2016年1月10日、御代田福音集会
ゴットホルド・ベック
詩篇
37:1 悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。
37:2 彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。
37:3 主に信頼して善を行なえ。地に住み、誠実を養え。
37:4 主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
37:5 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
37:7 主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。
37:8 怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。
37:9 悪を行なう者は断ち切られる。しかし主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。
37:10 ただしばらくの間だけで、悪者はいなくなる。あなたが彼の居所を調べても、彼はそこにはいないだろう。
37:11 しかし、貧しい人は地を受け継ごう。また、豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。
37:34 主を待ち望め。その道を守れ。そうすれば、主はあなたを高く上げて、地を受け継がせてくださる。あなたは悪者が断ち切られるのを見よう。
37:35 私は悪者の横暴を見た。彼は、おい茂る野生の木のようにはびこっていた。
37:36 だが、彼は過ぎ去った。見よ。彼はもういない。私は彼を捜し求めたが見つからなかった。
37:37 全き人に目を留め、直ぐな人を見よ。平和の人には子孫ができる。
37:38 しかし、そむく者は、相ともに滅ぼされる。悪者どもの子孫は断ち切られる。
37:39 正しい者の救いは、主から来る。苦難のときの彼らのとりでは主である。
37:40 主は彼らを助け、彼らを解き放たれる。主は、悪者どもから彼らを解き放ち、彼らを救われる。彼らが主に身を避けるからだ。
私はいつも、マルコ伝を読みなさいと言い続けたんです。どうしてであるかと言いますと、福音書の中で一番、分かりやすいものであるからです。ユダヤ人のためじゃなくて、ローマ人、ローマ帝国に住んでいる人々のために書かれたものです。ですから、旧約聖書から引用されている箇所はあまりない。分かりやすい。
今はそう言いたくない。何を読んでも分かるものではないよ。分からなくてもいいと分かれば正解。ありがたい話じゃないでしょうか。ですから、いろいろなことで悩んでいる人に何を言うかといいますと、『詩篇を読みなさいよ。』詩篇を読んで祈って、祈りながら詩篇を読めば、考え方が変わる。今の箇所もいいでしょう。
詩篇
37:4 主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
37:5 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
考えられないほどすばらしい主の呼びかけであり、約束です。結局、詩篇の作者であるダビデが何を言いたかったかといいますと、主に委ねられた人生は必要、大切、だけではなく、最高だよ。すばらしいものである。イエス様に信頼する者は、後悔しません。その人の人生とは、いったい、どういうものでしょうか?
イエス様に信頼する者の人生は、聖書の中でいろいろと記されています。まず、7つの箇所を開きます。ヨハネ伝の7章。
ヨハネ
7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。
このことばによると、イエス様を信じる者、イエス様に自分自身を委ねる者の人生は、あふるるばかりの人生であるということです。
2番目、同じくヨハネ伝10章10節です。
ヨハネ
10:10 わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。
このことばによると、イエス様に信頼する者の人生は、豊かな人生であります。
3番目、同じくヨハネ伝15章の8節、イエス様は次のように言われました。
ヨハネ
15:8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。
このことばによると、イエス様につながっている者の人生は、多くの実を結ぶ人生です。4番目、今度はローマ書、12章1節、
ローマ
12:1 私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
