2022年5月26日木曜日

すぐに起こるはずのこと【第1巻】まえがき

すぐに起こるはずのこと
【第1巻】ヨハネの黙示録
ゴットホルド・ベック著

イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。(ヨハネの黙示録1.1)

まえがき

ゴットホルド・ベック

ヨハネの黙示録は、初代教会の人々の間で何よりも大切にされました。しかし黙示録の内容と文章は、現代の私たちには難解なところがあり、誤解も多く、霊的に正しく読み解くことは、かなり困難になっています。しかし、この黙示録の中にこそ、末の世にある私たちにとって、何よりも必要なことが示されているのです。私たちはこの黙示録に、もっと注意を向け、深く深く読みこむべきではないでしょうか。

この本は、単に出版するためだけに書かれたものではなく、吉祥寺のキリスト集会で毎週火曜日に開かれている婦人のための学び会で、約1年半ほどの間に学んだヨハネの黙示録についてのメッセージの原稿をまとめて収録したもので、第1巻には初めの3章分が収められています。

このメッセージはカセット・テープにも収録されていて、ジュンノスケさんは天に召される寸前まで、このヨハネの黙示録のメッセージを毎日テープから聴き取って書き続けておられました。また、悩みを持ったキリスト集会のノブコさんは、仕事で困難な状況に直面し、「主イエス様が早く来ないと困っちゃう」と言いました。このように毎日期待をもってイエス様を待ちのぞむ人々は、大いに祝福されます。

最近、交通事故で重傷を負われたサトコさんから、次のようなお便りをいただきました。「あまりに大きな主のご栄光を一人でも多くの方々に知っていただきたく、証しをいたします。自分では書けませんので、主人のヨウイチに口で伝えて書いてもらいました。六月十三日、金曜日朝四時半、主人と私は車で福岡から御代田に向けてスタートしました。前日あまりよく眠れず、山口を過ぎたあたりで主人に運転を替わってもらいました。うつらうつらして目覚めたとき、小谷のドライブ・インの近くでした。休憩しようとドライブ・インに向かいましたが、車のスピードが落ちません。朝食の時間帯でもあり、ドライブ・インは車で混雑していました。突然、「ブレーキがわからない』という主人の声が聞こえ、私の中には祈りも叫びもありませんでした。アクセルを踏み切った状態で三台の車にぶつかり、四台目のトラックに斜めに突っ込むように激突しました。まず主人が運転席のドアを開けて外へでました。猛烈な勢いで白煙が噴き出しました。私はベルトを外し、体を外へ出そうとしましたが、自分の全身の機能が働かないことがわかりました。主人はなぜ私が外へ出ていかないのかわからず、うろうろしていました。声を出すのもやっとの中で、運転席から助手席のドア・ロックを外してもらい、引きずり降ろされるとき、あまりの痛みに『だれか助けて!』と叫んだのを覚えています。横たえられて、平らな地面に心から感謝しました。救急車が来るまでの間、ハレルヤ、主はすばらしい、という思いが行ったり来たりしていました。怪我をしたのは、私一人だけでした。救急車で運ばれた病院には、脳外科が備えられていました。しかもその日は十時から脳外科の手術が予定されていて、担当の先生がなぜか七時半には出勤しておられました。救急車が着くと同時に、手術予定の患者さんのために用意されたMRI、CT検査、脳波、X線検査などの全ての用意を私のために用いてくださり、ただちにドリルで頭の骨に穴が開けられ、そこに金具を取り付けて、牽引治療が始まりました。その治療までの三時間半、生まれてから経験したことのない激痛に苦しんだ時間でした。特にMRIの中での四十分は、苦しみの中でただ聖歌二二九番の「驚くばかりの恵みなり」を何十回となく、うめきながら賛美していました。

呼吸が止まる状況の中で、私は自分の全てが主に覆われていました。集中治療室に運ばれて、頭のボルトに五キロ半の重りがのせられ、首から下は傾斜をつけて、反対方向へ伸ばされました。イエス様は三本の釘で打ちつけられましたが、私は二本でした。

イエス様は体重を支えるすべがありませんでしたが、私の下にはベッドがありました。

そしてイエス様は、苦みの葡萄液を私のために残されました。いま、朝に、昼に、夜に、その苦みでイエス様が共にいてくださいます。

『がんばらなくていい、この病院で一番のわがままでいい、私がこれをした』というイエス様の声が聞こえます。十三日には五キロ半だった重りが、十五日から八キロに増量されました。夕方の六時から朝の四時まで、激痛の中でもだえ苦しみました。涙も出ない痛みでした。四時にふと、イエス様の『もういいよ』という声が聞こえました。ナースコールを押して、『これ以上痛いと背骨がねじれます』と言いました。当直の看護婦さんが先生に電話をしてくださり、やっと痛み止めが処方されました。そして重りが七キロに減らされました。何というすばらしい喜び、平安、感謝・・・・たった七キロと八キロの違いで、天国とこの世を体験しました。それからずっと、この部屋にイエス様がおられます。痛む時、イエス様が痛んでおられます。イエス様に包まれたこのすばらしさは、私にとって何ものにも代えられません。

