2022年1月9日日曜日

新しい歌を主に歌おう

新しい歌を主に歌おう
2022年1月9日、町田福音集会
重田 定義

詩篇
96:1 新しい歌を主に歌え。全地よ。主に歌え。
96:2 主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと、御救いの良い知らせを告げよ。

ここで、この詩篇の作者は、『さあ、神様にむかって、新しい賛美の歌を歌おう!』と言うふうに呼びかけております。賛美の歌とは、言うまでもなく、神様のご栄光を褒め称える歌であり、それを歌う者は、すべて神のしもべたちであり、神の民であり、神の子供たちであります。その者たちが、自分たちの神をほめたたえ、自分たちにしてくださった大いなる恵みを感謝して、主に向かって、ハレルヤ!と賛美の歌を歌うのであり、そして、その賛美の歌を日々、新鮮な思いで歌おうと言うふうに、呼びかけているのであります。

詩篇の113篇も、そのような歌であります。

詩篇
113:1 ハレルヤ。主のしもべたちよ。ほめたたえよ。主の御名をほめたたえよ。
113:2 今よりとこしえまで、主の御名はほめられよ。
113:3 日の上る所から沈む所まで、主の御名がほめたたえられるように。
113:4 主はすべての国々の上に高くいまし、その栄光は天の上にある。
113:5 だれが、われらの神、主のようであろうか。主は高い御位に座し、
113:6 身を低くして天と地をご覧になる。
113:7 主は、弱い者をちりから起こし、貧しい人をあくたから引き上げ、
113:8 彼らを、君主たちとともに、御民の君主たちとともに、王座に着かせられる。
113:9 主は子を産まない女を、子をもって喜ぶ母として家に住まわせる。ハレルヤ。

この詩篇には、偉大なる創造主である神様が、私たちに何をしてくださったか、どんな恵みを与えてくださったが歌われております。

神様は、天よりも高い御座から、身を低くして、弱い者や貧しいものや子を産めない悲しみの女などに代表されるすべての心砕かれた者を顧みてくださり、哀れんでくださって、その者たちを、悲しみの泥沼から引き上げてくださるとあります。

『だれがわれらの神、主のようであろうか』と、この詩篇の作者が賛美しておりますように、私たちの主なる神様は、このような深い愛と恵みに富む神様なのであり、その神様の御名をほめたたえる歌を歌う時、私たちの心は、感謝と喜びにあふれるのであります。

神の御子、イエス様がこの世に来てくださる前は、神様は預言者を用いて、ご自分のみこころを知らせてくださいましたけれども、今、私たちは、更に幸いなことにイエス様が、『わたしを見た者は父を見たのです』とおっしゃっていますように、神様に背いて、わがまま勝手に生きるという罪を犯していた私たちを救い出すために、卑しい人の姿で、貧しい人の姿でこの世に来て、十字架にかかって死んでくださり、よみがってくださったその御子イエス様の中に、私たちは、父なる神の姿を見ることができるのであります。

ピリピ
2:6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。 
2:9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
2:10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
2:11 すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。

こうあります通りに、救われた私たちは、開かれた霊の目で、神としてのイエス様を見ることができ、ほめたたえることができるのは、なんという喜びでありましょうか?幸せでありましょうか?

また、主に向かって、新しい思いで、賛美の歌を歌うときは、私たちの親しい人々が、救われた時ではないでしょうか?

私たちは、自分の家族や友人たち、あるいは、集会の兄弟姉妹の家族や友人たちが、実に奇しい方法で導かれ、イエス様を信じ、救いにあずかるの何度も見ております。しかし、私たちの目には、それが奇蹟と映っても、イエス様は、あらかじめ救おうと定められた人を、その人に、もっともふさわしい方法で、もっともふさわしい時に、お救いになるのであります。そのようにして選ばれ、救われたひとりひとりを見るたびに、私たちは、心おどる思いで、主に向かって、新しい賛美の歌を喜び歌うのであります。

詩篇
98:1 新しい歌を主に歌え。主は、奇しいわざをなさった。その右の御手と、その聖なる御腕とが、主に勝利をもたらしたのだ。
98:2 主は御救いを知らしめ、その義を国々の前に現わされた。
98:3 主はイスラエルの家への恵みと真実を覚えておられる。地の果て果てまでもが、みな、われらの神の救いを見ている。
98:4 全地よ。主に喜び叫べ。大声で叫び、喜び歌い、ほめ歌を歌え。

