2021年7月4日日曜日

神を誇る人間と自分を誇る人間

神を誇る人間と自分を誇る人間
2021年7月4日、町田福音集会
重田 定義

詩篇
20:7 ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。

こんにちわ。あらためて、このようにして、本当に久しぶりに、皆さんと一緒に礼拝を守ることができたこと、心から感謝しております。一年六カ月ぶりくらいだと思うんです。普段は、家内と一緒に、家庭で礼拝を捧げ、聖餐にあずかっておりました。また、毎日、朝晩、賛美と祈りを二人でしておりました。

コロナが、こんなに長引くとは考えもしなかったんですけども、この新しいコロナ・ウイルスというのは、未だかつて全人類があったことがないウィルスだと思うんです。それは、変異がきわめて速い。新しい変異の株が出現したと思ったら、もうすぐにまた、その次の変異株が来る・・・・こういう経験はおそらく、全人類がしたことがないのではないかと思います。そういうコロナの禍(か)――わざわいといいますが――によって、私たちは、全人類がですね、大変な目に遭っておりますけれども、本当にそのコロナによって、私たちの生活が、大きく変わったことは事実なんです。

2021年6月7日月曜日

自分の十字架を負う

自分の十字架を負う
2021年6月6日、静岡集会
黒田 禮吉

マタイ
16:24 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
16:25 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」

自分の十字架を負うとは、どういう意味でしょうか?世間で言われているように、自分の暗い過去や、罪などを背負うことなのでしょうか?イエス様は、そんなことを言っておられるのではありません。もしそうなら、『自分を捨て、十字架を負え』とは救いではなく、絶望へと突き進む命令ではないでしょうか?そこには喜び、希望はありません。

自分の十字架とはなんでしょうか?十字架とは、一般的には、運命や重荷のことと理解されているかもしれません。しかし、聖書で言っている十字架は、自分の運命のことではありません。

2021年6月6日日曜日

祈り

祈り
2021年6月6日、札幌集会
岡本 雅文

ピリピ
4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

4:6 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

今、読んでいただいたみ言葉の、『何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば・・・・』と書いてある、この短い、三節の短いみ言葉ですけれども、この中に、信じている私たちがなすべき、ほとんどのことが語られているのではないかと思わされます。

2021年5月30日日曜日

三つのうめき

三つのうめき
2021年5月30日、吉祥寺(Zoom礼拝)
重田 定義

ローマ
8:22 私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。
8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。

8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

今日は、このローマ人への手紙のみ言葉の中にある三つのうめきということについて、ご一緒に学んでみたいと思います。

2021年5月23日日曜日

金のように、銀のように

金のように、銀のように
2021年5月23日、吉祥寺(ZOOM)福音集会
岡本 雅文

創世記
18:9 彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻サラはどこにいますか。」それで「天幕の中にいます。」と答えた。
18:10 するとひとりが言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」サラはその人のうしろの天幕の入口で、聞いていた。
18:11 アブラハムとサラは年を重ねて老人になっており、サラには普通の女にあることがすでに止まっていた。
18:12 それでサラは心の中で笑ってこう言った。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」
18:13 そこで、主がアブラハムに仰せられた。「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに。』と言って笑うのか。
18:14 主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」
18:15 サラは「私は笑いませんでした。」と言って打ち消した。恐ろしかったのである。しかし主は仰せられた。「いや、確かにあなたは笑った。」

2021年5月22日土曜日

どんなことでも、神にはできるのです

どんなことでも、神にはできるのです
2021年5月23日、秋田福音集会
藤田 匡

マルコ
10:27 イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」

これは、イエス様が語られた言葉でございます。これは、弟子たちに、イエス様が語られた言葉ですけれども、この直前に、イエス様を一人の青年が訪ねてまいりました。その会話の後で、この言葉をイエス様が語られました。この青年とイエス様のやりとりの場面につきまして、少し見させていただきたいと思います。

2021年5月17日月曜日

木には望みがある

木には望みがある
2021年5月17日、吉祥寺福音集会
黒田 禮吉

ヨブ
14:7 木には望みがある。たとい切られても、また芽を出し、その若枝は絶えることがない。
14:8 たとい、その根が地中で老い、その根株が土の中で枯れても、
14:9 水分に出会うと芽をふき、苗木のように枝を出す。

