2026年8月23日、吉祥寺集会
黒田禮吉
第一ヨハネ
5:19 私たちは神からの者であり、全世界は悪い者の支配下にあることを知っています。
5:20 しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。
5:21 子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。
司会をしていただいた兄弟は 熱烈なタイガーズ・ファンということを聞いております。私はジャイアンツ・ファンというわけではないんですけれども、2、3ヶ月前になりますでしょうか、プロ野球の巨人の監督が、家庭内暴力事件で逮捕されたという報道がありました。皆さんご存知だと思います。
私はこの事件について、二つの点で驚きました。ひとつは、本来、家庭内で解決すべきことが、どうしてこんなに簡単に表沙汰になって、残念な結果になってしまったかという一点です。もうひとつは、被害者とされた長女が、父親とのトラブルを生成AIに相談し、その回答に従って問題解決を図ろうとしたことであります。どうすればよかったのか、よく分かりませんけれども、良くも悪くも人工知能と呼ばれるAIが、私たちの身近なものとなっていることは、間違いないことでありましょう。
私はAIについては全く素人ですが、一年ほど前に生成AIであるチャットGPTの実力がどの程度のものかを調べたくて、こんな質問をしてみました。
質問はですね、『私は80歳になりました。あとどれぐらい生きられるでしょうか?』という質問です。これに対して、AIの答えは、『80歳を迎えられたとのこと、おめでとうございます。それは立派な節目ですね。あとどれぐらい生きられるかは、個人の健康状態、生活習慣、遺伝、環境など多くの要因に左右されるため、正確には誰にも分かりませんが、統計的な目安はあります。日本人の80歳男性の平均余命は、約9年です。つまり80歳の時点で元気であれば、90歳前後まで生きる可能性は、十分あるということになります。さらに健康に気をつけて、運動やバランスの良い食事、社会との関わりを保っている人は、それ以上、長生きすることも珍しくありません。もしよろしければ、健康状態や生活習慣について教えていただければ、より具体的なアドバイスも可能です。』
AIは、社交辞令といいますか、ちゃんとお世辞を言うんですね。もう一つ質問しました。『イエス・キリストの再臨はいつですか?』と、直球を投げかけました。これに対してAIの回答は、『イエス・キリストの再臨については、キリスト教において重要な教義の一つですが、いつ再臨が起こるのかという具体的な日時は、聖書の中でも明示されていません。マタイの福音書の24章36節に、このように書いてあります。「ただし、その日その時がいつであるかは、誰も知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」このようにキリストの再臨は、予測できない時に起こるとされており、多くのキリスト教徒は、それに備えて信仰を持ち続けるよう教えられています。過去にも様々な人や団体が、この日に再臨があると予言してきましたが、いずれも実現していません。そのため主流のキリスト教会では、再臨の日時を断定することは避けるべきとされています。興味があれば、再臨に関する各教派、カトリック、プロテスタント、正教会などの見解についてもご紹介できます。』こういう答えでありました
いかがでございましょうか。AIを使いこなしている若い人は、当たり前と思っていると思いますが、私ども高齢者にとっては、見事な回答で驚きであります。
今日は聖書とAIについて、力不足であるのは重々承知の上で、私たち信じる者はどのような態度を取るべきかを考えてみたいと思います。的外れなことを言うかもしれませんが、その点は、後で私にこっそりと教えてください。
聖書とAIについて大切なことの一番目は、AIを偶像化しないことではないでしょうか。AIを頼りにしすぎて、神のような存在にしない、ということであります。旧約聖書の出エジプト記の20章3節から5節には、このように書いてあります。
出エジプト記
20:3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
20:4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
20:5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
AIを神よりも価値の高いものとして扱うなら、それは偶像崇拝になってしまいます。AIは確かに便利だけれど、さすがに神のように扱うことはないでしょう、と思われるかもしれません。しかし、すでにキリスト教の教義を学習させ、教えや悩み事などに回答する対話型AIが開発されているそうであります。今後の活用の方法によっては、AIで集会を持つとか、礼拝するということがあるかもしれません。
今までも様々な技術が登場してきましたけれども、AIほど偶像崇拝の対象になりやすいものは、かつてなかったのではないでしょうか。なぜなら、次のような理由があるからです。
