2021年1月2日土曜日

今年は患難、忍耐、そして、希望の年

今年は患難、忍耐、そして、希望の年
2021年1月2日、町田福音集会
重田 定義

ローマ
5:2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

皆様、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

まず初めに、新しい年の最初の聖日礼拝を、主にある兄妹姉妹と共に捧げ、メッセージをさせていただこうと、楽しみにしておりましたが、コロナ再拡大による感染防止のためにできなくなったことを、心から残念に思っております。では、本題に入ります。

新しい年を迎えました。新年になると、誰でも今年はどんな年になるだろうと考えるのではないでしょうか。では、私たち信者にとって、今年はどんな年になるでしょうか。その答えは、冒頭の御言葉の中にあります。すなわち、今年は、私たちにとって、患難の年であり、忍耐の年であり、そして、希望の年であるということです。

昨年一年は、新型コロナ・ウイルスが、世界的に猛威を振るった年でした。この一年間で、世界の感染者は8000万人を超え、死者は180万人に上るほどでした。このコロナの世界的大流行は、人々の命に、そして、生活に、かつてないほどの大きな打撃を与えました。世界各国では、必死に感染拡大防止に努めました。しかし、それでもなお、感染の勢いは止まりません。その原因は、かつてないほど、強いコロナ・ウイルスの感染力に加え、人々が長く続く感染防止の厳しい規制に耐えられず、自分勝手な行動をするようになったり、行政の方も長引く規制によって、経済が悪化するのを恐れ、規制を緩和したりするからです。こうして、人々は出口のない、長い暗いトンネルのような状況の中で、希望も無く、生きています。まさに、昨年は患難の年でしたし、今年もまた、この患難は続くでしょう。

しかし、私たちに与えられた信仰によって、この患難を世の人々のように、ただ怖れることはありません。どうしてでしょうか。冒頭の御言葉でパウロは、イエス様を信じるものは、患難さえも喜んでいる。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すということを知っているからだ。そして、この希望は失望に終わることはない。その理由は、与えられた御霊によって、神の愛が、信者に注がれているからだと、説明しています。

今日は、このパウロの言葉から、私たちにとって、今年が患難の年であり、忍耐の年であり、そして、希望の年であることを、あらためて考えてみたいと思います。

イエス様は、捕えられる前、弟子たちを励まして、次のようにおっしゃいました。

ヨハネ
16:33 ・・・・あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。

イエス様がおっしゃったように、イエス様を信じる者は、この世にあっては、様々な患難があります。人の姿を取って来られたイエス様も、患難をお受けになりました。その最たるものが、十字架上の死であります。しかし、イエス様は、この患難に勝利されました。そして、弟子たちに、そして、私たち、信者に、ご自分を信じる限り、人間にとって最大の患難である死にも打ち勝つことができると励ましてくださっているのです。

また、信じる者にとって、患難は信仰の試練と受け止めることができます。

第一ペテロ
1:7 信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。

ヤコブ
1:2 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
1:3 信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
1:4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。

こう励ましています。これらの御言葉から分かるように、私たち信者にとって、患難という試練は、忍耐を生み出すので、信仰の成長のために、たいへん大切なものなのです。そういう意味で、ペテロは、信仰にとって、患難という試練は、金よりも尊い、だからむしろ、喜ぶべきであると言っているのです。

主は、親が愛する子の成長を望むのと同じように、私たち信者が、いつまでも生まれた子供のままのような信仰にとどまっているのを喜ばれず、私たちの信仰が成長するのを望んでおられます。そして、私たちの信仰が成長するようにと、様々な訓練を与えてくださるのです。それが、試練であり、私たちには、患難というかたちになって現れるのです。

ヘブル
12:5 あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。
12:6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。

このように、信者が主から与えられた懲らしめを、親が愛する子に与える訓練と思って、感謝して、耐え忍ぶようにと記しています。

では、この忍耐を生み出す、もっとも大きな原動力は何でしょうか。それは、イエス様がまもなく、再び来られる、すなわち、主のご再臨が近いという確かな希望ではないでしょうか。イエス様は、弟子たちに別れを告げられる時に、次のようにおっしゃいました。

ヨハネ
14:2 ・・・・あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

イエス様は、弟子たちを始め、イエス様を信じるものを、天の御国で、ご自分のみもとにおいてくださるために、一旦、この世を去られ、信者の住む場所を用意されたら、信者を迎えに、またおいでになると、約束しておられるのです。イエス様が約束されたこの確かな希望があるからこそ、私たちはよろこんで、忍耐することができるのです。

ヤコブ
5:7 こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。
5:8 あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。

主が来られるのが近い。この希望があるからこそ、私たちは忍耐することができるのです。聖書には、イエス様のご再臨が近いことを示す御言葉があります。

ヘブル
10:37 もうしばらくすれば、来るべき方(・・・・主イエス様・・・・)が来られる。おそくなることはない。
10:38 わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。

黙示録22章には、イエス様ご自身が、『見よ、わたしはすぐに来る』と、三度もご再臨が近いことを約束しておられるのです。

では、私たち信者が、イエス様のご再臨に大きな希望を置いている理由は何でしょうか。

ピリピ
3:20 ・・・・私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
3:21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

第一ヨハネ
3:2 ・・・・キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。

ここにあるように、私たちの希望は、御再臨のとき、私たちの朽ちる体を、イエス様に似た、朽ちないきよい栄光の体に変えてくださって、天の御国に携えあげてくださるという、イエス様のすばらしいお約束にあるのです。イエス様に似た体に変えられた私たち信者が、天の御国で直接、父なる神様、御子なるイエス様のお顔を拝して、礼拝を捧げる時、私たちの救いのみわざが完成します。

パウロは、ローマ人への手紙8章で、次のように言っています。

ローマ
8:18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。

第二コリント
4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。

まさに近い将来に、私たち信者に与えられる、この計り知れないほどの栄光に比べれば、今、私たちがあっている患難――そのひとつは、コロナ・ウイルスの大流行ですが――そのような患難は、取るに足らない軽い患難と言えるのではないでしょうか。

私たちは、このように、主の限りない大きな御愛が、私たち一人一人に注がれていることを深く覚え、心から感謝し、今年もいかなる患難が起ころうとも、よろこんでご再臨の大きな希望をもって忍耐し、過ごそうではありませんか。

最後にもう一度、冒頭の御言葉をお読みして終わります。

ローマ
5:2 キリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

どうも、ありがとうございました。

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