2016年5月8日日曜日

イエス様は成し遂げてくださる

イエス様は成し遂げてくださる
2016年5月8日、吉祥寺福音集会
ゴットホルド・ベック

詩篇
37:1 悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。
37:2 彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。
37:3 主に信頼して善を行なえ。地に住み、誠実を養え。
37:4 主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
37:5 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
37:6 主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。
37:7 主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。
37:8 怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。
37:9 悪を行なう者は断ち切られる。しかし主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。
37:10 ただしばらくの間だけで、悪者はいなくなる。あなたが彼の居所を調べても、彼はそこにはいないだろう。
37:11 しかし、貧しい人は地を受け継ごう。また、豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。

37:34 主を待ち望め。その道を守れ。そうすれば、主はあなたを高く上げて、地を受け継がせてくださる。あなたは悪者が断ち切られるのを見よう。
37:35 私は悪者の横暴を見た。彼は、おい茂る野生の木のようにはびこっていた。
37:36 だが、彼は過ぎ去った。見よ。彼はもういない。私は彼を捜し求めたが見つからなかった。
37:37 全き人に目を留め、直ぐな人を見よ。平和の人には子孫ができる。
37:38 しかし、そむく者は、相ともに滅ぼされる。悪者どもの子孫は断ち切られる。
37:39 正しい者の救いは、主から来る。苦難のときの彼らのとりでは主である。
37:40 主は彼らを助け、彼らを解き放たれる。主は、悪者どもから彼らを解き放ち、彼らを救われる。彼らが主に身を避けるからだ。

詩篇が与えられているから、本当にありがたい。人間はいろいろなことで悩むと、どうしたらいいの、と聞かれると、私はだいたい詩篇を読みなさいよ。詩篇を読んで祈って、祈りながら詩篇を読みなさい。本当に宝物です。ダビデの宝物と詩篇は呼ばれています。本当にどういうことがあっても、祈りながら詩篇を読んで、詩篇を読みながら祈ると、結局、光が与えられます。また、安心して、前向き生活することができます。

我々の人生は、いったいどういうものであるべきでしょうか?言うまでもなく、主にゆだねられた人生であるべきです。三つの事柄について、ちょっと一緒に考えて見たいと思います。まず、第一番目、大切なのは、意識的に行われる行動です。

詩篇
37:5 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

ここで、ゆだねるということは、信頼すること、明け渡すこと、手放すことを意味しています。自分の道、自分の人生を主イエス様にゆだね、自分自身を主に明け渡す者は、このことを一瞬のうちに行います。私たちが贈り物を渡す時、そのために多くの時間は別にいりません。贈り物を渡し、あなたはそれを受け取ります。もう終わり。意識的に行われる行動であります。

第二番目、『イエス様に信頼せよ。』これもまた、明白な命令です。提案ではない。もちろんここで、大切なのは、短期間に行われる行動ではなく、継続的に続けられるべき態度です。イエス様にすべてをゆだねて、行われた行動の後で、絶えざる信頼の態度が、持ち続けられなければなりません。

ここで大切なのは、意識的に主により頼むことであり、我々の全信頼はイエス様に集中されなければなりません。私たちが、我々の道、そして、全生涯をイエス様にゆだねた後、すなわち、この意識的に行われた行動の後、我々の人生の終わりに至るまで、意識的な信頼の態度が続けられなければなりません。

第三番目に、すべてのすばらしい約束は、意識的に主にゆだね、意識的に主に全き信頼を置く人々に与えられます。すなわち、主は成し遂げてくださいます。信じる者どうしが会えば、あいさつとして、これはいい挨拶じゃないかね?『主は成し遂げてくださる。』そうすると、心配しなくてもいい。ゆだねましょう。主は成し遂げてくださる。これは決して破られない約束です。手放すこと、主に明け渡すことは、一瞬の行動です。イエス様により頼み、意識的に信頼することは、人生の終わりに至るまで、持ち続けられなければならない態度です。

