2005年5月29日日曜日

ドイツの方へのメッセージ(アイドリンゲン)2005年

ドイツの方へのメッセージ(アイドリンゲン)
2005年5月29日、アイドリンゲン(ドイツ)
ゴットホルド・ベック

今回、ドイツに来て、多くの兄弟姉妹方から私の病気について尋ねられました。実は約一年前に、私は白血病という癌にかかっており、この病は治すことができないと医師から宣告されたのです。しかし、その後の化学療法のおかげで、今では薬が必要なくなり、二ヵ月に一度の診察だけで済むようになりました。私はこの病気から癒されることを一度も祈ったことがありません。それは、私にとって何が最善なのか、自分では分からないからです。すべてのことを主に委ねて歩めるというのは、何という特権でしょうか。

とにかく、ひとつのことだけは、はっきりしています。私が病気になったことは、本当に良かったということです。というのは、兄弟姉妹の皆さんが、それまでにもまして、多くのことに積極的に関わってくださるようになったからです。このように協力してくださる日本の兄弟姉妹たちが大勢与えられていることは、まさしく主からのプレゼントです。このことは、私たちのこの上もない喜びであり、心から主に礼拝する根拠となっています。


日本の兄弟姉妹たちとともにこのドイツの喜びの集いに参加するようになって以来、今回で十二年目に入りました。これまでに、四千人以上の方が参加されました。とくに今回は、日本からだけでなく、オーストリア、フランス、ロシア、インドなどからも参加してくださっています。このドイツ喜びの集いでは、毎回、必ず何人かの方々が信仰に導かれています。また、集われた多くの方々が、生き生きとした希望をもって帰っておられます。この集いの目的は、交わりを通してお互いに親しくなるためでもあります。

ところで、今朝、読んでいた文章の中に、次のようなとても大切なことが書かれていました。それは、『キリスト者は決して、ソリストではない』ということです。自分ひとりではなくて、ともに主のみことばを聞き、ともに主を賛美し、ともに主に奉仕することこそが、大切なのではないでしょうか。ともに交わることも、とても大事です。

ドイツに来ると、『日本では、なぜ救われる人が大勢いるのですか』という質問を、たびたび受けます。その理由を一言で言うと、『日本の兄弟姉妹たちが、一本の綱を、皆で一緒に引いているからです』というのが、その答えではないでしょうか。私が一人の宣教師としてなし得ることは、ほんとうに微々たるものだからです。それに、組織に属していないことが幸いだったと思っています。もしも、私が組織に属する一宣教師として働いていたら、十年も持たず、とっくの昔に帰国していたのではないかと思わされています。

アイドリンゲンからいただいた手紙にも書いてありましたが、大規模な喜びの集いを開く時に幸いしたのは、多くの協力者が与えられていたことだそうです。このように人間どうしの協力、チームワークがいかに大切であるかを、私たちは体験的に学びます。だとすれば、主イエス様と私たちとのチームワークは、人間どうしのチームワークをはるかに上回る大切なものではないでしょうか。

すべてがおできになる全能の神であられる主が、私たちの祈りをいつも聞いていてくださり、その祈りに答えようと、いつも臨んでおられます。これこそが、主と私たちとのチームワークなのではないでしょうか。

ルカ
18:1 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。

その通りです。主は私たちが失望せずにいつでも祈ることを望んでおられます。今日もなお、この「絶えず祈る」ことが、私たちにとって、もっとも大切なことではないでしょうか。今、私たちは終わりの時代に近づいています。イエス様が再び来られる時が、ますます身近に迫っています。ですから、いつでも失望せずに祈り、その祈りに答えてくださるイエス様とのチームワークを大切にしようではありませんか。

ある祈り会の時、八十歳のご高齢の兄弟が立ち上がって、このようにおっしゃいました。それは、六十年以上も前に、その方の母親が召される前に語った言葉だそうですが、『うちではあなただけが信仰を持っているのですから、兄弟全員が救われるまで祈り続けて下さい』と。そして、それから、一人ずつ救われて行き、最後まで残っていた弟さんが、ついにイエス様を受け入れたという喜びの知らせを語ってくださいました。

昨晩、ミヘルスベルクで証しの一時が与えられましたが、ある姉妹は、三十二年間、ご主人の救いのために祈り続けたという証しをされました。

彼女は名古屋に住んでおられたのですが、ご主人がもう自分では字が読めない状況になった時、私に連絡をくださいました。私がお勧めしたのは、『実を結ぶ命』を毎日、一章ずつ読み聞かせてください、とお伝えしました。そして、一章ずつ読み進めて、『葬儀』についての箇所に来た時、そのご主人は心を開いて受け入れたということでした。『死ぬ前には、イエス様ありがとうと、必ず言ってくださいね』と、その姉妹は伝えておられたようですが、もうほとんどしゃべれない中で、ご主人が亡くなる前におっしゃったのが、『ありがとう』という一言でした。

