2015年9月22日火曜日

果たされた救いの計画(四)

果たされた救いの計画(四)
2015年9月22日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

マタイ
27:45 さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。
27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
27:47 すると、それを聞いて、そこに立っていた人々のうち、ある人たちは、「この人はエリヤを呼んでいる。」と言った。
27:48 また、彼らのひとりがすぐ走って行って、海綿を取り、それに酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。
27:49 ほかの者たちは、「私たちはエリヤが助けに来るかどうか見ることとしよう。」と言った。
27:50 そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。
27:51 すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。
27:52 また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。
27:53 そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都にはいって多くの人に現われた。
27:54 百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、「この方はまことに神の子であった。」と言った。

ルカ
24:13 ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。
24:14 そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。
24:15 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。
24:16 しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。
24:17 イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。
24:18 クレオパというほうが答えて言った。「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけが知らなかったのですか。」
24:19 イエスが、「どんな事ですか。」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエスのことです。この方は、神とすべての民の前で、行ないにもことばにも力のある預言者でした。
24:20 それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけたのです。
24:21 しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、
24:22 また仲間の女たちが私たちを驚かせました。その女たちは朝早く墓に行ってみましたが、
24:23 イエスのからだが見当たらないので、戻って来ました。そして御使いたちの幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。
24:24 それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、イエスさまは見当たらなかった、というのです。」
24:25 するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。
24:26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」
24:27 それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。
24:28 彼らは目的の村に近づいたが、イエスはまだ先へ行きそうなご様子であった。
24:29 それで、彼らが、「いっしょにお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もおおかた傾きましたから。」と言って無理に願ったので、イエスは彼らといっしょに泊まるために中にはいられた。
24:30 彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。
24:31 それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。

イエス様は、暗闇から光へ、奴隷から解放へ、死からいのちへ、導いてくださるお方です。

使徒行伝
2:32 神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。

聖書を読むと、確かに、たくさんの奇蹟について報告されています。しかし、その中で、いちばん大きな奇跡は、言うまでもなく、イエス様のよみがえりの奇蹟です。イエス様のよみがえりは、世界の歴史の中で、いちばん大きな出来事です。

イエス様のよみがえりは、イエス様だけが救いに至る道であるという、いちばん大きな証拠です。イエス様のよみがえりは、主なる神の力のいちばん大きな現れです。もちろん、福音のもっとも偉大な、大切な真理です。

私たち信じる者にとって、イエス様のよみがえりは、本当に大切です。イエス様は、ご自分の弟子たちに、自分が死ぬことを、もちろん、何回も何回も、告げてくださった時、必ずよみがえりのこともお話しになりました。

マタイ
16:21 その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。

もちろん、弟子たちは、それを聞いても考えられなかったし、信じようとしなかったのです。けれども、イエス様は、殺されると言われただけではなく、必ず三日目によみがえると言われたのです。残念ですけど、弟子たちは、それを信じなかったのです。殺されてから三日でまた会えると解ったならば、まだ二日、まだ一日、何時間以内にまた会えるという確信があったならば・・・・。けれども、誰も信じられなかった。

けれども、イエス様は、復活なさいました。生きておられるお方です。イエス様だけが、よみがえられたのです。本当に主はよみがえった!と、当時の人々は、よろこんで告白したのです。「神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。」

復活なさったイエス様に出会った人々とは、五百何十人だった。何かあれば、証人は、だいたい一人か二人で充分です。五百何十人いたら、もうお話にならない。決まり!
エス様は復活なさいました。

この地上におられた時、イエス様は、はっきりと、「わたしは、約束された救い主です。神の子です」と言われました。そして、イエス様は、神の御子として、創造主なる神だけが成し得る、力ある業を成されたのです。けれども、当時のパリサイ人、宗教家たちは、イエス様が神の子であることを、もちろん、考えられなかったし、信じようとしませんでした。そして、彼らは、イエス様が本当に約束された救い主であるというしるしを求めました。イエス様の答えは、次のものです。

マタイ
12:39 しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。
12:40 ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。」

イエス様は、こう言われたのです。結局、イエス様は、もしわたしがよみがえったならば、わたしは約束された救いの神であると言われました。この意味は、わたしのよみがえりは、イエス様が約束された救い主であり、神の御子であることの証拠です。

そして、イエス様は、実際によみがえられました。どうして?神の御子だったからです。

また、イエス様のよみがえりは、イエス様が私たちの罪を担われた証拠でもあります。もしイエス様がよみがえられなかったならば、イエス様は結局、嘘つきであり、自分の罪のために死んだことになり、私たちには、救いが来なかったでしょう。