木には望みがある。私は若い頃、よく山歩きをしました。ですから、このみ言葉に出会ったとき、霊的な意味は分かりませんでしたが、本当にその通りだと思いました。以来、私の心の中にあったみ言葉でありました。そして、最近になって、『木には望みがある』とは、救われた私たちには、主にある希望がある――そういう意味ではないかと思うようになりました。ヨブ記を通して、ご一緒に考えてみたいと思います

2021年5月9日日曜日

もっとも大切なこと

もっとも大切なこと
2021年5月9日、秋田福音集会
岡本 雅文

第一ヨハネ
5:13 私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。

5:20 しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。

この二、三週間のあいだに、私が知っている四人の兄弟姉妹が天の故郷に帰っていかれました。旧約聖書が告げる――皆さんがもうよくご存知の――『死の日は生まれる日にまさる』という神の御心に、特別に深くふれる、そういう時が与えられました。

2021年4月26日月曜日

あなたは隣人になりましたか

あなたは隣人になりましたか 
2021年4月25日、御代田福音集会
菊池 有恒

ルカ
10:25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」
10:26 イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」
10:27 すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」
10:28 イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」
10:29 しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」
10:30 イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
10:31 たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
10:32 同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。

2021年4月25日日曜日

神の沈黙

神の沈黙
2021年4月25日、市川福音集会
黒田 禮吉

ヨブ
2:1 ある日のこと、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンもいっしょに来て、主の前に立った。
2:2 主はサタンに仰せられた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えて言った。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」
2:3 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない。彼はなお、自分の誠実を堅く保っている。おまえは、わたしをそそのかして、何の理由もないのに彼を滅ぼそうとしたが。」
2:4 サタンは主に答えて言った。「皮の代わりには皮をもってします。人は自分のいのちの代わりには、すべての持ち物を与えるものです。
2:5 しかし、今あなたの手を伸べ、彼の骨と肉とを打ってください。彼はきっと、あなたをのろうに違いありません。」
2:6 主はサタンに仰せられた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ彼のいのちには触れるな。」
2:7 サタンは主の前から出て行き、ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で彼を打った。

2021年4月24日土曜日

病気の苦しみを通して与えられるもの

病気の苦しみを通して与えられるもの
2021年4月25日、秋田福音集会
翻訳虫

哀歌
3:31 主は、いつまでも見放してはおられない。
3:32 たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。
3:33 主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。

はじめに

昨年を振り返ってみますと、病気というものについて考える一年であったように思います。

まずは、約一年前に初めての感染者が出てから、またたく間に全世界に広がったコロナ・ウィルスの問題がありました。また個人的にも、身近にいる何人かの方が大変な重病にかかりました。今も苦しんでいる姉妹、天に召された方もいました。

2021年4月4日日曜日

みことばを食べる

みことばを食べる
2021年4月4日、町田福音集会
重田 定義

エレミヤ
15:16 私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ。私にはあなたの名がつけられているからです。

『私はあなたのみことばを見つけ、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。』エレミヤ書15章の16節。今日は、聖書のこの箇所から、『みことばを食べる』ということについて、ご一緒に考えたいと思います。

2021年4月3日土曜日

苦しみを通して用いられる

苦しみを通して用いられる
2021年4月4日、吉祥寺福音集会
古田公人

第一コリント
1:9 神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。

本当に感謝な礼拝だと思って、参加させていただきました。

真の教会はイエス様の体にたとえられています。エペソ書の1章の20節、21節は、そのことをもっとも良く記しているところだと思います。

エペソ
1:20 神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、
1:21 すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。
1:22 また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。
1:23 教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。

2021年4月1日木曜日

イエスの救い(五)進歩への道「ささげること」

イエスの救い(五)進歩への道「ささげること」
主は生きておられる、56号、2021年
ゴットホルド・ベック

しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。(ローマ6:22)

今回はローマ人への手紙6章6節および11節から23節までを、ご一緒に考えてみたいと思います。主題は進歩への道、すなわち、「ささげること」です。

今まで考えてきた問いは、どうすれば、実際に、主イエス様の似姿が私たちのうちに形造られてくるのか、どうすれば、実際に私たちのあこがれの勝利の生活に達することができるのか、また、どうすれば、私たちの信仰生活が前進するのかということでした。

