2022年10月30日日曜日

主との交わり

主との交わり
2022年10月30日、秋田福音集会
岡本雅文兄

マルコ
6:34 イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。
6:35 そのうち、もう時刻もおそくなったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここはへんぴな所で、もう時刻もおそくなりました。
6:36 みんなを解散させてください。そして、近くの部落や村に行って何か食べる物をめいめいで買うようにさせてください。」

2022年10月23日日曜日

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全ての事について感謝しなさい。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全ての事について感謝しなさい。
2022年10月23日、吉祥寺福音集会
重田 定義

第一テサロニケ
5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

2022年10月22日土曜日

すぐに起こるはずのこと【第3部】1.ヨハネの黙示録4章を学ぶ前に

第3部

1.ヨハネの黙示録4章を学ぶ前に


1.地上の教会とイスラエル民族(黙示録2・3章)
[1]エペソの教会―エジプトから救われた民—婚約時代
[2]スミルナの教会―患難の民—殉教の時代
[3]ペルガモの教会―王を欲した民―妥協の時代
[4]テアテラの教会―イゼベルに殺された民—暗黒の時代
[5]サルデスの教会―敵の手に落ちた民—捕囚の時代

2022年10月9日日曜日

すぐに起こるはずのこと【第2巻】まえがき

すぐに起こるはずのこと――ヨハネの黙示録
第2巻
ゴットホルド・ベック著

イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったるのである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしるべヨハネにお告げになった。(ヨハネの黙示録1・1)

まえがき

2022年10月4日火曜日

すぐに起こるはずのこと【第2部】8.満足し、自信を持っているイエス様なしのラオデキヤの教会

第2部
天に上げられたイエス様が教会に与えられたみことば

8.満足し、自信を持っているイエス様なしのラオデキヤの教会

黙示録3章14節から22節まで

1.真の教会
[1]同じ性質
[2]同じ使命
[3]同じ態度
2.イエス様の三つのお名前
[1]アーメンであるお方
[2]忠実で真実な証人
[3]神に造られたものの根源であるお方

2022年10月2日日曜日

あなたは救われていますか

あなたは救われていますか

2022年10月2日、町田福音集会
重田 定義兄

詩篇
13:5 私はあなたの恵みに拠り頼みました。私の心はあなたの救いを喜びます。
13:6 私は主に歌を歌います。主が私を豊かにあしらわれたゆえ。

2022年9月26日月曜日

すぐに起こるはずのこと【第2部】7.勝利を得る者の誉れフィラデルフィヤの教会

第2部
天に上げられたイエス様が教会に与えられたみことば

7.勝利を得る者の誉れフィラデルフィヤの教会

黙示録3章7節から13節まで

1.イエス様ご自身の現われ
[1]力ある方
[2]真実な方
[3]聖なる方
2.真の試練―――称賛のみことば
[1]小さな力―祈りへの開かれた扉
[2]イエス様の名を否まない―証しへの開かれた扉
[3]イエス様のみことばを守る―天国への開かれた扉
3.勝利を得る者の誉れ
[1]柱とされる

2022年9月12日月曜日

すぐに起こるはずのこと【第2部】6.実は死んでいるサルデスの教会

第2部
天に上げられたイエス様が教会に与えられたみことば

6.実は死んでいるサルデスの教会

黙示録3章1節から6節まで

1.いのちのない教会
[1]信仰と生活の間に一致がない
[2]実を結ぶことがない
[3]みことばを聞こうとしない
2.汚れのない残された人々
3.勝利を得る者

2022年9月4日日曜日

われわれはどこへ行くのか

われわれはどこへ行くのか
2022年9月4日、静岡福音集会
黒田禮吉兄

ヘブル
13:13 ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。
13:14 私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。

2022年8月29日月曜日

すぐに起こるはずのこと【第2部】5.霊を見分けることを示されたテアテラの教会

第2部
天に上げられたイエス様が教会に与えられたみことば

5.霊を見分けることを示されたテアテラの教会

黙示録2章18から29節まで

1.イエス様に賞賛された少数の信者たち
[1]愛
[2]信仰の忠実さ
[3]奉仕
[4]忍耐
2.イエス様の非難を受けた大多数の信者たち
[1]主のみことばだけに聞き従わないこと
[2]教会に規律がないこと
[3]純粋な教えがないこと
3.勝利を得る者に与えられた大きな約束
[1]世界の支配権