このことばによると、主に信頼する者の人生は、主イエス様に明け渡された人生です。
5番目、第2コリント6章になります。パウロはコリントにいる兄弟姉妹に次のように書き記したのです。
第2コリント
6:17 それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れる。
この御ことばによると、イエス様に信頼する者の人生は、分離され、聖め、分かたれた人生です。
6番目、信じる者にとって一番、大切な箇所です。
ガラテヤ
2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
このことばによると、イエス様に信頼する者の人生は、キリストとともに十字架につけられた人生です。
そして、7番目は、テモテ第2の手紙。パウロの愛弟子であるテモテに書き送った言葉、すごい言葉です。
第2テモテ
4:7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
4:8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。
このことばによると、イエス様に信頼する者の人生は、結局、勝利の人生です。けども、今日、イエス様を信じる者の人生の別の側面について、すなわち、イエス様に委ねられた人生について、ちょっと考えてみたいと思います。
我々の人生は、イエス様に委ねられた人生であるべきです。その際、私たちは、3つの事柄に注意し、これを覚えなければならないのではないでしょうか。まず第1に、ここで大切なことは、意識的に行われた行動です。
詩篇
37:5 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
ここで、委ねるということは、信頼すること、明け渡すこと、手放すことを意味します。自分の道、また、人生を主イエス様に委ねて、自分自身をイエス様に明け渡す者は、このことを一瞬のうちに行います。私たちが贈り物を渡す時、そのために多くの時間はいりません。私はあなたに、その贈り物を渡し、あなたはそれを受け取ります。
第2番目、『主に信頼せよ。』これもまた、明白な命令です。もちろん、ここで大切なのは、短期間に行われる行動ではなく、継続的に続けられるべき態度です。イエス様にすべてを委ねて、行われた行動の後で、絶えざる信頼の態度が、持ち続けられなければなりません。
ここで大切なのは、意識的にイエス様により頼むことであり、私たちの全信頼は、イエス様に集中されなければなりません。私たちが、我々の道、そして、全生涯をイエス様に委ねた後、すなわち、この意識的に行われた行動の後、私たちの人生の終わりに至るまで、意識的な信頼の態度が続けられなければならない。
そして、第3番目のすばらしい約束は、意識的に主に委ね、意識的に主に、イエス様に全き信頼を置く人々に与えられるものです。すなわち、主は成し遂げてくださいます。これは決して破られない約束です。手放すこと、イエス様に明け渡すことは、一瞬の行動です。イエス様により頼み、意識的に信頼することは、人生の終わりに至るまで、持ち続けなければならない態度です。
そして、イエス様ご自身が、御心が必ず実現されると約束しておられます。すなわち、イエス様ご自身が、成し遂げてくださいます。イエス様ご自身が、成し遂げてくださり、イエス様ご自身が、奇跡をなしてくださるお方であることを、私たちに証明してくださいます。
あなたが1億円を相続し、そのお金があなたの家にあると、考えてください。あなたは、外出するときは絶えず、心配するでしょう。なぜならば、そのお金が安全であるかどうか、分からないから。一人の友だちがその金をあの銀行、あるいは、この銀行に預けるように、そこでは年率10%の利子をもらえると提案するかもしれない。するとあなたは喜んでその提案を受け入れ、そのお金を預け入れるでしょう。すると、あなたは安心感をもって、その銀行から出てくるはずです。いうまでもなく10%の利子をもらえるとは、少なくとも、日本であり得ない。夢の世界です。
けど、確実なところあなたは1億円というような大金は持ってはいないでしょうけど、あなたはそれ以上のもの、すなわち、不滅の魂を持っているんです。イエス様は、言われました。
マタイ
16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。
不滅の魂は、自分の手の中にあるのでしょうか。それとも、それをすでにイエス様に委ねたのでしょうか。それがまだ自分の手の中にあるなら、あなたはきわめて、危険な状況にあります。ですから、イエス様の絶えざる呼びかけとはなんでしょう?