これらの問いに対する答えは、一番目に「霊的に知ること」、二番目に「信仰の計算をすること」、この二つでした。

2021年3月28日日曜日

いのちのことばと救い

いのちのことばと救い
2021年3月28日、御代田福音集会
古田 公人

ヨハネ
1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
1:4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。

救いとは、何でしょうか。救いとは、よく言われることですけど、罪の赦し、主なる神との和解、永遠のいのち、この三つがそろって、救いを受けるということだと言われています。言うまでもなく、罪の赦し、主なる神との和解、永遠のいのちは、それぞれ、違うものですけれども、順序があります。罪の赦しがなければ、主なる神との和解はなく、また、主なる神との和解がなければ、永遠のいのちを受けることはありません。ですから、あえて言うならば、救いとは、永遠のいのちを受けることだと、言うことができるのではないかと思います。

2021年3月14日日曜日

静かなぶどう酒の奇蹟

静かなぶどう酒の奇蹟
2021年3月14日、ZOOMよろこびの集い
翻訳虫

ヨハネ
2:1 それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。
2:2 イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。
2:3 ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません。」と言った。
2:4 すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」

はじめに

今、読んでいただいたカナの婚礼は、ヨハネの福音書に出てくる第一番目の奇蹟であります。イエス様の一行が招かれた婚礼の席で、まだ宴が続いている中、ぶどう酒がなくなってしまった。そこで、イエス様がその御力によって、水をぶどう酒に変え、それによって、この宴も続けることができたというはなしであります。

2021年2月7日日曜日

パウロの異言

パウロの異言
2021年2月7日、秋田福音集会
岡本 雅文

ローマ
8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
8:27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。

イエス様を心から信じるようになって、そして、イエス様を受け入れたときから、理解しにくい聖書の箇所に、たくさん出会いました。そのような箇所の中には、聖書が書かれた時代と現代の風習や様々な背景の違い、また、御言葉の現代訳と言語の意味の違いなどの情報が与えられることによって、理解が進むことも確かにあります。ですけれども、聖書が伝えるもっとも大切な神ご自身との交わりは、そのような情報のあるなしにかかわらず、最後の晩餐でイエス様が約束してくださった、もう一人の助け主、すなわち、聖霊、御霊によって、私たちを導いてくださるということが分かります。

2021年1月24日日曜日

奇蹟の起きるとき

奇蹟の起きるとき
2021年1月24日、御代田福音集会
菊池 有恒

ヨハネ
5:2 さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。
5:3 その中に大ぜいの病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者が伏せっていた。
5:5 そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。
5:6 イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」
5:7 病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」
5:8 イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」
5:9 すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。・・・・

本題に入る前に、ちょっと、私ごとを述べさせていただきたいと思いますが、お祈りのうちに無事に、一月の五日、それからこの十九日に、左右の白内障の手術を無事に終えることができました。今かけているメガネは、保護メガネなんです。ちょっと色が付いていて、度数が入ってないんですが、とても、ものがきれいに見えるようになって、『よかったな』と思っています。目にメスを入れるなんて言うと、ものすごく怖い気がするんですけども――怖いのは事実なんですが――全く、痛みはありませんでした。この中にも既にご経験の方がいるかも分かりませんし、これからおやりになる方は、ぜんぜん痛くありませんので、そのことだけはお伝えしておきたいと思います。

2021年1月23日土曜日

苦しみを通して得たもの

苦しみを通して得たもの
2021年1月23日、芦屋ZOOM家庭集会
古田 公人

ヨハネ
1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

主イエス様は、恵みとまことに富むお方です。今日は、イエス様の栄光を、個人的に体験した人々について、彼らが、どのような気持ちで、イエス様のところへ行ったのか、イエス様は、どのように対応されたか、そして、イエス様は、それぞれの出来事を通して、私たちに何を教えようとなさっているか、これらの点について、ご一緒に考えたいと思います。

最初は、よく知られている中風の人の場合です。

2021年1月2日土曜日

今年は患難、忍耐、そして、希望の年

今年は患難、忍耐、そして、希望の年
2021年1月2日、町田福音集会
重田 定義

ローマ
5:2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

皆様、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

まず初めに、新しい年の最初の聖日礼拝を、主にある兄妹姉妹と共に捧げ、メッセージをさせていただこうと、楽しみにしておりましたが、コロナ再拡大による感染防止のためにできなくなったことを、心から残念に思っております。では、本題に入ります。

