2021年10月31日日曜日

ヨルダン川の東側

ヨルダン川の東側
2021年10月31日、吉祥寺福音集会
黒田 禮吉

民数記
32:1 ルベン族とガド族は、非常に多くの家畜を持っていた。彼らがヤゼルの地とギルアデの地を見ると、その場所はほんとうに家畜に適した場所であったので、
32:2 ガド族とルベン族は、モーセと祭司エルアザルおよび会衆の上に立つ者たちのところに来て、次のように言った。
32:3 「アタロテ、ディボン、ヤゼル、ニムラ、ヘシュボン、エルアレ、セバム、ネボ、ベオン。
32:4 これら主がイスラエルの会衆のために打ち滅ぼされた地は、家畜に適した地です。そして、あなたのしもべどもは家畜を持っているのです。」
32:5 また彼らは言った。「もし、私たちの願いがかないますなら、どうかこの地をあなたのしもべどもに所有地として与えてください。私たちにヨルダンを渡らせないでください。」

モーセは、主からイスラエルの民に相続地を割り当てることを命じられています。その相続地は、もちろん、ヨルダン川を渡ったところ、西側にあります。神が約束されたのは、西は地中海、そして、東はヨルダン川を境界とする地であります。ところが、今、読んでいただきましたように、ルベン族とガド族が、モーセに願います。『ヨルダン川の東側に所有地を与えてください』という願いです。

2021年10月24日日曜日

信者に残された最上にして最後のわざは祈り

信者に残された最上にして最後のわざは祈り
2021年10月24日、吉祥寺福音集会
重田 定義

エペソ
2:10 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。

だいぶ前になりますけれども、年老いたひとりのドイツのキリスト者が作った『最上のわざ』と題する詩を読んで、同じように年老いた私は、たいへん感動し、深い共感を覚えましたので、その詩を書き留めておきました。その詩とは、次のようなものであります。お読みします。

2021年10月13日水曜日

なぜ過去のことが思い出されるのか

なぜ過去のことが思い出されるのか
2021年10月13日、国立谷保家庭集会
古田公人

ローマ
6:4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
6:5 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。
6:6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。

聖書には、十字架の言葉は救いを受ける私たちには神の力ですと記されています。自分の罪に苦しんでいて、救いを求めているなら、福音を聞くと、すぐに、イエス様を信じ、提供されている救いを、感謝して受け入れるのではないかと思います。 

2021年10月4日月曜日

満ち満ちたキリストの身体

満ち満ちたキリストの身体
2021年10月3日、吉祥寺福音集会
古田公人

第一コリント
1:4 私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。
1:5 というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。
1:6 それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、
1:7 その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現われを待っています。
1:8 主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。
1:9 神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。

しばらくのあいだ、第一コリントのこのみ言葉から、ご一緒に考えたいと思います。

2021年10月3日日曜日

わたしの思いはあなたがたの思いよりも高い

わたしの思いはあなたがたの思いよりも高い
2021年10月3日、町田福音集会
重田定義

ヨシュア
55:8  「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。――主の御告げ。――
55:9 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

イエス様を信じる私たちは、日々の歩みの中で、しばしば、主のみ心がわからない。いったい、主のお考えはなんだろうと、思い悩んでしまうことがあるのではないでしょうか?しかし、それは今、読んでいただいたみ言葉にありますように、主のお考えは目先のことしか見えない、わからない、私たち人間の考えの及ばないほどの高いものであって、人の頭では到底、主のご計画、お考えを知ることなどできないからなのであります。