2022年8月15日月曜日

すぐに起こるはずのこと【第2部】4.世俗化したペルガモの教会

第2部
天に上げられたイエス様が教会に与えられたみことば

4.世俗化したペルガモの教会

黙示録2章2節から7節まで

1.偶像崇拝の中心地にあったペルガモの教会
2.ペルガモの教会に対するイエス様の啓示
3.ペルガモの教会に与えられたみことば
[1]警告のみことば
[2]約束のみことば

私たちはここで、イエス様がペルガモの教会に対して語られたみことばを学びましょう。

2022年8月14日日曜日

神の麦打ち場

神の麦打ち場
2022年8月14日、秋田福音集会
翻訳虫

ルカ
3:16 ヨハネはみなに答えて言った。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを解く値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。
3:17 また手に箕(み)を持って脱穀場をことごとくきよめ、麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」

はじめに


今、読んだ箇所の最後に脱穀場ということばが出てきました。

脱穀というのは、収穫した米や麦を乾燥させた後、もみ殻などのいらない部分を取り除け、人間が食べる実だけを集めることを指します。

2022年8月1日月曜日

すぐに起こるはずのこと【第2部】3.苦難に会うように定められていたスミルナの教会

第2部
天に上げられたイエス様が教会に与えられたみことば

3.苦難に会うように定められていたスミルナの教会

黙示録2章8節から11節

1.教会の後ろ盾「イエス様のみそばに」
[1]初めであられるイエス様
[2]終わりであられるイエス様
[3]死んでまた生きておられるイエス様
2.教会への迫害「イエス様と共に」

2022年7月18日月曜日

すぐに起こるはずのこと【第2部】2.初めの愛とエペソの教会

第2部

天に上げられたイエス様が教会に与えられたみことば

2.初めの愛とエペソの教会

黙示録2章1節から7節まで

1.あいさつと励まし
[1]エペソとパウロ
[2]教会の使命
[3]新しいいのちの七つの結果
2.非難と警告

2022年7月10日日曜日

信仰の妨げとなる信者の古い人

信仰の妨げとなる信者の古い人
2022年7月10日、町田福音集会
重田定義

ローマ
6:6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。
6:7 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。
6:8 もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。

私たちは、イエス様を主と信じたとき、自分の知恵や意思によって、あるいは、自分の判断によって、信じたのでありましょうか?

2022年6月19日日曜日

すぐに起こるはずのこと【第2部】1.七つの教会への手紙

第2部

1.七つの教会への手紙


1.手紙を出したのは誰か
2.手紙を取り次いだのは誰か
3.手紙を受けとるのは誰か
4.イエス様の諸教会に対する愛
5.教会はどのようにして変えられるのか
6.教会に約束されていることは何か
7.イエス様の偉大さ

ここからこの本は、第2部に入ります。今まで学んできた第1部、黙示録の第1章のテーマはヨハネに現われたイエス・キリストについてでした。そしてそれは、ヨハネにとってすでに過去となった経験でした。しかし、これから学ぶ第2部は、当時の教会について告げられていると同時に、現在の教会についても告げられているのです。

2022年6月17日金曜日

すぐに起こるはずのこと【第1部】4.パトモスで与えられた幻

第1部

4.パトモスで与えられた幻

黙示録1章9節から20節まで

1.ヨハネに与えられた使命
[1]主にある苦難にあずかる
[2]み国に共にあずかる
[3]忍耐を共にする
2.ヨハネに現われたイエス様
[1]七つの金の燭台
[2]人の子のような方
3.ヨハネが聞いたイエス様のみ声
[1]ヨハネの上にみ手がおかれ、みことばが語られた
[2]初めであり、終わりであり、生者と死者のかぎを持つお方
[3]み使い、つまり教会の象徴

2022年6月13日月曜日

すぐに起こるはずのこと【第1部】3.主なる神のあいさつ

第1部

3.主なる神のあいさつ

黙示録1章4節から8節まで

1.イエス様の人格についての事実
[1]忠実な証し人
[2]死者の中から最初によみがえられた方
[3]地上の王たちの支配者
2.イエス様のみわざへの賛美
[1]イエス様が私たちを愛してくださった
[2]イエス様が私たちを罪から解き放ってくださった
[3]イエス様が私たちを王とし、祭司としてくださった
3.イエス様の再臨への備え