2020年12月1日火曜日

The Salvation of Jesus (4), the Path to Progress: “Reckoning” [Unser Herr lebt, Issue 55]

The Salvation of Jesus (4), the Path to Progress: “Reckoning”
Unser Herr lebt, Issue 55, 2020
Gotthold Beck

David confessed in his psalm:

How blessed is the one whose transgression is forgiven, whose sin is covered. How blessed is the person against whom the Lord does not charge iniquity, and in whose spirit there is no deceit. (Psalms 32:1-2, International Standard Version)

John wrote in his letter, “the blood of Jesus His Son cleanses us from all sin (1 John 1:7).”

When we read these verses, we will realize deep in our hearts how precious the blood of the Lord Jesus is. We will always want to know and appreciate the preciousness of the blood of the Lord Jesus even more and more.

In this article, I want to discuss with you, based on the Epistle to the Romans, chapter 6, verses 1 to 11, about the “reckoning” as the path to our progress.

2020年11月30日月曜日

イエスの救い(四)進歩への道「計算すること」

イエスの救い(四)進歩への道「計算すること」
主は生きておられる、55号、2020年
ゴットホルド・ベック

ダビデは詩篇で次のように告白しています。

幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。(詩篇32・1~2)

ヨハネは「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」(1ヨハネ1・7)と書き記しています。

この二つのみことばを読む時、主イエス様の血潮がどれほど尊いものか、しみじみとわかります。私たちは主イエス様の血潮の尊さを、さらによく知り、もっと感謝したいものです。

本日は、ローマ人への手紙6章1~11節を基にして、進歩への道「計算すること」についてご一緒に考えてみたいと思います。

2020年11月22日日曜日

わたしもその中にいる

わたしもその中にいる
2020年11月22日、吉祥寺福音集会
黒田 禮吉

マタイ
18:18 まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。
18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
18:20ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。

読んでいただいた箇所は、皆さんよくご存知の御言葉であり、本当に励まされる聖書の約束ではないかと思います。私たちは、この御言葉を礼拝や祈り会、あるいは、兄妹姉妹との交わりにあてはめます。そして、極めてわずかな人数の集まりの中にも、主が共にいてくださる。だから、心をひとつにした祈りはかなえられるという励ましの約束として、読んでいます。しかし、この箇所を、聖書の文脈の中で考えるならば、もう少し限定した話になるのであります。今日は、そのことを初めに考えてみたいと思います。

2020年11月21日土曜日

しばらくするとわたしを見る

しばらくするとわたしを見る
2020年11月22日、秋田福音集会
岡本 雅文

ヨハネ
17:24 父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。
17:25 正しい父よ。この世はあなたを知りません。しかし、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知りました。
17:26 そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。

今、読んでいただいた御言葉は、先週、吉祥寺の集いで、最後にお読みした箇所のすぐ後に続く御言葉であります。イエス様が、十一人の弟子たちと共に最後の晩餐を終えて、弟子たちのために、父なる神に祈ってくださった、最後の祈りです。その祈りの最後の最後の数カ所であります。

2020年11月15日日曜日

実験より出ずる信仰

実験より出ずる信仰
2012年11月15日、吉祥寺福音集会
岡本 雅文

ガラテヤ
2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

本日は、人間にとって、人にとって、どうしても必要なことについて、兄妹姉妹がよく知っておられる基本的な福音に、ご一緒に思いを馳せてみたいと思っています。ヨハネの3章の16節、有名なこのみ言葉は次のように告げています。

ヨハネ
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

人間にとって、すなわち、私たちにとって、どうしても必要なことは、真の神、御子イエスキリストを信じ、受け入れることであります。この箇所から、神様は、全ての人が救われてほしいと、願っておられることがわかります。『ひとりとして滅びることなく』と書かれているからであります。また、ヘブル書、1章では、神はこの福音を、よき知らせをどのように私たちに伝えてこられたかが告げられています。

2020年11月8日日曜日

神の選びと祝福

神の選びと祝福
2020年11月8日、市川福音集会
黒田 禮吉

ローマ
9:11 その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行なわないうちに、神の選びの計画の確かさが、行ないにはよらず、召してくださる方によるようにと、
9:12 「兄は弟に仕える。」と彼女に告げられたのです。
9:13 「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ。」と書いてあるとおりです。
9:14 それでは、どういうことになりますか。神に不正があるのですか。絶対にそんなことはありません。
9:15 神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ。」と言われました。
9:16 したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。


