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2022年11月27日日曜日

神の人と年寄りの預言者

神の人と年寄りの預言者
2022年11月27日、市川福音集会
黒田 禮吉兄

ガラテヤ
1:8 しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。
1:9 私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。

2022年11月20日日曜日

私たちの格闘

私たちの格闘
2022年11月20日、吉祥寺福音集会
岡本雅文兄

エペソ
6:10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
6:11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

2022年11月13日日曜日

まさか私のことではないでしょう

まさか私のことではないでしょう
2022年11月13日、秋田福音集会
明日虎ゼネ子

マルコ
14:17 夕方になって、イエスは十二弟子といっしょにそこに来られた。
14:18 そして、みなが席に着いて、食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりで、わたしといっしょに食事をしている者が、わたしを裏切ります。」

2022年10月30日日曜日

主との交わり

主との交わり
2022年10月30日、秋田福音集会
岡本雅文兄

マルコ
6:34 イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。
6:35 そのうち、もう時刻もおそくなったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここはへんぴな所で、もう時刻もおそくなりました。
6:36 みんなを解散させてください。そして、近くの部落や村に行って何か食べる物をめいめいで買うようにさせてください。」

2022年10月23日日曜日

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全ての事について感謝しなさい。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全ての事について感謝しなさい。
2022年10月23日、吉祥寺福音集会
重田 定義

第一テサロニケ
5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

2022年10月2日日曜日

あなたは救われていますか

あなたは救われていますか

2022年10月2日、町田福音集会
重田 定義兄

詩篇
13:5 私はあなたの恵みに拠り頼みました。私の心はあなたの救いを喜びます。
13:6 私は主に歌を歌います。主が私を豊かにあしらわれたゆえ。

2022年9月4日日曜日

われわれはどこへ行くのか

われわれはどこへ行くのか
2022年9月4日、静岡福音集会
黒田禮吉兄

ヘブル
13:13 ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。
13:14 私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。

2022年8月14日日曜日

神の麦打ち場

神の麦打ち場
2022年8月14日、秋田福音集会
翻訳虫

ルカ
3:16 ヨハネはみなに答えて言った。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを解く値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。
3:17 また手にを持って脱穀場をことごとくきよめ、麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」

はじめに


今、読んだ箇所の最後に脱穀場ということばが出てきました。

脱穀というのは、収穫した米や麦を乾燥させた後、もみ殻などのいらない部分を取り除け、人間が食べる実だけを集めることを指します。

2022年7月10日日曜日

信仰の妨げとなる信者の古い人

信仰の妨げとなる信者の古い人
2022年7月10日、町田福音集会
重田定義

ローマ
6:6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。
6:7 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。
6:8 もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。

私たちは、イエス様を主と信じたとき、自分の知恵や意思によって、あるいは、自分の判断によって、信じたのでありましょうか?

2022年2月27日日曜日

サタンの使い

サタンの使い
2022年2月27日、吉祥寺福音集会
岡本雅文

第二コリント
12:7 また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。
12:8 このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。
12:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

13:4 確かに、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力のゆえに生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対する神の力のゆえに、キリストとともに生きているのです。

最近、ある集会の兄弟姉妹がたとともに、指導者たちの生活の結末ということについて、ヘブル書の13章の7節に沿って考えました。短いところですので読んでみます。

2022年2月13日日曜日

益なるキリスト

益なるキリスト
2022年2月13日、秋田福音集会
岡本 雅文

ヨハネ
12:46 わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。
12:47 だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。

いつも、こういう場に出る時に、気になる言葉が、メッセージという言葉です。メッセージができるような者は、多分、一人もいないと思います。今日も朝、聖書を見ていたら、テモテにパウロは朗読を進めていますね。

今日は、どちらかというと、たくさんの聖書の朗読に近いところがあると思いますけど、そこだけは自信を持って話せますね。聖書に書かれていないところについては、メッセージではなくて、証しと言った方が良いのかもしれません。導かれた『証し』という言葉は、どのように解釈してもいいと思います。メッセージだとか、学びといってもよく、また、第一コリントの14章では、徳を高める――すべてのことを持って兄弟姉妹が徳を高めるためにするのですというふうに書いてあります――、そして、またもうひとつ、聞くものは吟味しなさいとあります。それは、徳を高めるために、本当にイエス様が語られていることと違うことがあれば、叱責をする必要があるし、そしてわからないところは、批判的なことではなくて、知りたいという思いを持って交わって行くことが、聖書を共に考えると言うことで、いちばん大切ではないかと、いつも思わされます。

2022年1月16日日曜日

水の上を歩いたペテロ

水の上を歩いたペテロ
2022年1月16日、御代田福音集会
菊池 有恒

マタイ
14:24 しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。
14:25 すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。
14:26 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。
14:27 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。
14:28 すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」
14:29 イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。
14:30 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。
14:31 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」
14:32 そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。
14:33 そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です。」と言った。

2022年1月15日土曜日

聞き届けられる祈り

聞き届けられる祈り
2022年1月15日、芦屋ティータイム
古田 公人

マタイ
21:21 イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言っても、そのとおりになります。
21:22 あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」

「信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」非常にすばらしい御言葉ですけど、今日は、この御言葉を、聖書の中から、ご一緒に、この御言葉に導かれて、考えてみたいと思います。

2022年1月10日月曜日

祈りの力

祈りの力
2022年1月9日、吉祥寺集会
古田 公人

使徒行伝
9:1 さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、
9:2 ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。
9:3 ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。
9:4 彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。
9:5 彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
9:6 立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」
9:7 同行していた人たちは、声は聞こえても、だれも見えないので、ものも言えずに立っていた。
9:8 サウロは地面から立ち上がったが、目は開いていても何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いて、ダマスコへ連れて行った。
9:9 彼は三日の間、目が見えず、また飲み食いもしなかった。
9:10 さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、「アナニヤよ。」と言われたので、「主よ。ここにおります。」と答えた。
9:11 すると主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。」

祈りは力です。しかし、ローマ人への手紙には、『私たちはどのように祈ったらよいかわからないのです』とも、記されています。事実、そのとおりだと思います。今日は、パウロの祈りを元に、祈りの力について、ご一緒に考えたいと思います。

2022年1月9日日曜日

新しい歌を主に歌おう

新しい歌を主に歌おう
2022年1月9日、町田福音集会
重田 定義

詩篇
96:1 新しい歌を主に歌え。全地よ。主に歌え。
96:2 主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと、御救いの良い知らせを告げよ。

ここで、この詩篇の作者は、『さあ、神様にむかって、新しい賛美の歌を歌おう!』と言うふうに呼びかけております。賛美の歌とは、言うまでもなく、神様のご栄光を褒め称える歌であり、それを歌う者は、すべて神のしもべたちであり、神の民であり、神の子供たちであります。その者たちが、自分たちの神をほめたたえ、自分たちにしてくださった大いなる恵みを感謝して、主に向かって、ハレルヤ!と賛美の歌を歌うのであり、そして、その賛美の歌を日々、新鮮な思いで歌おうと言うふうに、呼びかけているのであります。