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2025年8月2日土曜日

弟子たちの足を洗われたイエス様

弟子たちの足を洗われたイエス様
2025年8月3日、秋田福音集会
翻訳虫

ヨハネ
13:12 イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。」

弟子たちとの晩餐が始まろうとするとき、イエス様は立ち上がり、上着を脱いで手ぬぐいを腰に付けました。これは、イエス様が十字架にかけられる前日の出来事であります。弟子たちは、何をされるのかと不思議に思ったでしょう。イエス様はたらいに水をくみ、おもむろに弟子たちの足を洗い始めました。

2025年4月27日日曜日

慰めの子であるバルナバ

慰めの子であるバルナバ
2025年4月27日、秋田福音集会
翻訳虫

使徒の働き
4:36 キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、
4:37 畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。

新約聖書に出てくるバルナバという人のことをお話ししたいと思います。バルナバは、初代教会の時代に活躍した使徒であり、主の教えを広めることに生涯を捧げた方であります。

以前のメッセージでパウロのことをお話ししましたが、バルナバさんはパウロとも深いかかわりのあるかたです。教会を迫害してきたサウロが、使徒たちの仲間として受け入れられるために、このバルナバさんが大きな役割を果たしています。私は、このことから興味をもって、バルナバとはどんな人だったのか、いろいろと調べてみました。

2025年1月25日土曜日

ベタニヤのマリアの信仰

ベタニヤのマリアの信仰
2025年1月26日、秋田福音集会
翻訳虫

マルコ
14:9 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。

新約聖書にはマリヤという名前の人が三人、出てきます。一人は、イエスさまのお母さんであるマリヤです。その他に、イエス様の復活を見届けたマグダラのマリヤがおり、もう一人、ベタニヤのマリヤという人がいます。

2024年10月26日土曜日

私の足はよろけています

私の足はよろけています
2024年10月27日、秋田福音集会
翻訳虫

詩篇
94:17 もしも主が私の助けでなかったなら、私のたましいはただちに沈黙のうちに住んだことでしょう。
94:18 もしも私が、「私の足はよろけています。」と言ったとすれば、主よ、あなたの恵みが私をささえてくださいますように。
94:19 私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。

この3節は、心の中で思い煩いが生まれ、抑えることができないほど大きくなっているとき、主に助けを求める祈りのことばです。

2024年8月3日土曜日

ダビデの二つ目の罪

ダビデの二つ目の罪
2024年8月7日、秋田福音集会
翻訳虫

第二サムエル記
24:2 王は側近の軍隊の長ヨアブに言った。「さあ、ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルの全部族の間を行き巡り、その民を登録し、私に、民の数を知らせなさい。」
24:3 すると、ヨアブは王に言った。「あなたの神、主が、この民を今より百倍も増してくださいますように。王さまが、親しくこれをご覧になりますように。ところで、王さまは、なぜ、このようなことを望まれるのですか。」

ダビデは聖書に登場するもっとも有名な人物のひとりであります。ダビデは、イスラエルを統治した偉大な王として国民に愛されてはいましたが、一方で、神の前に大きな罪を犯したことも知られています。

2024年5月12日日曜日

痛みの中の祈り

痛みの中の祈り
2024年5月12日、秋田福音集会
翻訳虫

第一ペテロ
5:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

私たちが集っている集会のある姉妹が、長い間、脊柱管狭窄症という病気を患っています。治療を受けても、ひどい痛みが消えず、一時的に苦痛が和らいだように思えても、また元に戻ってしまうそうです。手足も動かすことができなくなり、痛みのせいで、気力もなくなって行く一方であるとのことでした。

2024年2月10日土曜日

ダマスコへの道

ダマスコへの道
2024年2月10日、秋田福音集会
翻訳虫

使徒の働き
22:6 ところが、旅を続けて、真昼ごろダマスコに近づいたとき、突然、天からまばゆい光が私の回りを照らしたのです。
22:7 私は地に倒れ、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。』という声を聞きました。
22:8 そこで私が答えて、『主よ。あなたはどなたですか。』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ。』と言われました。

今、お読みした箇所は、ダマスコの改心などとも呼ばれる非常に有名な出来事の一部であります。

2023年11月11日土曜日

イエス様と二人の金持ち

イエス様と二人の金持ち
2023年11月12日、秋田福音集会
翻訳虫

ルカ
18:24 イエスは彼を見てこう言われた。「裕福な者が神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。
18:25 金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」

19:9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
19:10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」。

はじめに

2023年5月13日土曜日

友と呼んでくださる主イエス様

友と呼んでくださる主イエス様

2023年5月14日、秋田福音集会
翻訳虫

ヨハネ
15:15 わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。

何年か前ですが、外国のあるネット記事を読みました。それは、高齢な方を対象にしたアンケートで、これまでの人生を振り返って、いちばん後悔していることを何か、答えてもらうという記事でした。

2023年2月11日土曜日

みことばは、あなたのごく身近にある

みことばは、あなたのごく身近にある
2023年2月12日、秋田福音集会
翻訳虫

申命記
30:11 まことに、私が、きょう、あなたに命じるこの命令は、あなたにとってむずかしすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない。