今日、兄弟に読んでいただいた箇所は、いったいどういうことなのかと、みなさんもお思いになる箇所のひとつではないかと思うんですね。子供たちが生まれる以前から、神の選びによって、兄は弟に仕えると告げられたとあります。そして、神である主ご自身が、「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」とあります。このような神の選びの根拠とは、いったい何なのでしょうか。人間的な考えでは、理解できません。パウロは続けて、神に不正があるのですか。絶対にそんなことはありませんと語りました。

2020年10月18日日曜日

ふたつのパンの奇蹟

ふたつのパンの奇蹟
2020年10月18日、秋田福音集会
翻訳虫

マタイ
14:16 しかし、イエスは言われた。「彼らが出かけて行く必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」
14:17 しかし、弟子たちはイエスに言った。「ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません。」
14:18 すると、イエスは言われた。「それを、ここに持って来なさい。」
14:19 そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。
14:20 人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、十二のかごにいっぱいあった。

(1)ベックさんのメッセージ

本題に入る前に、最近、ゴットホルド・ベック兄の古いメッセージを聴いていて、心に残った部分があったので紹介します。2014年の学び会で語られた『集会に集うべき態度』と言うメッセージの中で、ベックさんはこのように言われていました。

2020年10月4日日曜日

主は生きておられる

主は生きておられる
2020年10月4日、町田福音集会
重田 定義

第一列王記
22:13 さて、ミカヤを呼びに行った使いの者はミカヤに告げて言った。「いいですか。お願いです。預言者たちは口をそろえて、王に対し良いことを述べています。お願いですから、あなたもみなと全く同じように語り、良いことを述べてください。」
22:14 すると、ミカヤは答えた。「主は生きておられる。主が私に告げられることを、そのまま述べよう。」

皆さん、こんにちわ。七ヶ月ぶりにこの集会に戻ってまいりました。本当に、今日は懐かしく、兄弟姉妹の歌を直接、拝することができまして、本当に、嬉しいですね、なんだか、天国で再会したような気がしております。

2020年10月3日土曜日

神の福音

神の福音
2020年10月4日、吉祥寺集会
古田 公人

ローマ
1:1 神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、
1:2 ――この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、
1:3 御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、
1:4 聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。

読んでくださいましたように、使徒パウロは、ローマ人への手紙を、『神の福音』という言葉をもって始めています。今日は、神の福音が意味する内容について、ご一緒に考えたいと思います。二節から四節には、福音は旧約聖書で約束されたことであって、ダビデの子孫として生まれ、死者の中から復活された御子、主イエス・キリストに関することと記されています。ローマ人への手紙、全体の要約だと言ってもいいのかもしれません。

2020年9月27日日曜日

恵みと報酬

恵みと報酬
2020年9月27日、御代田福音集会
古田 公人

マタイ
20:1 天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。
20:2 彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。
20:3 それから、九時ごろに出かけてみると、別の人たちが市場に立っており、何もしないでいた。
20:4 そこで、彼はその人たちに言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものを上げるから。』
20:5 彼らは出て行った。それからまた、十二時ごろと三時ごろに出かけて行って、同じようにした。
20:6 また、五時ごろ出かけてみると、別の人たちが立っていたので、彼らに言った。『なぜ、一日中仕事もしないでここにいるのですか。』
20:7 彼らは言った。『だれも雇ってくれないからです。』彼は言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。』

2020年9月19日土曜日

ご奉仕の心得

ご奉仕の心得
2020年9月19日、御代田喜びの集い
古田 公人

ローマ
1:6 あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です。――このパウロから、
1:7 ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。
1:8 まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。
1:9 私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、
1:10 いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。
1:11 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。

2020年9月13日日曜日

マルタ、マルタ

マルタ、マルタ
2020年9月13日、秋田福音集会
岡本 雅文

ルカ
10:25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」
10:26 イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」
10:27 すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」
10:28 イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」
10:29 しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」
10:30 イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
10:31 たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
10:32 同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。