そして、主ご自身が、御心は必ず実現されると約束しておられます。すなわち、主ご自身が、成し遂げてくださり、主ご自身が、奇跡をなしてくださるお方であることを、証明してくださいます。

あなたが一億円を相続し、そのお金があなたの家にあると、考えてください。あなたは、外出するときは絶えず、心配するんじゃないでしょうか?なぜならば、そのお金が本当に安全かどうか、分からないから。一人の友だちがそのお金を銀行、あるいは、この銀行に、あそこの銀行に預けるように、そこでは年率10%の利子をもらえると提案するかもしれない。するとあなたは喜んでその提案を受け入れ、そのお金を預け入れるでしょう。それであなたは安心感をもって、その銀行から出てくるはずです。いうまでもなく10%の利子をもらえるとは、分からなくても、おそらく日本であり得ない。夢の世界なのではないでしょうか?

けど、確実なところあなたは一億円というような大金は持ってはいないでしょうけど、あなたはそれ以上のもの、すなわち、不滅の魂を持っているんです。イエス様は、言われました。

マタイ
16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。

不滅の魂は、自分の手の中にあるのでしょうか。それとも、それをすでにイエス様にゆだねたのでしょうか。それがまだ自分の手の中にあるなら、あなたはきわめて、危険な状況にあります。ですから、イエス様は、呼びかけておられます。

マタイ
11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

箴言
23:26 わが子よ。あなたの心をわたしに向けよ。

これは全く、主の個人的な呼びかけです。主は誰に対しても無関心ではありません。愚かな人間とはどういうものであるかと言いますと、『私なんていてもいなくても、』と思う人々じゃないでしょうか。人間一人一人が主にとって考えられないほど大切です。どうしてか、なぜか、それは分からない。捨てられてもいいのに。ゴミのようなものでしょう、私たちは。けども、イエス様は決して捨てません。ありがたいのではないでしょうか。

ひとつのことは間違いなく、確実です。すなわち、自分の人生を主にゆだね、自分自身を主に明け渡す者は、決して後悔しません、ということ。イエスご自身がその責任をとってくれます。

ヨハネ
6:37 わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。

何でもできるお方は、願っておられます。『わたしにゆだねなさい。わたしにあなたの人生を明け渡しなさい、』と、主は願っています。決して強制しません。けど、一人ひとりが、意識的にこの行動を行い、自分自身を主にゆだねることを、主は待っておられます。

私たちは既にそれを行ったことがあるでしょうか。このことは、一瞬のうちに行われます。もし、そのことをまだ、しなかったのならば、今日そのことを行い、自分の聖書に、次のように書き込んでもいいかもしれない、『今日、何月何日、私は、私の道、私の全生涯を、私を愛し、ご自身を私のために捨ててくださった主イエス様にゆだねました、』と。これは意識的に行われるべき行動です。私たちは、それをすでに行ったのでしょうか?

もちろん、このことはその初めに過ぎません。あなたが一億円を銀行に預けたならば、あなたのお金は、今や安全、確実で、毎年10%の利子を受け取ることができるという確信を持って生活しますけど、私たちは自分の人生を、イエス様にゆだねたならば、私たちは永遠に安全であるということを知ることができます。イエス様は次のように言われました。よく知られている箇所ですけれど、素晴らしい約束です。

ヨハネ
10:27 わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。
10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。

イエス様が、我々に教えたいと思っておられる最も大切な教訓の1つは、自分が主に完全に信頼できるという事実です。イエス様はただ単に救ってくださるだけではなく、イエス様が救ってくださったすべての人を、守ってくださいます。ペテロは、それを当時の信じる者に書き送ったのです。励ましの言葉としてでしょうね。

第一ペテロ
5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

私たちは、自分の道、全生涯を主にゆだねたならば、主イエス様の刺し通された御手のうちに、私たちは確実に守られ、安全であるということを知ることができます。しかし、大切なのは、日々、一瞬一瞬、主に完全に信頼すること、すなわち、もはや何ものも自分の手で、自分で手に入れたいと思わないこと、もはや、思い煩ったり、心配したりしないことです。

