2026年1月4日日曜日

町田キリスト集会はいかに主に愛され祝福されている集会か

町田キリスト集会はいかに主に愛され祝福されている集会か
2026年1月4日、町田福音集会
重田 定義

マタイ
16:18 わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。

新しい年を迎えました。今年もよろしくお願いいたします。

年の初めにあたりまして、今日は、私たちの集う教会がいかに主に愛されている、祝福された集会かということを、ご一緒に考えて、主に感謝したいと思います。

まず第一は、町田キリスト集会は、主イエス様によって建てられたという点であります。

町田集会の歴史については、以前、黒田兄がメッセージをされましたけれども、ここであらためて、その誕生から、お話したいと思います。

町田集会という集会は、初めから存在していたのではありません。影も形もありませんでした。私は、それまで住んでいた荻窪から18年前に、サンシティ町田という老人施設に移りました。その時に、最寄りの集会が相模原集会だったので、そこに集うようになりました。吉祥寺集会は、ここからは車でも一時間あまりかかりますので、通いきれないなと思って探したところ、相模原集会が20分くらいで行けるところだったので、そこに集うことになったんです。

ところが、ある日、ベック兄から突然、相模原集会から出るようにと言われました。驚きました。その理由は、相模原集会の建物の持ち主である兄弟が、集会に使う部屋の改造に、献金を使っていたこと、また、相模原集会は吉祥寺集会に属しているのではなく、独立した集会であり、勝手にメッセンジャーを送ってきたのだというふうなことを、彼が言っていた。そういうことでありました。

約二十名が相模原集会から出たように思います。この兄弟姉妹が、後に町田集会を形成する最初の兄弟姉妹でありました。みんなで手分けして、次の集会所を探しました。けれども、なかなか見つかりません。当然であります。

ある日、桜美林大学が、京王多摩センター駅の近くにある旧厚生年金施設を買って、陶芸教室とか書道教室などのいろいろなサークルに貸しているという情報が入りました。そういう部屋の一つでも借りたいと思いまして、数名の兄弟がたと早速、支配人に会いに行きました。

私たちの話を聞いた支配人は、それなら、結婚式場に使っていたチャペルがあるから、それを貸しましょうと言ってくれました。夢かと思いました。まさに、礼拝にはぴったり、集会にはぴったりであります。

『ただし・・・・』と彼は言いました。正面玄関に、当日の行事を知らせる縦看板を出さなければならない。それに、町田キリスト集会と書くと、反対されるかもしれない。そのように言われました。皆で考えました。そして、その結果、『聖書を学ぶ会』という名前で看板を出そうと、言うことにしました。しかし、これも最初のうちで、まもなく、『町田キリスト集会』と堂々と、書くようになりました。問題は起こりませんでした。

町田キリスト集会の公のこれが誕生であります。はじめは、チャペルだけでしたけれども、隣の部屋も、借りることができ、子供たちのための日曜学校も行われるようになりました。礼拝、福音集会、兄弟姉妹に分かれての祈り会、すべて、ゆとりのある部屋で行われ、私たちは主の恵みに、心から感謝しました。

また、この施設には、大きな劇場型ホールやレストラン、そして、ホテルもありました。そこで、これを利用して、伝道集会をしようということになりました。町田喜びの集いの始まりです。みんなで力を合わせて、準備しました。土曜日の午後と、バイキング形式の夕食を挟んで、夜の二回の福音集会、そして、遠方からの人は一泊して翌朝の礼拝と、充実した、伝道集会でありました。会場はいつも、人があふれ出るほどでありました。

このような祝福された状況が、二年くらい、続いたと思います。兄弟姉妹も、どんどん増えました。ところが、ある年、十二月に入った頃だったと思います。支配人から、来年度から航空学科という新しい学科を開設することになったので、施設を貸すことはできなくなったと言われました。ビックリしました。大きな試練でした。皆で祈りながら、新しい会場を探し始めました。

ある日、朗報が入りました。集会の今は亡き上田兄が、京王プラザホテルの社長と親しい関係があり、交渉の結果、京王プラザホテル多摩の宴会場を貸してくださることになったのであります。ホテルですから、喜びの集いも盛大に行うことができます。大きなホテルの宴会場で、礼拝や福音集会、祈り会、そして、喜びの集いができるなんて、なんと感謝なことでありましょうか。