また、既に救われた私たち自身も、信仰の試練に会うたびに、新しい思いで、主に向かって賛美の歌を歌います。

私たちは救われても、この世におかれているあいだは、さまざまな試練があります。それは、主が私たちの信仰を鍛えて、神の子にふさわしく育ててくださるための愛のむちと、私たちは受け取っております。ペテロは、キリスト者の試練がどのような意味をもっているのかを、次のように述べております。

第一ペテロ
1:6 そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、
1:7 信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。
1:8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。
1:9 これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。

5:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

このように、イエス様にしっかりと結びついて、試練を通り抜けるという体験をした者は、その度に、御霊に満たされ、みことばの真実に感謝し、心から主に向かって、新しい思いで、賛美の歌を歌うのであります。

最後に、もうひとつ、私たちが主に向かって、新しい思いで賛美の歌を歌う大きな機会があります。

年の初めに、人々は、『新年おめでとう』と新しい年を喜ぶ挨拶をいたします。今年も、そういう挨拶が交わされたのではないでしょうか?しかし、本当に今年は、喜べるような良い年になるのでありましょうか?

数年前に、ある新聞の元旦の社説に、次のように書いてありました。その題は、『歴史は加速する』という題でありました。

『コンピューター革命が進んだこの世紀、歴史の加速は、この百年で何十倍にもなったと言っていいだろう。実際、最近の社会変動は加速が著しい。誰もがこの目まぐるしい変化に流され、溺れ、戸惑っている。政治も国民も、次から次に生じる事態に対応しきれないうちに、また、状況は変わる。そして、半年先さえ、誰も的確には見通せない。』

このような社説でありました。

昨年を振り返ってみても、まさにその通りではなかったでしょうか?人々は、世界や日本の中で、次々に起こる様々な政治的な、あるいは、経済的な、あるいは、社会的な事件を通して、また、急速に進んでおります地球環境の悪化によって起こる災害を通して、そして、さらに、これまで経験したことのない強力な感染力を持ったウィルスによる疫病の世界的な大流行を通して、歴史の進行が、人間の力では拒むことのできないほど急激な速度で、どこかの終点に向かって、地球の全ての人間を巻き込んで、どんどんと加速していると言うことを肌で感じ、誰もが不安や恐れを感じているのではないでしょうか?

しかし、イエス様を信じている私たちは、神様が人々に、罪に汚れたこの世が終りに近づいていることを知るようにと、そして、イエス様のご再臨の時が迫っていることを知るように、歴史を加速しておられる――そのことを、神様ご自身の言葉である聖書を通して、私たちは知っておりますから、なんの恐れも不安もありません。

ヨハネの黙示録には、次のようにあります。

黙示録
22:10 また、彼(・・・・すなわち御使い・・・・)は私(・・・・ヨハネ・・・・)に言った。「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである。
22:11 不正を行なう者はますます不正を行ない、汚れた者はますます汚れを行ないなさい。正しい者は(・・・・すなわち、イエス様を信じた私たちは・・・・)いよいよ正しいことを行ない(・・・・イエス様に従った行いをすることですね・・・・)、聖徒はいよいよ(・・・・これも、私たちを指していると思いますが、信じた私たちは、いよいよ・・・・)聖なるものとされなさい。」
22:12 「見よ。わたし(・・・・すなわち、イエス様・・・・)はすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。
22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」
22:14 自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門(・・・・すなわち、天国の門・・・・)を通って都(・・・・天の都・・・・)にはいれるようになる者は、幸いである。

先ほどの賛美の歌にありました――ご再臨をほめたたえる賛美の歌を、ともに歌いましたけれども――このもう一箇所、184番も、そのような歌詞が書かれております。

(一)ふたたび主が来られる時迫る。
その日空は輝き主を告げる。
待ち望むその時よ、我らは空に上げられ、
雲の中主とともに、御国に昇る喜び。

(二)「早く来てください」と祈る声、
地にあふれて御国にこだまする。
待ち望むその時よ、我らは空に上げられ、
雲の中主とともに、御国に昇る喜び。

いよいよ、主イエス様が、私たちを天の御国に携えあげてくださるために、空中まで迎えに来てくださる日が近づいている。この年にあたりまして、私たちは一日も早くと、その日を待ち望みながら、日々、新しい思いで、主に向かって、賛美の歌を歌い続けようではありませんか?

最後に、詩篇の33篇からお読みして終わります。

詩篇
33:1 正しい者(・・・・すなわちイエス様を信じた者・・・・)たち。主にあって、喜び歌え。賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい。
33:2 立琴をもって主に感謝せよ。十弦の琴をもって、ほめ歌を歌え。
33:3 新しい歌を主に向かって歌え。喜びの叫びとともに、巧みに弦をかき鳴らせ。

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