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2020年12月1日火曜日

The Salvation of Jesus (4), the Path to Progress: “Reckoning” [Unser Herr lebt, Issue 55]

The Salvation of Jesus (4), the Path to Progress: “Reckoning”
Unser Herr lebt, Issue 55, 2020
Gotthold Beck

David confessed in his psalm:

How blessed is the one whose transgression is forgiven, whose sin is covered. How blessed is the person against whom the Lord does not charge iniquity, and in whose spirit there is no deceit. (Psalms 32:1-2, International Standard Version)

John wrote in his letter, “the blood of Jesus His Son cleanses us from all sin (1 John 1:7).”

When we read these verses, we will realize deep in our hearts how precious the blood of the Lord Jesus is. We will always want to know and appreciate the preciousness of the blood of the Lord Jesus even more and more.

In this article, I want to discuss with you, based on the Epistle to the Romans, chapter 6, verses 1 to 11, about the “reckoning” as the path to our progress.

2020年11月30日月曜日

イエスの救い(四)進歩への道「計算すること」

イエスの救い(四)進歩への道「計算すること」
主は生きておられる、55号、2020年
ゴットホルド・ベック

ダビデは詩篇で次のように告白しています。

幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。(詩篇32・1~2)

ヨハネは「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」(1ヨハネ1・7)と書き記しています。

この二つのみことばを読む時、主イエス様の血潮がどれほど尊いものか、しみじみとわかります。私たちは主イエス様の血潮の尊さを、さらによく知り、もっと感謝したいものです。

本日は、ローマ人への手紙6章1~11節を基にして、進歩への道「計算すること」についてご一緒に考えてみたいと思います。

2020年11月22日日曜日

わたしもその中にいる

わたしもその中にいる
2020年11月22日、吉祥寺福音集会
黒田 禮吉

マタイ
18:18 まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。
18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
18:20ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。

読んでいただいた箇所は、皆さんよくご存知の御言葉であり、本当に励まされる聖書の約束ではないかと思います。私たちは、この御言葉を礼拝や祈り会、あるいは、兄妹姉妹との交わりにあてはめます。そして、極めてわずかな人数の集まりの中にも、主が共にいてくださる。だから、心をひとつにした祈りはかなえられるという励ましの約束として、読んでいます。しかし、この箇所を、聖書の文脈の中で考えるならば、もう少し限定した話になるのであります。今日は、そのことを初めに考えてみたいと思います。

2020年11月21日土曜日

しばらくするとわたしを見る

しばらくするとわたしを見る
2020年11月22日、秋田福音集会
岡本 雅文

ヨハネ
17:24 父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。
17:25 正しい父よ。この世はあなたを知りません。しかし、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知りました。
17:26 そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。

今、読んでいただいた御言葉は、先週、吉祥寺の集いで、最後にお読みした箇所のすぐ後に続く御言葉であります。イエス様が、十一人の弟子たちと共に最後の晩餐を終えて、弟子たちのために、父なる神に祈ってくださった、最後の祈りです。その祈りの最後の最後の数カ所であります。

2020年11月15日日曜日

実験より出ずる信仰

実験より出ずる信仰
2012年11月15日、吉祥寺福音集会
岡本 雅文

ガラテヤ
2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

本日は、人間にとって、人にとって、どうしても必要なことについて、兄妹姉妹がよく知っておられる基本的な福音に、ご一緒に思いを馳せてみたいと思っています。ヨハネの3章の16節、有名なこのみ言葉は次のように告げています。

ヨハネ
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

人間にとって、すなわち、私たちにとって、どうしても必要なことは、真の神、御子イエスキリストを信じ、受け入れることであります。この箇所から、神様は、全ての人が救われてほしいと、願っておられることがわかります。『ひとりとして滅びることなく』と書かれているからであります。また、ヘブル書、1章では、神はこの福音を、よき知らせをどのように私たちに伝えてこられたかが告げられています。

2020年11月8日日曜日

神の選びと祝福

神の選びと祝福
2020年11月8日、市川福音集会
黒田 禮吉

ローマ
9:11 その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行なわないうちに、神の選びの計画の確かさが、行ないにはよらず、召してくださる方によるようにと、
9:12 「兄は弟に仕える。」と彼女に告げられたのです。
9:13 「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ。」と書いてあるとおりです。
9:14 それでは、どういうことになりますか。神に不正があるのですか。絶対にそんなことはありません。
9:15 神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ。」と言われました。
9:16 したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。


今日、兄弟に読んでいただいた箇所は、いったいどういうことなのかと、みなさんもお思いになる箇所のひとつではないかと思うんですね。子供たちが生まれる以前から、神の選びによって、兄は弟に仕えると告げられたとあります。そして、神である主ご自身が、「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」とあります。このような神の選びの根拠とは、いったい何なのでしょうか。人間的な考えでは、理解できません。パウロは続けて、神に不正があるのですか。絶対にそんなことはありませんと語りました。