しかし、これも長くは続きませんでした。経営不振で閉館されることになったのであります。またもや試練です。兄弟姉妹がたは必死で祈りました。そして、与えられたのが現在の場所、ホテルのすぐそばの多摩市公営の施設であるパルテノン多摩でありました。

このように町田集会は何度もその場所を失うという試練に遭いました。しかし、その度に、私たちの願いをはるかに超えたすばらしい集会場が与えられました。これは奇蹟としか言いようがありません。兄弟姉妹が御霊にあって一つとなって祈る、その祈りを主が良しとされ、町田集会を御心にかなう教会として立てて、守ってくださったことを、改めて心から感謝したいと思います。

町田集会が、いかに主に愛され祝福された集会であるかの第二の点は、町田集会が、主のみからだなる教会であるということであります。

パウロは、教会とは主のみからだであると、いくつかの初代教会にあてた手紙に書いております。いくつか読んでみたいと思いますが、まずコロサイ人への1章18節には、『御子はそのからだである教会のかしらです』とあります。

エペソ
4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。

ローマ
12:4 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、
12:5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。

さらにパウロは、第一コリントの十二章で、教会が主のみからだであることを詳しく説明しておりますけれども、長い文章なので、18節から後のところを、とびとびにお読みいたします。

第一コリント
12:18 ・・・・神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。
12:19 もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。
12:20 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。
12:21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。
12:22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。

これは、具体的に言いますと、大きい体の器官といえば、手や足でしょう。いちばん小さい器官というのは、私は、涙を出す器官、涙腺だと思います。本当に目頭にある小さな器官ですけど、これがないと、目玉が乾いて失明してしまいますので、これも小さい器官ですけど、なくてはならない、弱い器官ですけど、体にとってはなくてはならない器官であります。そういうふうないろいろな器官があります。パウロは、その後、こう言っております。

第一コリント
12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。

2000年前にこのように、人体の機能をキリストのみからだなる教会に結びつけたパウロの説き明かしは、驚くべきものであります。ここで、パウロが説き明かしたいくつかのみ言葉を整理してみたいと思います。

主の身体なる教会は、人間の体の構成と同じように、信者が人間の器官のように、大きな力の強い信者も、小さく力の弱い者も、それぞれに与えられた役割を果たしながら、かしらであるイエス様の命令のもとに、互いに助け合い、祈り合い、一つとなって体を支え歩んでいく。これが、主のみからだなる教会である。このようにパウロは言っております。

このことは、私たちの町田集会に、そのまま当てはまります。まさしく、町田集会は主イエス様をかしらとするみからだなる教会なのであります。

さて、最近、ZOOMを利用して、礼拝する人が増えております。現在、町田集会に集う兄弟姉妹は、約80名ですけれども、そのうち、半数はZOOMによる礼拝者であります。

ZOOM礼拝は、高齢者や病人、遠距離の人など、集会に行きたくてもいけない兄弟姉妹にとっては、大変ありがたい方法です。けれども、ZOOM礼拝には、会場で兄弟姉妹が顔と顔とを合わせて、一つになって祈り、賛美し、交わることができないという一体感、緊張感に欠けるもどかしさがあります。

これは、私自身の経験でも、はっきりそのことが分かります。ZOOM礼拝が、集会の一致を損なうことがないように、正しく使うこと、これが、主のみからだなる町田集会が、これからも主に愛される集会として、主のご栄光を輝かす大切な条件になるのではないでしょうか。

最後に、町田集会が立て上げられてから今日まで、集会の旗印として歌われてきた日々の歌の212番の歌詞をお読みして終わります。

1.世界のうちに選び出され、
主に立てられた小さな群れ、
主イエスひとりをかしらとして、
建てあげられた主のみからだ。

2.みことばだけを頼りとして、
御心求め共に祈る、
いのちあふれるこの集いを、
主は御手をもて造りたもう。

3.救いの民は一つに群れ、
一つの心、一つの御名、
一つのからだ、一つの霊、
一つの祈り、一つの歌。

ありがとうございました。

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