2025年4月27日、秋田福音集会
翻訳虫
4:36 キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、
4:37 畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。
新約聖書に出てくるバルナバという人のことをお話ししたいと思います。バルナバは、初代教会の時代に活躍した使徒であり、主の教えを広めることに生涯を捧げた方であります。
以前のメッセージでパウロのことをお話ししましたが、バルナバさんはパウロとも深いかかわりのあるかたです。教会を迫害してきたサウロが、使徒たちの仲間として受け入れられるために、このバルナバさんが大きな役割を果たしています。私は、このことから興味をもって、バルナバとはどんな人だったのか、いろいろと調べてみました。
私は、この集会に何年か集っていて、礼拝などで出会う人の中で、こういう人になれたら、また、こんな人なら尻込みせず何でも話せそうだと思うことがあります。
バルナバは、使徒たちの中では影の薄い人物であり、バルナバが現れる場面も多くはありませんが、その少ない場面を並べてみると、そこには信仰者として。自分もこんなふうに生きたいと思わせるようなバルナバの人格が現れていると思うようになりました。
これから、バルナバが登場するいくつかの場面を訪れてみたいと思います。そして、それぞれに現れたバルナバの人となりについて考えてみたいと思います。
[1]キプロス
バルナバの名前が初めに現れるのは、使徒行伝の第4章です。
4:36 キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、
4:37 畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。
ここにありますように、バルナバの本名はヨセフですが、『慰めの子』というあだ名で呼ばれていました。
裕福なレビ人であったバルナバでしたが、イエス様の救いを信じたとき、財産をため込むことをやめ、田畑を売り払っては、その収益を使徒たちの生活のために捧げるようになりました。
自分の財産を捧げるにしても、そっと『足元に置いた』というこの表現に、バルナバの人柄が現れていると思います。バルナバには、自分の行いを誇ることなく、また、人からの称賛や感謝を求めることもなく、影から信徒たちの生活を支えようという心がありました。
主を信じる使徒たちから『慰めの子』と呼ばれていたという事実は、バルナバが、苦難の中にいる信者たちを励まし、支援するという性質を持っていたことをうかがわせます。
[2]サウロ
バルナバが果たしたもっとも大きな働きとは、サウロを仲間として受け入れるよう信者たちに働きかけたことであります。
それまで、多くのクリスチャンを捕らえては殺してきたサウロは、ダマスコへ向かう途上、天から響くイエス様の声を聴いて回心しました。しかし、その後も、使徒たちは彼をすぐに信用せず、警戒していました。それまで、サウロが、してきたことを考えると、これは当然のことであると言えます。
9:26 サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間にはいろうと試みたが、みなは彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。
サウロは、敵に囲まれた状態に置かれました。しかし、バルナバだけは、サウロが本当に主を信じる信仰を持ったことを信じただけでなく、彼を使徒たちに引き合わせ、ダマスコへの途中で起こったことを説明して、サウロが本当に改心したことを証言したのであります。
9:27 ところが、バルナバは彼を引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼がダマスコに行く途中で主を見た様子や、主が彼に向かって語られたこと、また彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた様子などを彼らに説明した。
このバルナバの口添えのおかげで、サウロは、使徒たちの仲間となり、自由に交わりを持つようになりました。
9:28 それからサウロは、エルサレムで弟子たちとともにいて自由に出はいりし、主の御名によって大胆に語った。
初代教会の時代、主の教えが世界に広がるためにサウロ、後のパウロが大きく貢献したことはご存じのとおりであります。
バルナバは、このサウロが仲間として迎え入れられるように助けました。『慰めの子』と呼ばれるほど、使徒たちから信頼されていたからこそ、バルナバの仲介が受け入れられたことは間違いありません。
教会にとって恐ろしい敵であったサウロが、使徒としての働きに加わることができたのは、主から与えられたバルナバの性質のゆえであるということができます。
[3]アンテオケ
使徒の時代のバルナバは、主の教えを広めるために、人生の全てを捧げました。その例をご紹介します。
バルナバは、アンテオケと言う大きな都市で、教会の成長に大いに貢献しました。その頃、アンテオケでは、異邦人たちの改宗がたいへんな規模で起こっていました。
11:24 彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。
バルナバは、このはたらきをともに行うパートナーとしてサウロを選び、二人は、アンテオケでの伝道で、多くの人を信仰に導きました。
11:26 彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。