2022年6月6日月曜日

すぐに起こるはずのこと【第1部】2.天に秘密をあらわすひとりの神

第1部

2.天に秘密をあらわすひとりの神

黙示録1章1節から3節まで

1.黙示録の受けとり手、神のしもべの特徴
[1]主の愛を知ること
[2]主の前に立つこと
[3]主に礼拝を捧げること
[4]主の赦しを確信すること
[5]主のみことばを証しすること
[6]主のみことばを読み、聞き、守ること

2022年5月27日金曜日

すぐに起こるはずのこと【第1部】1.イエス・キリストの黙示

第1部

1.イエス・キリストの黙示

1.黙示録の概略
[1]著者
[2]書かれた時代
[3]受けとり手
[4]特徴
[5]解釈の方法
[6]目的
[7]内容
2.十の賛美の歌

2022年5月26日木曜日

すぐに起こるはずのこと【第1巻】まえがき

すぐに起こるはずのこと
【第1巻】ヨハネの黙示録
ゴットホルド・ベック著

イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。(ヨハネの黙示録1.1)

まえがき

2022年5月13日金曜日

絶えず祈れ[18]「祈る教会」の力

絶えず祈れ(下巻)
ゴットホルド・ベック著
[18]「祈る教会」の力

釈放されたふたりは、仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告した。これを聞いた人々はみな、心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った。「主よ。あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です。あなたは、聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの先祖であるダビデの口を通して、こう言われました。『なぜ異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの民はむなしいことを計るのか。地の王たちは立ち上がり、指導者たちは、主とキリストに反抗して、一つに組んだ。』事実、ヘロデとポンテオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民といっしょに、あなたが油を注がれた、あなたの聖なるしもベイエスに逆らってこの都に集まり、あなたの御手とみこころによって、あらかじめお定めになったことを行ないました。主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもベイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。」彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。(使徒4・23~31)

「祈る教会の力」、これがこの章のテーマです。

2022年5月11日水曜日

絶えず祈れ[17]ともに祈ることのたいせつさ

絶えず祈れ(下巻)
ゴットホルド・ベック著
[17]ともに祈ることのたいせつさ

イエス様は、つぎのように言われました。「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。」(マタイ16・18)

ここでいう教会とは、もちろん教会の建物ではありませんし、キリスト教のひとつの教派とか、宗教団体などでもありません。教会とは「イエス様を信じ、イエス様を受け入れた人々の群れ」のことです。ですから、よく「主のからだである教会」と言われるのです。イエス様に属する人々こそが、まことの「教会」です。そして、主のみこころにかなった教会の特徴が「祈り」です。私たちがもし祈らなければ、イエス様は王の王、主の主であるということの証しにならず、また、私たち自身も信仰の進歩がなく、主からはなれてしまった信者たちも、元にもどりません。イエス様を信じる人々にとってもっともたいせつなのは、祈ることです。「イエス様の教会」を建てることができるのは、もちろん、イエス様だけです。ですから、イエス様は「わたしはわたしの教会を建てる」と言われたのです。

2022年5月9日月曜日

絶えず祈れ[16]断食とむすびついた祈り

絶えず祈れ
ゴットホルド・ベック著
[16]断食とむすびついた祈り

しかし、イエスは、彼の手を取って起こされた。するとその子は立ち上がった。イエスが家にはいられると、弟子たちがそっとイエスに尋ねた。「どうしてでしょう。私たちには追い出せなかったのですが。」すると、イエスは言われた。「この種のものは、祈り*によらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」(マルコ9・27~29)

新改訳聖書の頁の下の脚注によれば、文中の「祈り」のあとの*の部分に、「と断食」を加えるものもある、としるされています。

この章の題は「断食とむすびついた祈り」です。

マルコの福音書9章を読みますと、ペテロ、ヤコブ、ヨハネがすばらしい経験をしたことがしるされています。主イエス様はかれらを連れて高い山にのぼられましたが、かれらの目のまえでみすがたが変わり、御衣は白くひかりかがやきました。そしてモーセとエリヤがあらわれ、イエス様と語りあいました。弟子たちは雲のなかから、イエス様についての神のことばを聞きました。「これは、わたしの愛する子である。かれの言うことを聞きなさい」と。

2022年5月8日日曜日

絶えず祈れ[10]主に愛されているひとびとへの祈り

絶えず祈れ[10]
ゴットホルド・ベック著
主に愛されているひとびとへの祈り

このマリヤは、主に香油を塗り、髪の毛でその足をぬぐったマリヤであって、彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。そこで姉妹たちは、イエスのところに使いを送って、言った。「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」(ヨハネ11・2~4)