まず、AIは人格を持っているかのように見える。人間以上の知能や能力を秘めている。人生の悩みにも寄り添い、的確な答えを与えてくれる。24時間、いつでも要望に応えてくれる。AIはまさに、私たちが依存し、神のように頼りにしてしまう要素があるのです。しかし、どんなものも神の代わりになるものではありません。旧約聖書のイザヤ書の45章5節に、このようなみ言葉があります。
イザヤ
45:5 わたしが主である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。
創造主である神は、私たち人間を含めて、この世界のすべてを造られました。どれだけ高性能なAIでも、あくまでも造りものの一つです。AIは神のように、私たちのことを本当の意味で愛したり、救ったりすることはできません。生きる意味を与えることもできません。
もちろん、AIをうまく活用して、日々の作業や仕事を効率化することは悪いことではありません。けれども、あくまでもAIはツールであり、私たちを本当の意味で導くのは、主なる神であります。
聖書とAIについて大切なことの二つ目は、AIを正しい目的のために使う、ということではないでしょうか。なぜなら、AIが良いものになるか悪いものになるかは、利用する人間次第だからです。もし良い目的のために使えば、人の役に立つような素晴らしい働きができるでしょうし、悪い目的のために使えば、悪質な犯罪にもつながるでしょう。
聖書の中には、バベルの塔という話が出てまいります。シヌアルの地に住む人々が、自分たちの名を上げるために、当時の高度な建築技術を使って、天にも届く高い塔を建てようとしました。その部分の聖書の箇所を読んでみたいと思います。
創世記
11:2 そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。
11:3 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。
11:4 そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」
11:5 そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。
11:6 主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。
11:7 さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」
11:8 こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
11:9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。
創造主なる神を無視し、自分たちの栄誉だけを求めた、その傲慢さが神の怒りに触れ、彼らの言語はばらばらにされ、バベルの塔は崩壊してしまった、という話であります。
時代は全く違いますが、AIも同じような危険性を秘めているのではないでしょうか。AIを自己中心的な悪い目的で使うなら、その人の人生はバベルの塔のように崩壊していくでしょう。確かにAIを使うことによって、今まで以上に効率的に情報を発信できるようになります。AIを、神に喜ばれる目的のために用いていきたいものであります。
聖書とAIについて大切なことの三つ目は、真実を見極めることです。なぜなら、AIの発展によって、生成AIによる偽情報が増えてきているからです。
例えば、偽の文章や音声、映像など、今や本物そっくりの偽情報を、誰でも作り出せてしまう時代になってしまいました。画像や動画もクオリティがどんどん上がってきているので、本物か偽物かの見分けがつかなくなってきています。イエス様も聖書の中で、この世の終わりが近づくにつれ、偽の教えや情報が増えていくと警告されました。
マタイの福音書
24:23 そのとき、『そら、キリストがここにいる。』とか、『そこにいる。』とか言う者があっても、信じてはいけません。
24:24 にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。
ですから、何が真実で何が偽りかを見極める力が必要になります。では、何を基準に情報の正しさを見極めればよいのでしょうか。それは聖書です。なぜなら聖書は、永遠に変わらない真理である神の言葉が書かれた書物だからであります。
第二テモテ
3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
聖書の知識についても、知識だけでいえば、私たちはAIに太刀打ちできないでしょう。しかし、大切なのは、単なる頭の知識ではなく、御言葉が私たちに語りかけるいのちであり、御言葉、すなわちイエス様ご自身が私たちの中に入ってくださり、力となることを経験することが大切ではないでしょうか。聖書は、混乱する時代において真理を見分ける光ではないでしょうか。
詩篇
119:105 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。
第一サムエル
3:10 そのうちに主が来られ、そばに立って、これまでと同じように、「サムエル。サムエル。」と呼ばれた。サムエルは、「お話しください。しもべは聞いております。」と申し上げた。