イエス様のよみがえりは、死に対する勝利でもあります。イエス様は、罪を犯されませんでしたから、死はイエス様の前には何の力も持っていなかったのです。パウロは当時の信じる者に次のように書いたのです。

「もし、キリストがよみがえらなかったら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰もむなしいはずです。もし、キリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、今もなお罪の中にいることになります。またキリストを信じて死んだ人々は、滅んでしまったことになります。もし、私たちがこの世の生活で、キリストにあって単なる望みを抱いているのであれば、私たちはすべての人の中で、最もあわれむべき存在である」と、パウロは書いたのであります。

【参考】第一コリント(口語訳)
15:14 もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。

【参考】第一コリント(口語訳)
15:17 もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。
15::18 そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。
15:19 もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。

けれども、イエス様は、よみがえられました。これは、我々の喜びであり、拠り所であり、また、力です。

イエス様のよみがえりの証拠について、一緒に考えてみたいと思います。よみがえりには、十二の事実があります。イエス様のよみがえりの証拠は、よみがえられたイエス様を見た人がいることです。

まず、イエス様は、エルサレムで一人の女性、かつて悪霊につかれたマグダラのマリヤに姿を現しました。

マルコ
16:9 さて、週の初めの日の朝早くによみがえったイエスは、まずマグダラのマリヤにご自分を現わされた。イエスは、以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたので(す)。

彼女は、イエス様が十字架につけられ、死なれた時、いかに悩んだのか、がっかりしたのか、想像できません。もう、もう、もう、生きたくない。全部つまらない。寂しいと思ったにちがいない。けれども、復活されたイエス様との出会いによって、彼女の考え方は変わりました。心から感謝することができたのです。

二番目、次に同じく、エルサレムで、他の婦人たちに、ご自身をイエス様は現してくださったのです。

マタイ
28:8 そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。
28:9 すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう。」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。

三番目、ペテロがイエス様を見たのです。いわゆるよみがえりの書、コリント第一の手紙の十五章の中で、簡単に書いてあります。十五章五節、『また、ケパに現われた。』

その次に、四番目、二人の弟子たちが、エマオでイエス様に会ったのです。前に読んでもらいました、ルカ伝二十四章十五節から、ずっとこのすばらしい事実について書き記されています。

ルカ
24:31 それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。

五番目、イエス様は、トマスを除いて、十人の弟子たちに、同じくエルサレムで、ご自身を現されました。

ヨハネ
20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」

20:24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。

けれども、今度は、六番目、トマスを加えた十一人の弟子たちに、イエス様は現れたのです。

ヨハネ
20:26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われた。
20:27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
20:28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

七番目、ガリラヤの湖畔で魚をとっている七人の弟子に、復活なさったイエス様が現れたのです。今日は読む時間がないけど、ヨハネ伝二十一章の一節から二十四節までを見ると、この出会いについて、詳しく書き記されています。

八番目、ガリラヤの山の上にいる十一人の弟子たちに、ご自身を現しました。

マタイ
28:16 しかし、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。
28:17 そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。
28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」

九番目、イエス様は五百人以上の兄弟たちに現れたのです。五百人以上の証人があれば、もう決まり!

第一コリント
15:6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。

十番目、イエス様は、今度、ヤコブに会いました。

第一コリント
15:7 その後、キリストはヤコブに現われ・・・・ました。

十一番目、イエス様は、昇天される前に、十一人の弟子たちと共におられたのです。

使徒行伝
1:3 イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。
1:4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
1:6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
1:7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
1:9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。

そして、十二番目、後にイエス様は、パウロにもご自身を現しました。

使徒行伝
9:1 さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、
9:2 ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。
9:3 ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。
9:4 彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。
9:5 彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。

この一文章によって、彼は、もちろん、驚いただけではなくて、どういう気持ちになったか、ちょっと言い表せないほど。結局、イエスは、まだ生きている!彼には考えられないことだったのです。

今、話した彼らは、イエス様のよみがえりの確かな証拠ではないでしょうか。けれども、力強いことに、今日(こんにち)の救われた一人ひとりも、主イエス様のよみがえりの力を経験したのではないでしょうか。

一人ひとりは、結局、イエス様の復活の証拠にもなります。自分のわがままをイエス様のところへ持っていき、イエス様から罪の赦しをいただいた人はみな、イエス様のよみがえりを信じているだけではなくて、よみがえりの証人なのではないでしょうか。

イエス様を信じるということは、イエス様を受け入れることです。イエス様を受け入れてしまった人は、みな、告白できます。「主は生きておられる。私の祈りを聞いてくださる。何でも委ねることができる。イエス様は、私にとってすべてのすべてである」と、証しすることができるに違いない。

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