この章のテーマは、「主に愛されているひとびとへの祈り」です。

ラザロはうたがいもなく、自分の姉妹たちによって愛されていました。しかしこの聖句には、「主イエス様がかれを愛された」ことが明確に語られています。

「主よ。ごらんください。あなたが愛しておられる者が病気です」。いいかえれば、

「主よ。ごらんください。あなたが、いままでずっと愛してくださった者が、いま病気です」

2022年2月27日日曜日

サタンの使い

サタンの使い
2022年2月27日、吉祥寺福音集会
岡本雅文

第二コリント
12:7 また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。
12:8 このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。
12:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

13:4 確かに、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力のゆえに生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対する神の力のゆえに、キリストとともに生きているのです。

最近、ある集会の兄弟姉妹がたとともに、指導者たちの生活の結末ということについて、ヘブル書の13章の7節に沿って考えました。短いところですので読んでみます。

2022年2月13日日曜日

益なるキリスト

益なるキリスト
2022年2月13日、秋田福音集会
岡本 雅文

ヨハネ
12:46 わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。
12:47 だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。

いつも、こういう場に出る時に、気になる言葉が、メッセージという言葉です。メッセージができるような者は、多分、一人もいないと思います。今日も朝、聖書を見ていたら、テモテにパウロは朗読を進めていますね。

今日は、どちらかというと、たくさんの聖書の朗読に近いところがあると思いますけど、そこだけは自信を持って話せますね。聖書に書かれていないところについては、メッセージではなくて、証しと言った方が良いのかもしれません。導かれた『証し』という言葉は、どのように解釈してもいいと思います。メッセージだとか、学びといってもよく、また、第一コリントの14章では、徳を高める――すべてのことを持って兄弟姉妹が徳を高めるためにするのですというふうに書いてあります――、そして、またもうひとつ、聞くものは吟味しなさいとあります。それは、徳を高めるために、本当にイエス様が語られていることと違うことがあれば、叱責をする必要があるし、そしてわからないところは、批判的なことではなくて、知りたいという思いを持って交わって行くことが、聖書を共に考えると言うことで、いちばん大切ではないかと、いつも思わされます。

2022年1月16日日曜日

水の上を歩いたペテロ

水の上を歩いたペテロ
2022年1月16日、御代田福音集会
菊池 有恒

マタイ
14:24 しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。
14:25 すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。
14:26 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。
14:27 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。
14:28 すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」
14:29 イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。
14:30 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。
14:31 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」
14:32 そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。
14:33 そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です。」と言った。

2022年1月15日土曜日

聞き届けられる祈り

聞き届けられる祈り
2022年1月15日、芦屋ティータイム
古田 公人

マタイ
21:21 イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言っても、そのとおりになります。
21:22 あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」

「信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」非常にすばらしい御言葉ですけど、今日は、この御言葉を、聖書の中から、ご一緒に、この御言葉に導かれて、考えてみたいと思います。

2022年1月10日月曜日

祈りの力

祈りの力
2022年1月9日、吉祥寺集会
古田 公人

使徒行伝
9:1 さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、
9:2 ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。
9:3 ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。
9:4 彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。
9:5 彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
9:6 立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」
9:7 同行していた人たちは、声は聞こえても、だれも見えないので、ものも言えずに立っていた。
9:8 サウロは地面から立ち上がったが、目は開いていても何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いて、ダマスコへ連れて行った。
9:9 彼は三日の間、目が見えず、また飲み食いもしなかった。
9:10 さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、「アナニヤよ。」と言われたので、「主よ。ここにおります。」と答えた。
9:11 すると主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。」

祈りは力です。しかし、ローマ人への手紙には、『私たちはどのように祈ったらよいかわからないのです』とも、記されています。事実、そのとおりだと思います。今日は、パウロの祈りを元に、祈りの力について、ご一緒に考えたいと思います。

2022年1月9日日曜日

新しい歌を主に歌おう

新しい歌を主に歌おう
2022年1月9日、町田福音集会
重田 定義

詩篇
96:1 新しい歌を主に歌え。全地よ。主に歌え。
96:2 主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと、御救いの良い知らせを告げよ。