SNSやYouTubeなど、今ほど情報量の多い時代はかつてありませんでした。AIによって、今後、さらに情報は増え続けていくでしょう。私たちがそんな混乱の時代を生き抜くために必要なのは、揺るがない真理です。その真理こそ、今も昔も変わらない神の言葉、聖書ではないでしょうか。どんな情報をも鵜呑みにせず、聖書の内容から慎重に見極めていきたいものであります。
聖書とAIについて大切なことの四つ目は、自分の存在価値を見失わないことではないでしょうか。なぜなら、AIがあまりにもいろいろなことが、できてしまうからです。しかも、その分野のプロも顔負けのクオリティのものが、あっという間にできてしまいます。実際に、画像生成AIで作られたアートや写真が、コンテストでも入賞するレベルにまで来ているそうです。
また、例えば、もっとも知的な判断が必要とされる病気の診断についても、条件を揃えれば、専門医よりもAIの方が勝る可能性があるようであります。こうして次第に、人間ができる仕事がAIに奪われていき、自分の価値を見失ってしまう人も増えてくるのではないでしょうか。プライドを持って仕事をしている人ほど、それをAIに奪われたときのショックは大きく、自分の存在意義を見失ってしまう危険性は高いでしょう。
ただ、決して忘れてはならないのは、私たちは神が愛をもって造られた最高傑作だ、ということではないでしょうか。創世記1章に、このように書かれています。
創世記
1:26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
私たちは、能力が高いから、何かができるから価値があるわけではありません。存在そのものに、大きな価値があるのではないでしょうか。
主なる神は、私たちを無条件に、ありのままで愛してくださっているということ、その証拠は、神がご自分のひとり子であるイエス様を十字架にかけてまで、私たちを罪から救おうとされたことから言うことができます。
ローマ
8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
たとえAIに職を奪われても、自分の得意分野で上回られても、決して自分の価値を見失う必要はありません。AIがどんなに発展しようとも、決して変わらない神の愛は、私たちを引き離すことはないと約束されております。
聖書とAIについて大切なことの五つ目は、愛を大切にするべきことであります。AIが発展することによって、今までより人と関わらなくて済む社会になる可能性があるからであります。今の時点でも、人ではなくAIと会話をしたり、相談をしたりする人が増えてきています。また、配達や接客、教育など、人間がしていたことをAIがやってくれるようになると、人との関わりが減るでしょう。すると人は、面倒な人との関わりよりも、楽で効率的なAIとの関わりを重視するようになるかもしれません。
イエス様も、この世の終わりについて、このように警告しておられます。
マタイの福音書
24:12 不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
確かに人間関係には面倒くさいことも多いですし、人が悩むのは、いつの時代も大体が人間関係であります。しかし神は、人が一人で生きるだけではなく、他者との愛の交わりに生きるように造られました。
ヨハネの福音書
13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
第一コリント
13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
AIは私たちに愛の言葉をかけたり、愛したりするふりはできるかもしれません。けれども、本当の意味で愛することは、もちろんできません。人間同士の関わりの中でしか感じることのできない、愛の交わりや喜びというものがあります。ですから、たとえ面倒に思えても、兄弟姉妹と交わることをやめてはいけません。
まとめたいと思います。まとめの第一点目は、例えば聖書の学びにAIを用いること自体は、問題ないかもしれません。しかし、AIは間違ったり、知ったかぶりをしたりすることがあります。AIはあくまで道具であり、最終権威は、常に聖書そのものです。そして聖書は、聖霊の助けによって理解される書であります。
二つ目は、AIによって祈らなくなること、集会に集わなくなり、交わらなくなることは危険です。AIには、霊的な識別力、信仰の告白、悔い改め、礼拝、交わりなどはないからです。初めに読んでいただいた御言葉を、もう一度読んで終わりにしたいと思います。
第一ヨハネ
5:19 私たちは神からの者であり、全世界は悪い者の支配下にあることを知っています。
5:20 しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。
5:21 子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。
私たちは、御子イエス様を知る理解力が与えられており、この方のうちに、この交わりの中に、私たちが入れられていることを感謝するものであります。イエス様がまことの神、永遠のいのちであるのに対して、この世のものは偶像であります。そして、この方ではないものから守られていかなければなりません。

0 件のコメント:
コメントを投稿