こうした信頼の態度は、イエス様に栄光を帰します。パウロは、この態度をとりました。テモテ第2の手紙の中で、ひと文章だけですけど素晴らしい告白であり、また証しです。

第2テモテ
1:12 私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。

素晴らしい告白、また証しなのではないでしょうか。ヨハネ伝の中で1章12節に書いてます、『この方を受け入れた人々・・・、』あるいは、主にゆだね、自分を主に明け渡した人々には、『神の子どもとされる特権をお与えになった。』

イエス様を自分の人生の中に受け入れた者は、神のものであり、神のものであり続けるのです。イエス様の御手のうちに守られ、安全であり続けます。自分の道を主にゆだねれば、そして、絶えず主に信頼する者は、イエス様が成し遂げてくださることを、経験します。

イエス様は、我々を目標に導いてくださいます。ご自分の御約束を守ってくださいます。イエス様は、みことばを必ず守られるお方であり、イエス様は信頼できるお方です。成し遂げてくださるお方です。もう一か所読みます。

マタイ
19:27 そのとき、ペテロはイエスに答えて言った。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」
19:28 そこで、イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。
19:29 また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。

前に読んでもらいました詩篇の37章では、3つのことが、さらに指摘されているんじゃないかと思います。

詩篇
37:1 悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。

すなわち、腹を立てるな、ねたみを起こすな、と指摘されています。けども、このことは、我々が他の人を見ると、そういう状態になりやすいものです。けども、私たちは、自分の人生を主に委ねた者の罪は赦されているということ、そして、自分の力で主に仕えたいという重荷から解放されていることを、決して忘れてはなりません。

なぜなら、これこそあらゆる重荷からの解放であるからです。主ご自身が、成し遂げてくださる。主ご自身が責任をとってくださる。イザヤ書の中で当時の預言者、イザヤは次のように書き記したのです。

イザヤ
40:11 主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。

53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。

イエス様は、いわゆる別れの言葉として、次のように当時の信じるものを励ましてくださいました。この別れの言葉はヨハネ伝の14章に書かれています。

ヨハネ
14:1 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

想像できない約束です。詩篇に戻ります。

詩篇
37:11 しかし、貧しい人は地を受け継ごう。また、豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。

約2600年前にイザヤも似ている事実について書いたのです。非常に素晴らしい約束であります。

イザヤ
26:3 志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。
26:4 いつまでも主に信頼せよ。主は、とこしえの岩だから。

意識的に、イエス様に自分の全生涯を明け渡し、イエス様に全く信頼するならば、人のすべての考えに勝る、主ご自身の平安が、我々の心と思いを主イエス様にあって、守ってくれるとはっきり約束されています。私たちが、自分の人生をイエス様の御手に明け渡すならば、自分のために刺し通された主イエス様の御手は、もはや決して、自分を放しません。ヘブル書の13章5節に次のように書かれています。毎日、考えるべき、喜ぶべき約束じゃないでしょうか。

ヘブル
13:5 主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
13:6 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」

結局、イエス様によって完全な満足が約束されています。前に読んでもらいました詩篇37編の4節、

詩篇
37:4 主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。

イエス様との交わりは、我々に完全な満足を与えてくださいます。我々のの喜びと我々の平安は、目に見える世界とは無関係です。イエス様ご自身は我々の喜びと満足の源であるからです。イエス様は、我々の切なる願いをすべて満たしてくださり、主イエス様を知ること、主イエス様を持つことは、我々の永遠の幸せとなります。自分をイエス様に明け渡し、イエス様に信頼しましょう。そうすれば、イエス様は、我々の心が願うものを、我々に必ず与えてくださいます。イエス様は成し遂げてくださり、すばらしいお方であることを必ず明らかにしてくださいます。

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