30:14 まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行なうことができる。

2022年11月13日日曜日

まさか私のことではないでしょう

まさか私のことではないでしょう
2022年11月13日、秋田福音集会
明日虎ゼネ子

マルコ
14:17 夕方になって、イエスは十二弟子といっしょにそこに来られた。
14:18 そして、みなが席に着いて、食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりで、わたしといっしょに食事をしている者が、わたしを裏切ります。」

2022年8月14日日曜日

神の麦打ち場

神の麦打ち場
2022年8月14日、秋田福音集会
翻訳虫

ルカ
3:16 ヨハネはみなに答えて言った。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを解く値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。
3:17 また手にを持って脱穀場をことごとくきよめ、麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」

はじめに


今、読んだ箇所の最後に脱穀場ということばが出てきました。

脱穀というのは、収穫した米や麦を乾燥させた後、もみ殻などのいらない部分を取り除け、人間が食べる実だけを集めることを指します。

2021年4月24日土曜日

病気の苦しみを通して与えられるもの

病気の苦しみを通して与えられるもの
2021年4月25日、秋田福音集会
翻訳虫

哀歌
3:31 主は、いつまでも見放してはおられない。
3:32 たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。
3:33 主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。

はじめに

昨年を振り返ってみますと、病気というものについて考える一年であったように思います。

まずは、約一年前に初めての感染者が出てから、またたく間に全世界に広がったコロナ・ウィルスの問題がありました。また個人的にも、身近にいる何人かの方が大変な重病にかかりました。今も苦しんでいる姉妹、天に召された方もいました。

2021年3月14日日曜日

静かなぶどう酒の奇蹟

静かなぶどう酒の奇蹟
2021年3月14日、ZOOMよろこびの集い
翻訳虫

ヨハネ
2:1 それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。
2:2 イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。
2:3 ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません。」と言った。
2:4 すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」

はじめに

今、読んでいただいたカナの婚礼は、ヨハネの福音書に出てくる第一番目の奇蹟であります。イエス様の一行が招かれた婚礼の席で、まだ宴が続いている中、ぶどう酒がなくなってしまった。そこで、イエス様がその御力によって、水をぶどう酒に変え、それによって、この宴も続けることができたというはなしであります。

2020年10月18日日曜日

ふたつのパンの奇蹟

ふたつのパンの奇蹟
2020年10月18日、秋田福音集会
翻訳虫

マタイ
14:16 しかし、イエスは言われた。「彼らが出かけて行く必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」
14:17 しかし、弟子たちはイエスに言った。「ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません。」
14:18 すると、イエスは言われた。「それを、ここに持って来なさい。」
14:19 そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。
14:20 人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、十二のかごにいっぱいあった。

(1)ベックさんのメッセージ

本題に入る前に、最近、ゴットホルド・ベック兄の古いメッセージを聴いていて、心に残った部分があったので紹介します。2014年の学び会で語られた『集会に集うべき態度』と言うメッセージの中で、ベックさんはこのように言われていました。

2020年7月5日日曜日

エマオの二人

エマオの二人
2020年7月5日、秋田福音集会
翻訳虫

ルカ
24:13 ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。
24:14 そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。
24:15 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。
24:16 しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。

[1]はじまり

今、読んでいただきました、ルカの福音書の最後の章には十字架で死なれたイエス様が三日後に復活した、その一日のあいだに起こった出来事が、三つの部分に分けられて、三組の人々の経験を中心に描かれています。初めの1節から12節は、イエス様の墓が空であることを見つけた女たち、次に、エルサレムからエマオへ歩いていた二人の弟子、そして、最後に、36節から後ろは、エルサレムに残っていた十一人の弟子たちであります。

2020年6月14日日曜日

静かな奇蹟

静かな奇蹟
2020年6月14日、秋田福音集会
翻訳虫

ヨハネ
2:1 それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。
2:2 イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。
2:3 ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません。」と言った。
2:4 すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」
<<<2:5 母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」
2:6 さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。
2:7 イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
2:8 イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
2:9 宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、――しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。――彼は、花婿を呼んで、
2:10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」>>>
2:11 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。

三月からこの秋田集会も閉鎖されておりましたが、また、こうして兄弟姉妹の皆さまとともに礼拝し、また、聖書からご一緒に学びことができることに感謝します。

2019年5月19日日曜日

主の計画

主の計画
2019年5月19日、富山よろこびの集い


箴言
16:9 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。

聖書を読むと、神に仕えたいという願いをもって、生活のすべてを投げ出してまで、自分で考えた道筋に沿って行動しながら、主によって行く手をさえぎられた人たちの例が多く描かれています。

今の世界に生きている私たちもまた、ものごとが計画したとおりに進まず、挫折を味わうことは少なくありません。

人生の新しい機会を模索して、周到な準備をし、一歩を踏み出しながら、その足を取られて、希望を失った経験を、多くの人が持っているのではないでしょうか。

2019年3月23日土曜日

回復への希望

回復への希望
2019年3月23日、バンクーバー喜びの集い


エゼキエル
36:25 わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、
36:26 あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。

(1)

今、読んでいただいた箇所を含め、エゼキエル書は私にとって、とても心を惹かれる書のひとつであり、また、何かわからなくなると必ず戻ってきて読み返すところです。