ここで、この詩篇の作者は、『さあ、神様にむかって、新しい賛美の歌を歌おう!』と言うふうに呼びかけております。賛美の歌とは、言うまでもなく、神様のご栄光を褒め称える歌であり、それを歌う者は、すべて神のしもべたちであり、神の民であり、神の子供たちであります。その者たちが、自分たちの神をほめたたえ、自分たちにしてくださった大いなる恵みを感謝して、主に向かって、ハレルヤ!と賛美の歌を歌うのであり、そして、その賛美の歌を日々、新鮮な思いで歌おうと言うふうに、呼びかけているのであります。

2021年12月15日水曜日

イエス・キリストとは誰ですか

イエス・キリストとは誰ですか
2021年12月15日、国立谷保家庭集会
黒田 禮吉

ヨハネ
14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」

今日は、『イエス・キリストとは誰ですか』と言うタイトルで、お話しをさせていただきたいと思います。

さて、今日、イエス・キリストの歴史的存在を疑う人はいません。しかしながら、イエス・キリストに関して、大きな誤解があります。多くの人がこのように言います。イエス・キリストは、キリスト教の創始者である。これは、明らかな間違いです。キリスト教とは、ローマ帝国が作った宗教であります。また時々、こういうふうにおっしゃる方がいます。イエス・キリストは、偉大な預言者、偉大な教師、世界四大聖人の一人である。その方は、イエス様を褒め称えているつもりですが、その評価は完全に間違っています。

2021年12月14日火曜日

ベックさんの日曜のお祈り

2015年12月20日、吉祥寺

イザヤ
43:25 わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。

ミカ
7:18 あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは、咎を赦し、ご自分のものである残りの者のために、そむきの罪を見過ごされ、怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれるからです。
7:19 もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ入れてください。

感謝します。愛する主よ、あなた様は当時も、今日も、このような願いを、祈りを聞いてくださる。告白した罪は、赦されているだけではない。もう思い出さないと、あなた様は約束してくださいました。確かに私たちは、そういうことを想像できませんし、できません。けど、あなた様は、忠実なるお方です。私たちに恵んでくださるお方であり、イエス様が代わりに犠牲になられたことを、本当にどういうふうに感謝したらいいか、さっぱり分かりません。十字架の上であなた様は、『すべ全てが終わった、完了した』と叫ばれたのです。あなた様は、勝利者となられただけではなく、今も、勝利者であられ、我々の中で、心から礼拝する人々を探し求めておられます。どうか、今日も、自分のこと、まわりのものを見ないで、十字架につけられた、勝利者となられたあなた様を、新たにあがめる恵みを与えてください。尊い御名によってお祈りもうしあげします。アーメン。

2021年11月22日月曜日

私たちも盲目なのですか

私たちも盲目なのですか
2021年11月21日、市川福音集会
黒田 禮吉

ヨハネ
9:39 そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」
9:40 パリサイ人の中でイエスとともにいた人々が、このことを聞いて、イエスに言った。「私たちも盲目なのですか。」
9:41 イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」

初めに、ヨハネの福音書の九章から、読んでみたいと思います。

ヨハネ
9:1 またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。」

2021年11月21日日曜日

隠れている罪と開かれた門

隠れている罪と開かれた門
2021年11月21日、秋田福音集会
岡本 雅文

詩篇
19:12 だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。

マタイ
19:30 ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。

20:1 天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。
20:2 彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。
20:3 それから、九時ごろに出かけてみると、別の人たちが市場に立っており、何もしないでいた。
20:4 そこで、彼はその人たちに言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものを上げるから。』
20:5 彼らは出て行った。それからまた、十二時ごろと三時ごろに出かけて行って、同じようにした。
20:6 また、五時ごろ出かけてみると、別の人たちが立っていたので、彼らに言った。『なぜ、一日中仕事もしないでここにいるのですか。』

2021年11月6日土曜日

わたしは集会を愛している

わたしは集会を愛している
2021年11月6日、11月の御代田よろこびの集い
岡本 雅文

エペソ
5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。
5:26 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
5:27 ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。