2020年10月18日日曜日

ふたつのパンの奇蹟

ふたつのパンの奇蹟
2020年10月18日、秋田福音集会
翻訳虫

マタイ
14:16 しかし、イエスは言われた。「彼らが出かけて行く必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」
14:17 しかし、弟子たちはイエスに言った。「ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません。」
14:18 すると、イエスは言われた。「それを、ここに持って来なさい。」
14:19 そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。
14:20 人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、十二のかごにいっぱいあった。

(1)ベックさんのメッセージ

本題に入る前に、最近、ゴットホルド・ベック兄の古いメッセージを聴いていて、心に残った部分があったので紹介します。2014年の学び会で語られた『集会に集うべき態度』と言うメッセージの中で、ベックさんはこのように言われていました。

2020年10月4日日曜日

主は生きておられる

主は生きておられる
2020年10月4日、町田福音集会
重田 定義

第一列王記
22:13 さて、ミカヤを呼びに行った使いの者はミカヤに告げて言った。「いいですか。お願いです。預言者たちは口をそろえて、王に対し良いことを述べています。お願いですから、あなたもみなと全く同じように語り、良いことを述べてください。」
22:14 すると、ミカヤは答えた。「主は生きておられる。主が私に告げられることを、そのまま述べよう。」

皆さん、こんにちわ。七ヶ月ぶりにこの集会に戻ってまいりました。本当に、今日は懐かしく、兄弟姉妹の歌を直接、拝することができまして、本当に、嬉しいですね、なんだか、天国で再会したような気がしております。

2020年10月3日土曜日

神の福音

神の福音
2020年10月4日、吉祥寺集会
古田 公人

ローマ
1:1 神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、
1:2 ――この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、
1:3 御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、
1:4 聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。

読んでくださいましたように、使徒パウロは、ローマ人への手紙を、『神の福音』という言葉をもって始めています。今日は、神の福音が意味する内容について、ご一緒に考えたいと思います。二節から四節には、福音は旧約聖書で約束されたことであって、ダビデの子孫として生まれ、死者の中から復活された御子、主イエス・キリストに関することと記されています。ローマ人への手紙、全体の要約だと言ってもいいのかもしれません。

2020年9月27日日曜日

恵みと報酬

恵みと報酬
2020年9月27日、御代田福音集会
古田 公人

マタイ
20:1 天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。
20:2 彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。
20:3 それから、九時ごろに出かけてみると、別の人たちが市場に立っており、何もしないでいた。
20:4 そこで、彼はその人たちに言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものを上げるから。』
20:5 彼らは出て行った。それからまた、十二時ごろと三時ごろに出かけて行って、同じようにした。
20:6 また、五時ごろ出かけてみると、別の人たちが立っていたので、彼らに言った。『なぜ、一日中仕事もしないでここにいるのですか。』
20:7 彼らは言った。『だれも雇ってくれないからです。』彼は言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。』

2020年9月19日土曜日

ご奉仕の心得

ご奉仕の心得
2020年9月19日、御代田喜びの集い
古田 公人

ローマ
1:6 あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です。――このパウロから、
1:7 ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。
1:8 まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。
1:9 私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、
1:10 いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。
1:11 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。

2020年9月13日日曜日

マルタ、マルタ

マルタ、マルタ
2020年9月13日、秋田福音集会
岡本 雅文

ルカ
10:25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」
10:26 イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」
10:27 すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」
10:28 イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」
10:29 しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」
10:30 イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
10:31 たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
10:32 同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。

2020年8月30日日曜日

主のはかりごとだけが成る

主のはかりごとだけが成る
2020年8月30日、市川福音集会
黒田 禮吉

箴言
19:21 人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。

皆さん、おはようございます。黒田禮吉と申します。本当は、不要不急の外出を控えるようにということのようでございますから、私は掟破りをしたようなものであります。けども、どうぞよろしくお願いいたします。今日は今、司会の山本兄から紹介がありましたように、『主のはかりごとだけが成る』というテーマで、お話をさせていただきたいと思います。

主のものとされる

主のものとされる
2020年8月30日、吉祥寺福音集会
藤田 匡

ローマ
4:1 それでは、肉による私たちの先祖アブラハムのばあいは、どうでしょうか。
4:2 もしアブラハムが行ないによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。
4:3 聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義と見なされた。」とあります。

ここで、アブラハムについて書かれております。ここに示されておりますように、アブラハムはイスラエル民族の父祖であります。彼から、主のものとされる国民が起こされることになるわけであります。主は後に、ご自身を、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と、アブラハムの名前を挙げて、ご自身を現されました。そして、このローマ書の箇所では、これと同時に、アブラハムの信仰が、主によって義とみなされた、と書かれております。アブラハムは、信仰の父とも呼ばれております。アブラハムは、主への全き信頼に導かれた人物でありました。アブラハムは、信仰によって義と認められる者たち、すなわち、主のみからだなる教会の、模範とされる人物でもあります。このアブラハムの歩みについて、今日は見させていただきたいと思います。