私たちにとって、この事実は、主の恵みの勝利を現わすものとなりました。私たちのまわりには、まだ救われていないたくさんの家族、親族、友人、知人がいるのではないでしょうか。彼らが救われるまで、私たちは祈り続ける必要があるのです。彼らの『救い』は、私たちにとって、いったいどのくらい重要な祈りの課題となっているでしょうか。

私たちは、みことばによって主イエス様が全知全能であられることを知らされています。私たちの心の中のすべてのことは主に知られていて、主の前に隠し通せるものは何ひとつありません。この主イエス様は、いつでも、どこにでもおられます。今日もなお、私たちの真中におられます。そして、何ひとつ不可能はありません。

しかし、この方が驚かれたことには、イザヤ書59章16節にあるように、『主は人のいないのを見、とりなす者のいないのに驚かれた』ということです。

イザヤの時代には、まだ、イエス様は生まれておられませんでしたし、祈りを教えてくださる聖霊も、まだ、私たちに注がれてはいませんでした。しかし、二千六百年前と比べて、今日の状況はいかなるものでしょうか。ある姉妹が、『あなたは一日に何回、祈りますか』と尋ねられた時、『一日に三回、そして、そのあいだのすべての時間、祈ります』と答えたそうです。つまり、彼女は、いつでも祈っていたのですね。

詩篇の作者は、『私は祈りそのものです』と宣言しています。祈りの必要性や祈りの力を唱えるだけではなく、祈りなくしては、何ひとつなし得ないということを訴えています。

それでは、私たちにとって、祈りとはいかなるものでしょうか。祈りは必要だから義務として祈る、と言うのか、あるいは、祈りは私たちにとって特権であり、喜びとなっているということなのでしょうか。真の祈りとは、イエス様とのチームワーク、連携プレーと言えるのではないでしょうか。

ハンドルを握るドライバーは主イエス様であり、私たちは、ただ単に助手席に座って主のなさることを見せていただくだけなのです。このように、私たちには、イエス様がお一人で何をなさるかを傍で見ることのできる恵みが与えられています。この主イエス様とのチームワークを知らない信者は、敗北に陥ったり、暗闇から光に移れずにいることが、しばしばあるに違いありません。主イエス様にとって、人の救いはもっとも重要なことであります。

「主の御手が短すぎて救えない」(イザヤ書59章1節)のではありません。イザヤの時代には、本物の祈り人はいませんでした。このイエス様とのチームワークを知っている信者は稀であったと言えるのかもしれません。イザヤ書64章7節にありますように、イザヤは、「あなたの御名を呼ぶ者もなく、奮い立って、あなたにすがる者もいない」と嘆いています。そして、主イエス様は、マタイ伝21章22節で、次のように言っておられます。「あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」と。

このような約束が与えられているにもかかわらず、イエス様とのチームワークを知っている人、また、それを願う信者も中々いないのが現状ではないでしょうか。イエス様とのチームワークの前提条件は、信仰であります。

サタンは、私たち信者の目を曇らせ、惑わして、主とのチームワークを持てないように試みて来ます。イエス様とのチームワークよりももっと大切なものがあるはずだと、巧みに嘘をつき、囁きかけて来ます。人間同士の繋がりを通しての方が、はるかに多くのことをなし得るのでは・・・・とささやくのです。イエス様と私たちのチームワークが、何としても実現できなくなるように働きかけて来るのです。私たちが聖書を読んだり学んだりすることは許しても、十字架上ですでに勝利された主イエス様とのチームワークを望むことを徹底的に妨げるのです。

マラキ
3:10 わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。

イエス様とのチームワークなくしては、実を結ぶことはあり得ません。主は、私たちの祈りに豊かに答えたいと切に願っておられます。イエス様にとっては、父なる神とのチームワークがもっとも重要なことでした。イエス様は、ご自分では何もできないが、父なる神にはすべてがおできになることを良くご存知でした。ですから、いつも父なる神に向かって祈っておられたのです。また、父の御心だけがなるように願っておられたので、そのことだけをいつも祈っておられました。だからこそ、父なる神とのチームワークが、もっとも重要だったのです。

私たちも主との交わりを大事にし、主に用いられるよう祈りつつ、主イエス様とのチームワークをますます大切にしていきたいものだと、切に願っています。

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