2023年1月8日日曜日

私たちキリスト者にとって、今年はどんな年になるか

私たちキリスト者にとって、今年はどんな年になるか

2023年1月8日、町田福音集会
重田定義兄

ローマ
5:2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

新しい年になりますと、誰でも、今年はどんな年になるだろうかと考えるのではないでしょうか?とくに昨年は、前の年から続いているコロナの流行に加えて、ロシアのウクライナ侵攻が始まり、世界中に嵐のような軍事的緊張、そして、政治的、経済的混乱を引き起こしました。そして、この嵐は、一向に収まる気配もなく、今年も人々は、不安と恐れを抱きながら、望みのない思いで新しい年を迎えたのではないでしょうか?

私たちキリスト者も、この世界に生きている以上、この嵐の中で暮らさなければなりません。では、私たちもこの世の人々と同じような気持ちで、新年を迎えたのでありましょうか。そうではないでしょう。なぜなら、同じ嵐も、私たちはそれを信仰によって受けとめることができるからであります。

では、私たちキリスト者は、今年をどんな思いで受けとめることができるのでありましょうか?その答えは、読んでいただいたローマ人への手紙のみ言葉の中にあります。すなわち、今年は、私たちキリスト者にとって、患難の年であり、忍耐の年であり、そして、希望の年であるということであります。いったい、どうしてなのでしょうか?今日は、このみことばについて、さらに深く考えてみたいと思います。

イエス様は、捕らえられる前、弟子たちを励まして、次のようにおっしゃいました。

ヨハネ
16:33 ・・・・あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。

イエス様がおっしゃったように、イエス様を信じる者は、この世にあっては、さまざまな患難があります。この世に来られたイエス様も多くの患難をお受けになりました。その最たるものが十字架の死であります。

しかし、イエス様はその患難である死に勝利されました。そして、イエス様は弟子たちに、そして、また私たち信者に、ご自分を信頼する限り、人間にとってどんな患難も、最大の患難である死にさえも勝つことができると励ましてくださっているのであります。

また、私たち、キリスト者にとって、患難は信仰の試練と受けとめることもできます。信仰の試練について、ペテロは、その第一の手紙の一章の七節にこう言っています。

第一ペテロ
1:7 信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。

また、ヤコブはその手紙の一章で、こう私たちを励ましています。

ヤコブ
1:2 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
1:3 信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
1:4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長(・・・・これは信仰の成長ですね・・・・)を遂げた、完全な者となります。

これらの御言葉からわかりますように、私たちキリスト者にとって、患難という試練は、信仰の成長のためにたいへん大切なものなのであります。そういう意味で、ペテロは信仰にとって患難という試練は、金よりも尊い、だから、むしろ喜ぶべきことであると言っているのであります。

主イエス様は、親が愛する子の成長を望むように、私たちキリスト者がいつまでも、生まれた子供のままのような信仰にとどまっているのを喜ばれません。私たちの信仰が成長するのを心から望んでおられます。そのために、イエス様は、さまざまな訓練を私たちに与えてくださるのであります。

それが信仰の試練であり、私たちキリスト者には患難と言うかたちとなって現れるのであります。イエス様はその患難について、ルカの22章で、弟子のペテロに次のようにおっしゃいました。

ルカ
22:31 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
22:32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。・・・・

これは、すなわち、私たちキリスト者に襲いかかる激しい患難も、サタンが主なる神様に願って聞き届けられた信仰の試練であり、その試練によって、私たちの信仰が失われないように、イエス様は私たちのために祈ってくださっているということなのであります。

さらに信仰の試練については、へブル人への手紙の12章の五節にこうあります。

ヘブル
12:5 ・・・・あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。
12:6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。・・・・

キリスト者が主から与えられた懲らしめを、親が愛する子に与える訓練と思って、感謝して、忍耐するように――このように記しております。

では、この忍耐を生み出すもっとも大きな原動力は何でしょうか?いろいろな忍耐を生み出す力もあると思いますけれども、その中でも最大の原動力は、いったい何でありましょうか?それは、イエス様が、間もなく再び来られる――すなわち、主のご再臨が間近いという確かな希望であります。イエス様は、弟子たちに別れを告げられるときに、次のようにおっしゃいました。

ヨハネ
14:2 ・・・・あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

イエス様は、弟子たちをはじめ、イエス様を信じる私たちを、天の御国のご自分のみもとに置いてくださるために、いったん、この世を去られ、イエス様を信じるすべてのものの住む場所を用意されたら、再び迎えに来ると約束しておられます。

では、主はいつ私たち、キリスト者を迎えに来てくださるのでしょうか?

ヤコブ
5:7 こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。
5:8 あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。

また、へブル人への手紙10章には、こうあります。

へブル
10:37 もうしばらくすれば、来るべき方(・・・・すなわちイエス様・・・・)が来られる。おそくなることはない。

さらに、ヨハネの黙示録の22章には、イエス様ご自身が、『よ、わたしはすぐにくる』と三度も、ご再臨の近いことを約束しておられるのであります。このご再臨が近いという希望があるからこそ、私たちキリスト者は、喜んで患難を忍耐することができるのであります。

では、私たちキリスト者が、イエス様のご再臨に、大きな希望を置いている理由は、いったい何なのでありましょうか?それは、ピリピ人への手紙、三章の20節から21節にこうあります。

ピリピ
3:20 ・・・・私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
3:21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

ヨハネの手紙第一の三章にはこうあります。

第一ヨハネ
3:2 ・・・・キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。

このように、イエス様のご再臨の時、私たちのはかない朽ちる体を、イエス様に似た朽ちない清い栄光の体に変えてくださって、天の御国に携え挙げてくださるというイエス様のお約束があります。イエス様に似た体に変えられた私たちキリスト者が天の御国で、直接、父なる神様、そして、御子なるイエス様のお顔を拝して、礼拝を捧げる時に、大いなる救いの御業が完了いたします。

パウロは、ローマ書で、次のようにいっています。

ローマ
8:18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。

また第二コリントの四章でも、こう言っております。

第二コリント
4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。

まさに近い将来に、私たちキリスト者に与えられるこの計り知れないほどの栄光に比べれば、今、私たちがあっている患難は取るに足りないと言えるのではないでしょうか。

私たちは、恵みによって与えられた御霊によって、このように主の限りない大きな御愛が、私たちひとりひとりにそそがれていることを深く覚え、心から主に感謝し、今年もいかなる患難が起ころうとも、喜んで、ご再臨が間近いことを、希望をもって待ち望み、忍耐しつつ、主にすべてをお委ねして、過ごそうではありませんか?

最後に、もう一度、最初に読んでいただいたみ言葉を読みして終わります。

ローマ
5:2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

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