救急車、警察や病院の方の話でも、私の他に人身事故が起こらなかったのは不思議だと言われました。最後の大型トラックとの衝突も、あと少し角度が違えば夫婦で即死だと言われました。エンジンが火を吹かなかったのも不思議だと言われました。それほどの衝突でありながら内臓の損傷も骨折もありません。主人は鞭打ち症にもなりません。すべてがイエス様の御手の内でした。

ここにこうして静まったとき、去年の暮れからイエス様が私に示してくださったスケジュールの意味が、一つ一つ見えてきました。

『あなたの家を整理せよ』。この御声を何度聞いたことでしょう。九州の家にあるものを、一つ一つ処分しました。今まで捨てられなかった食器、家具、思い出の品、衣類、全部捨てました。聖書と、聖歌と数冊の本以外、何も要らない。はっきりとわかりました。そこに、娘のメグムの結婚問題が起こりました。娘のお相手の方を主は必ず救ってくださるとわかっていながら、そのお約束を心の片すみで信じきれていない自分がいました。

そんなとき、バンコクのよろこびの集いで、ベックさんとお話する機会がありました。聖書を読んでいて二年ほど前から、列王記の中の王が『高き所だけはそのままに残した』という所が気になっていました。主に従いながら、王が取り除かなかった『高き所』の意味が、わかりませんでした。『高き所』とは、高ぶりだろうか、ごう慢だろうかと、ずっと主に尋ねてきました。そのことをベックさんに聞いてみますと、『妥協だよ』とおっしゃいました。そして、『列王記を深く読んでごらん。王の母親の名は書かれているけれど、父親の名はほとんどないよ』ともおっしゃいました。それだけでしたが、耳鳴りがしました。母親の妥協が主の前にどのように罪になっていくかを恐れました。

今度事故に会った旅行は、六月十三日中に御代田について、十四日はよろこびの集い、そして十五日にはメグムのお相手のご一家の方々とお目にかかる予定でした。まだイエス様のことをご存じない方々ですので、救いを切実に祈るとともに、『主よ、あなたが全てをご支配ください。私はどうしたらいいかわかりません。お助けください。私自身はどうなってもかまいません』と祈り続けてきました。『大切な娘が、本当に必要な主の祝福を得られないまま、結婚式をあげようとしています。今、娘のメグムにただ一つ必要なのは、イエス様の愛だけです。あなたが喜ばれないのでしたら、私を止めてください』と祈っていました。

この事故は、完全な主のご愛です。私はその栄光を見ました。私は車からひきずり出された時、目は開けられないのに、全てが輝いていました。そして主の足元に、小さな輝くハンカチのような布に包まれたメグムを見ました。今、主の全てを確信できます。

ベックさんにお願いがあります。メグムから結婚式の日取りを変えてもよいと主人に連絡がありました。私は、この病院の、主の栄光がみちている所で、メグムの結婚式に立ち会いたいです。ベックさん、何とか一日ご都合をおつけください。主が許されれば、両方の小さな家族だけで式が挙げられます。この病院のある西条の地は、私と主人のヨウイチにとって、イエス様の命だけで歩み始めたエデンです。メグムも、ここからスタートしてほしい!

主の御心が成るように祈りつつ・・・・。

追伸、頚椎がうまく脊椎の場所に降りてきています。みんなの顔が見たいよう~。」

こういう心構えがあれば、もう十分です。どういう状況にあっても、このような心構えを持つ人は、幸せではないでしょうか。

イエス様と共にあり、イエス様を待ち望む人々には、大きな大きな祝福が、用意されているのです。

目次

すぐに起こるはずのことヨハネの黙示録(第1巻)

まえがき(ゴットホルド・ベック)

第1部(黙示録、対応する章、節)
1.イエス・キリストの黙示
2.天に秘密をあらわすひとりの神(1・1~3)
3.主なる神のあいさつ(1・4~8)
4.パトモスで与えられた幻(1・9~20)

第2部
1.七つの教会への手紙
2.初めの愛とエペソの教会(2・1~7)
3.苦難に会うように定められていたスミルナの教会(2・8~11)
4.世俗化したペルガモの教会(2・12~17)
5.霊を見分けることを示されたテアテラの教会(2・18~29)
6.実は死んでいるサルデスの教会(3・1~6)
7.勝利を得る者の誉れフィラデルフィヤの教会(3・7~13)
8.満足し、自信を持っているイエス様なしのラオデキヤの教会(3・14~22)

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