5:32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。

2021年10月31日日曜日

ヨルダン川の東側

ヨルダン川の東側
2021年10月31日、吉祥寺福音集会
黒田 禮吉

民数記
32:1 ルベン族とガド族は、非常に多くの家畜を持っていた。彼らがヤゼルの地とギルアデの地を見ると、その場所はほんとうに家畜に適した場所であったので、
32:2 ガド族とルベン族は、モーセと祭司エルアザルおよび会衆の上に立つ者たちのところに来て、次のように言った。
32:3 「アタロテ、ディボン、ヤゼル、ニムラ、ヘシュボン、エルアレ、セバム、ネボ、ベオン。
32:4 これら主がイスラエルの会衆のために打ち滅ぼされた地は、家畜に適した地です。そして、あなたのしもべどもは家畜を持っているのです。」
32:5 また彼らは言った。「もし、私たちの願いがかないますなら、どうかこの地をあなたのしもべどもに所有地として与えてください。私たちにヨルダンを渡らせないでください。」

モーセは、主からイスラエルの民に相続地を割り当てることを命じられています。その相続地は、もちろん、ヨルダン川を渡ったところ、西側にあります。神が約束されたのは、西は地中海、そして、東はヨルダン川を境界とする地であります。ところが、今、読んでいただきましたように、ルベン族とガド族が、モーセに願います。『ヨルダン川の東側に所有地を与えてください』という願いです。

2021年10月24日日曜日

信者に残された最上にして最後のわざは祈り

信者に残された最上にして最後のわざは祈り
2021年10月24日、吉祥寺福音集会
重田 定義

エペソ
2:10 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。

だいぶ前になりますけれども、年老いたひとりのドイツのキリスト者が作った『最上のわざ』と題する詩を読んで、同じように年老いた私は、たいへん感動し、深い共感を覚えましたので、その詩を書き留めておきました。その詩とは、次のようなものであります。お読みします。

2021年10月13日水曜日

なぜ過去のことが思い出されるのか

なぜ過去のことが思い出されるのか
2021年10月13日、国立谷保家庭集会
古田公人

ローマ
6:4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
6:5 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。
6:6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。

聖書には、十字架の言葉は救いを受ける私たちには神の力ですと記されています。自分の罪に苦しんでいて、救いを求めているなら、福音を聞くと、すぐに、イエス様を信じ、提供されている救いを、感謝して受け入れるのではないかと思います。 

2021年10月4日月曜日

満ち満ちたキリストの身体

満ち満ちたキリストの身体
2021年10月3日、吉祥寺福音集会
古田公人

第一コリント
1:4 私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。
1:5 というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。
1:6 それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、
1:7 その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現われを待っています。
1:8 主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。
1:9 神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。

しばらくのあいだ、第一コリントのこのみ言葉から、ご一緒に考えたいと思います。

2021年10月3日日曜日

わたしの思いはあなたがたの思いよりも高い

わたしの思いはあなたがたの思いよりも高い
2021年10月3日、町田福音集会
重田定義

ヨシュア
55:8  「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。――主の御告げ。――
55:9 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

イエス様を信じる私たちは、日々の歩みの中で、しばしば、主のみ心がわからない。いったい、主のお考えはなんだろうと、思い悩んでしまうことがあるのではないでしょうか?しかし、それは今、読んでいただいたみ言葉にありますように、主のお考えは目先のことしか見えない、わからない、私たち人間の考えの及ばないほどの高いものであって、人の頭では到底、主のご計画、お考えを知ることなどできないからなのであります。

2021年9月8日水曜日

イエス様のいばらの冠

イエス様のいばらの冠
2021年9月8日、国立谷保家庭集会
柿沼義一兄

ヨハネ
19:1 そこで、ピラトはイエスを捕えて、むち打ちにした。
19:2 また、兵士たちは、いばらで冠を編んで、イエスの頭にかぶらせ、紫色の着物を着せた。
19:3 彼らは、イエスに近寄っては、「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」と言い、またイエスの顔を平手で打った。
19:4 ピラトは、もう一度外に出て来て、彼らに言った。「よく聞きなさい。あなたがたのところにあの人を連れ出して来ます。あの人に何の罪も見られないということを、あなたがたに知らせるためです。」
19:5 それでイエスは、いばらの冠と紫色の着物を着けて、出て来られた。するとピラトは彼らに「さあ、この人です。」と言った。
19:6 祭司長たちや役人たちはイエスを見ると、激しく叫んで、「十字架につけろ。十字架につけろ。」と言った。ピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、十字架につけなさい。私はこの人には罪を認めません。」

2021年8月15日日曜日

ヨルダン川を渡る(吉祥寺)