2020年8月30日日曜日

主のはかりごとだけが成る

主のはかりごとだけが成る
2020年8月30日、市川福音集会
黒田 禮吉

箴言
19:21 人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。

皆さん、おはようございます。黒田禮吉と申します。本当は、不要不急の外出を控えるようにということのようでございますから、私は掟破りをしたようなものであります。けども、どうぞよろしくお願いいたします。今日は今、司会の山本兄から紹介がありましたように、『主のはかりごとだけが成る』というテーマで、お話をさせていただきたいと思います。

主のものとされる

主のものとされる
2020年8月30日、吉祥寺福音集会
藤田 匡

ローマ
4:1 それでは、肉による私たちの先祖アブラハムのばあいは、どうでしょうか。
4:2 もしアブラハムが行ないによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。
4:3 聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義と見なされた。」とあります。

ここで、アブラハムについて書かれております。ここに示されておりますように、アブラハムはイスラエル民族の父祖であります。彼から、主のものとされる国民が起こされることになるわけであります。主は後に、ご自身を、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と、アブラハムの名前を挙げて、ご自身を現されました。そして、このローマ書の箇所では、これと同時に、アブラハムの信仰が、主によって義とみなされた、と書かれております。アブラハムは、信仰の父とも呼ばれております。アブラハムは、主への全き信頼に導かれた人物でありました。アブラハムは、信仰によって義と認められる者たち、すなわち、主のみからだなる教会の、模範とされる人物でもあります。このアブラハムの歩みについて、今日は見させていただきたいと思います。

2020年8月23日日曜日

初めの愛に立ち返る

初めの愛に立ち返る
2020年8月23日、吉祥寺福音集会
黒田 禮吉

創世記
33:18 こうしてヤコブは、パダン・アラムからの帰途、カナンの地にあるシェケムの町に無事に着き、その町の手前で宿営した。
33:19 そして彼が天幕を張った野の一部を、シェケムの父ハモルの子らの手から百ケシタで買い取った。
33:20 彼はそこに祭壇を築き、それをエル・エロヘ・イスラエルと名づけた。

ヤコブの生涯でもっとも大切な経験とは、言うまでもなく、ペヌエルで神と組み打ちをした結果、その名をイスラエルと変えられた出来事でありましょう。しかし、ペヌエルでのこのような深い霊的経験があったにも関わらず、主なる神は、更なる環境にヤコブを置いて、彼に語りかけられたのであります。ヤコブが通らなければならなかった、ペヌエルより以降の歩みについて、今日、ご一緒に考えてみたいと思います。

2020年8月9日日曜日

絶望的状態からのすばらしい逃れ道

絶望的状態からのすばらしい逃れ道
ベック兄暦年テープDVD2、CD24-0331
ゴットホルド・ベック

ヨハネ
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。

ヨハネ伝の今、読まれました三章の十六節に、『神は愛された』と書き記されています。いちばんよく知られている聖書の箇所ではないかと思います。もちろん、神は愛されただけではなく、神は今日も愛していてくださり、いつまでも愛したもうお方であると聖書は言ってます。

2020年8月2日日曜日

イエスの救い(三)進歩への道「知ること」

イエスの救い(三)進歩への道「知ること」
主は生きておられる、54号、2020年
ゴットホルド・ベック

今回は、ルカの福音書3章3節からお節、そしてローマ人への手紙6章1節から1節を学び「進歩への道、すなわち知ること」について考えてみたいと思います。

主なる神様のご目的は、私たちが主イエス様の似姿に変えられていくことです。これが私たちの内に実現する時に、私たちはパウロと同じように、「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2・2)と、言えるようになります。

ところで問題は、いかにしてそのようになるかということです。

これまで私たちは、どうしても知らなければならない基本的な二つの事柄について学んで来ました。「人間の罪と主イエス様の血潮の価値」、そして「私たちの古い人に対する主イエス様の十字架の価値」です。この事実がなければ、私たちは揺るがないしっかりとした土台の上に立つことはできません。この恵みの事実こそ、私たちの信仰生活の土台なのです。

2020年8月1日土曜日

The Salvation of Jesus (3), the Path to Progress: “Knowing” [Unser Herr lebt, Issue 54]

The Salvation of Jesus (3), the Path to Progress: “Knowing”
Unser Herr lebt, Issue 54, 2020
Gotthold Beck

In today's sermon, I would like to study the Gospel according to Luke, chapter 23, verses 33-43 and the Epistle to the Romans chapter 6, verse 1-11 and discuss the “knowing as the path to the progress.”