マタイ
11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
ソロモン大王様は言ったのです。
箴言
23:26 わが子よ。あなたの心をわたしに向けよ。
これは全く、主の個人的な呼びかけです。主は誰に対しても無関心ではない。ひとつのことは間違いなく、確実です。すなわち、自分の人生をイエス様に委ね、自分自身を主に明け渡す者は、決して決して後悔しません。イエス様ご自身がその責任をとってくださるからです。
ヨハネ
6:37 わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。
ヨハネ伝6章37節に約束されています。何でもできるお方は、願ってます。「わたしに委ねなさい。わたしにあなたの人生を明け渡しなさい」と、主は、言っておられます。もちろん主は、決して強制なさいません。けど、1人ひとりが、意識的にこの行動を行い、自分自身をイエス様に委ねることを、主は心から、待っておられます。
私たちは既にそれを行ったかな?このことは、一瞬のうちに行われます。もし、そのことをまだ、しなかったのならば、今日そのことを行い、自分の聖書に、次のように書き込んでもいいでしょう。今日、何月何日、「私は、私の道、私の全生涯を、私を愛し、ご自身を私のために捨ててくださったイエス様に委ねました」と。これは意識的に行われるべき行動です。私はそれをすでに行ったのでしょうか。
もちろん、そのことは、その始めにすぎません。あなたが1億円を銀行に預けたならば、あなたのお金は、今や安全、確実で、毎年10%の利子を受け取ることができるという確信を持って生活しますけど、私たちは自分の人生を、イエス様に委ねたならば、私たちは永遠に安全であるということを知ることができます。イエス様は次のように言われました。
ヨハネ
10:27 わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。
10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。
イエス様が、我々に教えたいと思っておられる最も大切な教訓のひとつは、自分が主に完全に信頼できるという事実です。イエス様はただ単に救ってくださるだけではなくて、イエス様が救ってくださったすべての人を、守ってくださいます。
第1ペテロ
5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
私たちが自分の道、自分の全生涯をイエス様に委ねたならば、イエス様の刺し通された御手のうちに、私たちは確実に守られ、安全であるということを知ることができます。けど、大切なことは、日々、一瞬一瞬、イエス様に完全に信頼すること、すなわち、もはや、何ものも自分で、手に入れたいと思わないこと、もはや、思い煩ったり、心配したりしないことです。こうした信頼の態度は、主に栄光を帰します。パウロは、この態度をとりました。
第2テモテ
1:12 私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。
すばらしい確信なのではないでしょうか。また、ヨハネ伝1章12節に、この方を受け入れた人々、あるいは主にゆだね、主に明け渡した人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった、とあります。イエス様を自分の人生の中に受け入れた者は、主のものであり、主のものであり続けるのです。主の御手のうちに守られ、安全であり続けます。自分の道を主に委ね、絶えず主に信頼する者は、主が成し遂げてくださることを経験します。
すなわち、イエス様は、我々を目標に導いてくださいます。イエス様は、ご自分の約束を必ず守ってくださいます。イエス様はみことばを必ず守られるお方です。イエス様は、信頼できるお方です。イエス様は、成し遂げてくださるお方です。
銀行はあなたに10%の利子をくれるかもしれない。しかし、ご在天の父なる神はそれ以上のものを与えてくださり、いわば100%の利子を与えてくださいます。マタイの19章の中で次のように書かれています。イエス様は弟子たちに質問してくださったんですね。
マタイ
19:27 そのとき、ペテロはイエスに答えて言った。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」
19:28 そこで、イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。
19:29 また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。
前に読んでもらいました詩篇の37編では、3つのことがさらに指摘されているようです。第一番目。
詩篇
37:1 悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。
すなわち、腹を立てるな、ねたみを起こすなと指摘されています。けど、このことは、私たちが他の人を見るとき、そういう状態になりやすいものです。けど、私たちは、自分の人生をイエス様に委ねた者の罪は、赦されているということ、そして、自分の力で主に仕えたいという重荷から解放されていることを、決して忘れてはなりません。
なぜなら、これこそあらゆる重荷からの解放であるからです。主ご自身が、責任をとってくださいます。既に旧約聖書の中で書かれています。
イザヤ
40:11 主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。
53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。
お別れの言葉として、イエス様は言われたことがあります。
ヨハネ
14:1 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
もうすごい、想像できない考えられない約束なのではないでしょうか。
詩篇
37:11 しかし、貧しい人は地を受け継ごう。また、豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。
イザヤ
26:3 志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。
26:4 いつまでも主に信頼せよ。主は、とこしえの岩だから。
意識的に、イエス様に自分の全生涯を明け渡し、イエス様に全く信頼するならば、人のすべての考えに勝る、主ご自身の平安が、我々の心と思いを主イエス様にあって、守ってくれると約束されています。私たちが、自分の人生をイエス様の御手に明け渡すと、自分のために刺し通されたイエス様の御手は、決して、自分を放しません。ヘブル書の13章5節、すばらしい約束です。
ヘブル
13:5 主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
13:6 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」
イエス様は成し遂げてくださる、すばらしいお方であることをいつも明らかにしてくださる事実を覚えて、本当に感謝せざるを得ません。

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