2020年8月23日日曜日

初めの愛に立ち返る

初めの愛に立ち返る
2020年8月23日、吉祥寺福音集会
黒田 禮吉

創世記
33:18 こうしてヤコブは、パダン・アラムからの帰途、カナンの地にあるシェケムの町に無事に着き、その町の手前で宿営した。
33:19 そして彼が天幕を張った野の一部を、シェケムの父ハモルの子らの手から百ケシタで買い取った。
33:20 彼はそこに祭壇を築き、それをエル・エロヘ・イスラエルと名づけた。

ヤコブの生涯でもっとも大切な経験とは、言うまでもなく、ペヌエルで神と組み打ちをした結果、その名をイスラエルと変えられた出来事でありましょう。しかし、ペヌエルでのこのような深い霊的経験があったにも関わらず、主なる神は、更なる環境にヤコブを置いて、彼に語りかけられたのであります。ヤコブが通らなければならなかった、ペヌエルより以降の歩みについて、今日、ご一緒に考えてみたいと思います。

2020年8月2日日曜日

イエスの救い(三)進歩への道「知ること」

イエスの救い(三)進歩への道「知ること」
主は生きておられる、54号、2020年
ゴットホルド・ベック

今回は、ルカの福音書3章3節からお節、そしてローマ人への手紙6章1節から1節を学び「進歩への道、すなわち知ること」について考えてみたいと思います。

主なる神様のご目的は、私たちが主イエス様の似姿に変えられていくことです。これが私たちの内に実現する時に、私たちはパウロと同じように、「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2・2)と、言えるようになります。

ところで問題は、いかにしてそのようになるかということです。

これまで私たちは、どうしても知らなければならない基本的な二つの事柄について学んで来ました。「人間の罪と主イエス様の血潮の価値」、そして「私たちの古い人に対する主イエス様の十字架の価値」です。この事実がなければ、私たちは揺るがないしっかりとした土台の上に立つことはできません。この恵みの事実こそ、私たちの信仰生活の土台なのです。

2020年8月1日土曜日

The Salvation of Jesus (3), the Path to Progress: “Knowing” [Unser Herr lebt, Issue 54]

The Salvation of Jesus (3), the Path to Progress: “Knowing”
Unser Herr lebt, Issue 54, 2020
Gotthold Beck

In today's sermon, I would like to study the Gospel according to Luke, chapter 23, verses 33-43 and the Epistle to the Romans chapter 6, verse 1-11 and discuss the “knowing as the path to the progress.”

The purpose of the Lord God is for us to be transformed into the likeness of the Lord Jesus. When this is realized in us, we will be able to say just as Paul did, “I no longer live, but the Messiah lives in me (Galatians 2.20).”

The question, by the way, is how this can actually happen to us.

We have learned in the previous articles about two fundamental facts we absolutely need to know, which were, “sin of humans and the value of the Lord Jesus' blood” and “the value of the Cross of the Lord Jesus to our old man.” Without these facts, it is not possible for us to stand on a firm and unshakable foundation. These facts of grace are the foundation of our faith life.

2020年7月11日土曜日

悲しみの中の祈り

悲しみの中の祈り

2020年7月11日、芦屋ティータイム
古田 公人

第一ヨハネ
5:14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。

詩篇
ダビデがその子アブシャロムからのがれたときの賛歌
3:1 主よ。なんと私の敵がふえてきたことでしょう。私に立ち向かう者が多くいます。
3:2 多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼に神の救いはない。」と。セラ
3:3 しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。
3:4 私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。セラ
3:5 私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。
3:6 私を取り囲んでいる幾万の民をも私は恐れない。
3:7 主よ。立ち上がってください。私の神。私をお救いください。あなたは私のすべての敵の頬を打ち、悪者の歯を打ち砕いてくださいます。
3:8 救いは主にあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように。セラ

この詩篇の三篇は、『ダビデがその子アブシャロムからのがれたときの・・・・』と記されています。もちろん、ダビデでは、ご存知のように、イスラエルの王で、アブシャロムはダビデの三男でした。この息子は、父親に代わって、自分が王になりたいと思っただけではなくて、彼は行動に移しました。そのアブシャロムの謀反の中での、ダビデの祈りがこの詩編三篇であります。

2020年7月5日日曜日

エマオの二人

エマオの二人
2020年7月5日、秋田福音集会
翻訳虫

ルカ
24:13 ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。
24:14 そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。
24:15 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。
24:16 しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。

[1]はじまり

今、読んでいただきました、ルカの福音書の最後の章には十字架で死なれたイエス様が三日後に復活した、その一日のあいだに起こった出来事が、三つの部分に分けられて、三組の人々の経験を中心に描かれています。初めの1節から12節は、イエス様の墓が空であることを見つけた女たち、次に、エルサレムからエマオへ歩いていた二人の弟子、そして、最後に、36節から後ろは、エルサレムに残っていた十一人の弟子たちであります。

祈りのかたち

祈りのかたち
2020年7月5日、吉祥寺福音集会
古田 公人

マタイ
6:5 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
6:6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

おはようございます。こういう機会をいただきましたことを、本当に感謝いたします。