The purpose of the Lord God is for us to be transformed into the likeness of the Lord Jesus. When this is realized in us, we will be able to say just as Paul did, “I no longer live, but the Messiah lives in me (Galatians 2.20).”

The question, by the way, is how this can actually happen to us.

We have learned in the previous articles about two fundamental facts we absolutely need to know, which were, “sin of humans and the value of the Lord Jesus' blood” and “the value of the Cross of the Lord Jesus to our old man.” Without these facts, it is not possible for us to stand on a firm and unshakable foundation. These facts of grace are the foundation of our faith life.

2020年7月11日土曜日

悲しみの中の祈り

悲しみの中の祈り

2020年7月11日、芦屋ティータイム
古田 公人

第一ヨハネ
5:14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。

詩篇
ダビデがその子アブシャロムからのがれたときの賛歌
3:1 主よ。なんと私の敵がふえてきたことでしょう。私に立ち向かう者が多くいます。
3:2 多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼に神の救いはない。」と。セラ
3:3 しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。
3:4 私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。セラ
3:5 私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。
3:6 私を取り囲んでいる幾万の民をも私は恐れない。
3:7 主よ。立ち上がってください。私の神。私をお救いください。あなたは私のすべての敵の頬を打ち、悪者の歯を打ち砕いてくださいます。
3:8 救いは主にあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように。セラ

この詩篇の三篇は、『ダビデがその子アブシャロムからのがれたときの・・・・』と記されています。もちろん、ダビデでは、ご存知のように、イスラエルの王で、アブシャロムはダビデの三男でした。この息子は、父親に代わって、自分が王になりたいと思っただけではなくて、彼は行動に移しました。そのアブシャロムの謀反の中での、ダビデの祈りがこの詩編三篇であります。

2020年7月5日日曜日

エマオの二人

エマオの二人
2020年7月5日、秋田福音集会
翻訳虫

ルカ
24:13 ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。
24:14 そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。
24:15 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。
24:16 しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。

[1]はじまり

今、読んでいただきました、ルカの福音書の最後の章には十字架で死なれたイエス様が三日後に復活した、その一日のあいだに起こった出来事が、三つの部分に分けられて、三組の人々の経験を中心に描かれています。初めの1節から12節は、イエス様の墓が空であることを見つけた女たち、次に、エルサレムからエマオへ歩いていた二人の弟子、そして、最後に、36節から後ろは、エルサレムに残っていた十一人の弟子たちであります。

祈りのかたち

祈りのかたち
2020年7月5日、吉祥寺福音集会
古田 公人

マタイ
6:5 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
6:6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

おはようございます。こういう機会をいただきましたことを、本当に感謝いたします。

2020年6月28日日曜日

五つの言葉

五つの言葉
2020年6月28日、吉祥寺福音集会
岡本 雅文

第二コリント
13:11 終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。

一瞬にして全世界を覆ったこのコロナ・ウィルスによる災害でさえも、時がたてば、過去の時代の人間が自然界の脅威を克服した成果のひとつとして、記録に留まるのではないでしょうか。しかし、すべてのものの造り主が、意味の無いことをなさるはずがない。これが聖書、すなわち、イエス・キリストを信じるわたしたちの確信です。

そして、主なる神がアブラハムに対して考えられたように、信仰によるアブラハムの子孫である私たちも、御言葉によって、彼、アブラハムと同じように取り扱われています。

苦しみの中の祈り

苦しみの中の祈り
2020年6月28日、御代田福音集会
古田 公人

詩篇
ダビデがその子アブシャロムからのがれたときの賛歌
3:1 主よ。なんと私の敵がふえてきたことでしょう。私に立ち向かう者が多くいます。
3:2 多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼に神の救いはない。」と。セラ
3:3 しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。
3:4 私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。セラ
3:5 私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。
3:6 私を取り囲んでいる幾万の民をも私は恐れない。
3:7 主よ。立ち上がってください。私の神。私をお救いください。あなたは私のすべての敵の頬を打ち、悪者の歯を打ち砕いてくださいます。
3:8 救いは主にあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように。セラ