ヨルダン川を渡る(吉祥寺)
2021年8月15日、吉祥寺福音集会
黒田 禮吉

ヨシュア
3:14 民がヨルダン川を渡るために、天幕を発ったとき、契約の箱をかつぐ祭司たちは民の先頭にいた。
3:15 箱をかつぐ者がヨルダン川まで来て、箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき、――ヨルダン川は刈り入れの間中、岸いっぱいにあふれるのだが――
3:16 上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツァレタンのそばにある町アダムのところで、せきをなして立ち、アラバの海、すなわち塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面するところを渡った。
3:17 主の契約の箱をかつぐ祭司たちがヨルダン川の真中のかわいた地にしっかりと立つうちに、イスラエル全体は、かわいた地を通り、ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった。

2021年8月1日日曜日

原罪

原罪
2021年8月1日、秋田福音集会
岡本 雅文

ヨブ
1:20 このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、
1:21 そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」

先程、原罪というタイトルにさせていただきましたけれども、副題としては、『裸で生きよ』というテーマにしたほうがいいかもしれません。

ヨブ記は、1章の1節で、『この人(ヨブ)は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた』と始まっています。この1節を読むと、神は何か特別なことを告げようとしておられるのではないかと思わされます。なぜなら、ルカの5章の32説では、イエス様は、『わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです』と、告げておられるからです。正しい人、義人、ヨブ――この箇所は、ルカの5章の32節から見ると、どのような展開になるのか・・・・初めから、興味がわいてまいります。

2021年7月25日日曜日

ヨルダン川を渡る(市川)

ヨルダン川を渡る(市川)
2021年7月25日、市川福音集会
黒田禮吉

ヨシュア
1:2わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。
1:3あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。

聖書では、ヨルダン川を渡るということが、大きな意味を持っています。イスラエルの民が、約束の地に入るためには、ヨルダン川を渡る必要があったのです。エジプトの地から出た時以来、約束の地に入ることが、イスラエルにとっての夢でした。けれども、それは、四十年間も閉ざされました。何が、彼らをこれまで阻んでいたのでしょうか?

2021年7月4日日曜日

神を誇る人間と自分を誇る人間

神を誇る人間と自分を誇る人間
2021年7月4日、町田福音集会
重田 定義

詩篇
20:7 ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。

こんにちわ。あらためて、このようにして、本当に久しぶりに、皆さんと一緒に礼拝を守ることができたこと、心から感謝しております。一年六カ月ぶりくらいだと思うんです。普段は、家内と一緒に、家庭で礼拝を捧げ、聖餐にあずかっておりました。また、毎日、朝晩、賛美と祈りを二人でしておりました。

コロナが、こんなに長引くとは考えもしなかったんですけども、この新しいコロナ・ウイルスというのは、未だかつて全人類があったことがないウィルスだと思うんです。それは、変異がきわめて速い。新しい変異の株が出現したと思ったら、もうすぐにまた、その次の変異株が来る・・・・こういう経験はおそらく、全人類がしたことがないのではないかと思います。そういうコロナの禍(か)――わざわいといいますが――によって、私たちは、全人類がですね、大変な目に遭っておりますけれども、本当にそのコロナによって、私たちの生活が、大きく変わったことは事実なんです。

2021年6月7日月曜日

自分の十字架を負う

自分の十字架を負う
2021年6月6日、静岡集会
黒田 禮吉

マタイ
16:24 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
16:25 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」

自分の十字架を負うとは、どういう意味でしょうか?世間で言われているように、自分の暗い過去や、罪などを背負うことなのでしょうか?イエス様は、そんなことを言っておられるのではありません。もしそうなら、『自分を捨て、十字架を負え』とは救いではなく、絶望へと突き進む命令ではないでしょうか?そこには喜び、希望はありません。

自分の十字架とはなんでしょうか?十字架とは、一般的には、運命や重荷のことと理解されているかもしれません。しかし、聖書で言っている十字架は、自分の運命のことではありません。

2021年6月6日日曜日

祈り

祈り
2021年6月6日、札幌集会
岡本 雅文

ピリピ
4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

4:6 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

今、読んでいただいたみ言葉の、『何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば・・・・』と書いてある、この短い、三節の短いみ言葉ですけれども、この中に、信じている私たちがなすべき、ほとんどのことが語られているのではないかと思わされます。

2021年5月30日日曜日

三つのうめき

三つのうめき
2021年5月30日、吉祥寺(Zoom礼拝)
重田 定義

ローマ
8:22 私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。
8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。

8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

今日は、このローマ人への手紙のみ言葉の中にある三つのうめきということについて、ご一緒に学んでみたいと思います。