時代、エノクとエリカは死を見ることなく天に上げられたとあります。これに対し、反キリストとにせ預言者は、生きたまま地獄に閉じ込められるのです。

最後の審判の時が来ても、反キリストとにせ預言者は、さばきの御座の前に現れることさえできません。二人は永遠に滅びの中に投げ込まれたからです。

7.二つの宴会


私たちは、「いかなる宴会に」招かれているのでしょうか。

黙示録19章では、はじめに「小羊の婚姻」について述べられています。9節にある「小羊の婚宴」については、そのすばらしい瞬間を言葉では表現できないので、ほとんど説明がなされていません。

いかなる罪人も、悔い改めてイエス様のみもとに来るなら、罪の赦しを受けます。イエス様のみもとに来てはじめて、人間は罪の赦しと永遠のいのちの確信を得ることができます。それと同時に、この「小羊の婚姻」にあずかる希望も与えられます。

しかし、イエス様を受け入れない人々は、神の「さばきの宴会」にあずかることとなります。

また私は、太陽の中にひとりの御使いが立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛ぶすべての鳥に言った。「さあ、神の大宴会に集まり・・・・。」(黙示19・17)

「神の大宴会」とは、ハルマゲドンの恐ろしいさばきにあうことを意味しています。イエス様に反抗する人々は最も愚かな人々です。反抗する人々、悔い改めをしようとしない人々はすべて、滅びに終わるのです。

イエス様は、「わたしのところに来る者を、私は決して捨てない。」と言っておられます。イエス様のみもとに来て、イエス様に受け入れられる者は、イエス様の婚姻に招かれます。

私たちは「小羊の婚宴」に招かれているのでしょうか。あるいは、「さばきの大宴会」に招かれているのでしょうか。いま、私たち自身の決心が問われているのです。私たちは決然として、イエス様の勝利の側に立とうではありませんか。

今日の科学と技術の世界は、いずれ神のさばきの下に入ります。しかし、そのさばきは、世界の滅亡ではなく、むしろ世界の聖めを意味しています。したがって、最後のさばきの意味するところは、最後の聖めです。さばきを通して聖められるのです。このさばき、すなわち聖めの後に、神の国が実現するのです。

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