おはようございます。久しぶりに御代田のこの礼拝堂で礼拝をさせていただき、キャンプがとても待ち遠しく感じました。本当に感謝です。

2020年6月14日日曜日

静かな奇蹟

静かな奇蹟
2020年6月14日、秋田福音集会
翻訳虫

ヨハネ
2:1 それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。
2:2 イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。
2:3 ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません。」と言った。
2:4 すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」
<<<2:5 母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」
2:6 さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。
2:7 イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
2:8 イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
2:9 宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、――しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。――彼は、花婿を呼んで、
2:10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」>>>
2:11 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。

三月からこの秋田集会も閉鎖されておりましたが、また、こうして兄弟姉妹の皆さまとともに礼拝し、また、聖書からご一緒に学びことができることに感謝します。

2020年6月7日日曜日

しばらく休みましょう

しばらく休みましょう
2020年6月7日、高知福音集会
高橋 義夫

マルコ
6:30 さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。
6:31 イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。
6:32 そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。
6:33 ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。
6:34 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。

きょうのタイトルは、「しばらく休みましょう」です。

お話のきっかけに・・・・

まず、ある教会であった笑い話のような出来事なんですけど、ひとつ紹介したいと思います。ある教会の牧師先生のブログに書いてありました。その教会に元気に教会に通い始めた熱心な若い姉妹がいたそうです。日は浅いけれども、教会の奉仕もよくしてくださって、牧師先生の良き助け手だったそうです。牧師先生の期待も大。また、いろいろと教会に提案もしてくれる。その姉妹が、夏の近づく前のある日、また話があると牧師室に来ました。夏も近いから、また、夏の集会とか、何かアイデアが浮かんだのかしらと牧師先生は、楽しみにお話を伺いました。すると、こんなふうに言ったそうなんです。

2020年3月16日月曜日

イエスの救い(二)「古い人」に対するイエス様の「十字架」の価値[主は生きておられる53号]

イエスの救い(二)「古い人」に対するイエス様の「十字架」の価値
主は生きておられる、53号、2020年
ゴットホルド・ベック

前回、私たちは、人間の罪と主イエス様の血潮の価値について三つのことを学びました。第一に、主イエス様の血潮によって神と人との間を隔てている罪という名の壁は取り除かれ、人は神との交わりが可能になりました。これを深く知るなら、第二に、良心の呵責は消え、第三に、悪魔の訴えは効き目がなくなります。

今回は、私たちの「古い人」に対するイエス様の「十字架」の価値について考えてみたいと思います。

かつて私たちは、神を知らず、望みもなく、滅んでいかなければならない自分を見出した時、このように叫びました。「主よ、私は滅びなければならない罪深い者です。どうか赦して、救って下さい」と。その時、私たちは、主イエス様の流された血潮は、すべての罪を聖める力があるということを深く知りました。そして悔い改めて信仰に立った私たちですが、大部分の兄弟姉妹はさらにその先を経験しているのではないでしょうか。

つまり、私たちは罪を犯しただけではなく、自分自身が罪の本質を根深く持った「罪人である」ということを、認めるようになったのではないでしょうか。

2020年3月15日日曜日

The Salvation of Jesus (2), the Value of Jesus' 'Cross' to the 'Old Man' [Unser Herr lebt, Issue 53]

The Salvation of Jesus (2), the Value of Jesus' 'Cross' to the 'Old Man'
Unser Herr lebt, Issue 53, 2020
Gotthold Beck

In the previous article, we learned three things regarding the sin of humans and the value of the blood of the Lord Jesus. Firstly, by the blood of the Lord Jesus, the wall called sin, that used to separate humans from God was taken down, and this made it possible for humans to have fellowship with God. Secondly, when we deeply understand this fact, our guilty conscience disappears and thirdly, the accusation of the devil loses his influence.

In this article, I would like to continue the discussion and talk about the value of the 'Cross' of Jesus against our “old man.”

Once, we found ourselves perishing without knowing God, and with no hope, which made us cry out, “Lord, I am a sinful person who is destined to perish. Please forgive and save me.” At that moment, we have realized deep in our heart that the shed blood of the Lord Jesus has the power to cleanse all our sins. And this realization has made us repent and stand in faith, I believe that most of our brothers and sisters have shared the same experience.

In other words, we recognized that not only have we sinned, but we are “the sinners” who inherently have the nature of sin deep inside our beings, didn't we?