こうして、アンテオケの兄弟姉妹が、主にあってよろこんで、交わりをしていたころ、エルサレムでききんが起こっているという知らせが届きます。
11:28 その中のひとりでアガボという人が立って、世界中に大ききんが起こると御霊によって預言したが、はたしてそれがクラウデオの治世に起こった。
実は、ベックさんもこの時のことを取り上げて、詳しく説明されています。2004年7月11日、金沢よろこびの集いで語られた『祈りの大切さ』というメッセージです。
『(ききんの知らせを聞いた)アンテオケの兄弟姉妹は、「私たちはエルサレムからずいぶん離れているから、こんなことは私たちの責任ではない」とは考えなかった。本当の主の祝福があったらいつも、全世界の兄弟姉妹に対する愛があります。』
実際に、アンテオケの人たちはユダヤのクリスチャンの飢餓を救済することを決定します。
11:29 そこで、(アンテオケで生まれたばかりの)弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。
11:30 彼らはそれを実行して、バルナバとサウロの手によって長老たちに送った。
この集会の中でも、私たちもどんな人になりたいかということを考えますと、悩んでいる兄弟、姉妹のことを思い、助けの手を差し伸べる思いやりにあふれた人ではないかと思います。
バルナバは、霊的な指導者として御言葉を語るだけでなく、困っている人を見捨てておけない暖かい性格の持ち主でした。バルナバがアンテオケで福音を伝えたとき、このようなバルナバの人格もまた、信者たちに受け継がれたと考えることができるのではないかと思います。
[4]マルコ
アンテオケでの働きが一段落した後も、バルナバとパウロと名を変えたサウロは伝道の旅を続けます。その中で、バルナバの尊敬すべき一面がもっとも明らかになる出来事がありました。
二人は、キプロス島、ガラテアなどへ一回目の伝道旅行を行い、多くの異邦人に福音を伝えました。この伝道旅行にはヨハネ・マルコという若い伝道者が同行していましたが、このマルコは、何かの理由で旅の途中で離脱してしまいます。
13:13 パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った。
それからまたしばらく後、バルナバとパウロは二回目の伝道旅行を計画します。しかし、ここで二人のあいだに衝突が生まれます。
15:38 しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。
バルナバはマルコをまた連れて行こうとします。しかし、パウロは、伝道活動よりも自分の都合を優先したマルコの過去の過ちを赦すことができず、これに猛反対します。
15:40 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。
こうして二人は、別行動を取ることになりました。
この時のマルコは、おそらくは信者になったばかりの青年であり、精神的にもろいところがあったことは十分に想像できます。マルコは確かに一度目の伝道旅行では、その弱さのゆえにつまづいてしまったかもしれません。おそらく、マルコ自身、挫折を感じ、劣等感にさいなまれていたことでしょう。
しかし、マルコはやはり、福音を広める旅に加わりたいと考えなおし、気まずさを乗り越えて二人のもとに戻ってきたのであります。バルナバはそんなマルコを見捨てることをせず、新たな機会を与えました。
17:3 気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。
17:4 かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます。』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」
バルナバは、このルカ伝のみ言葉のとおり、神の忍耐をもって、兄弟の罪を赦す心を持っていたということができます。
一方で、パウロは、かつて自分の過去の罪を赦してくれた主と同じ態度を取ることができませんでした。パウロは、自分は主に赦されても、マルコの過ちを赦そうとしなかったのであります。
もしも、全ての人が、パウロのように、他人の過ちを赦すことをせず、勇気を振り絞って戻って来たマルコを拒絶していたら、マルコは完全に挫折し、主の力になろうという決意をくじかれていたかもしれません。
バルナバが戻ってきたマルコを迎え入れたからこそ、マルコは伝道者としての働きを続けることができました。人の失敗を赦し、成長の機会を与えることの重要性をバルナバは示してくれています。
バルナバとパウロ
バルナバが現れるときは、ほとんどの場面で、『バルナバとパウロ』のように二人の名前が並んで出てきます。二人は、初代教会の時代、福音を伝える相棒であったと言えます。しかし、こうして見てきますと、二人の性格には対照的なところがありました。
バルナバの寛容の精神によって、パウロは使徒の仲間として迎え入れられ、また、一度つまづいたマルコも、この仲間に復帰することができました。マルコは、有能な働き人となり、後にマルコの福音書を書くことになります。パウロとマルコは、使徒たちの時代に大きな役割りを果たしました。
この二人の働きについて考えますと、慰めと寛容というバルナバの性質は、主の教えを広めるために、神から与えられた賜物であったと考えることができます。この賜物をバルナバが大いに用いたことが、福音が世界に広がるためにたいへん重要であったことは間違いありません。
パウロは教会の仲間に対しても厳しい態度をしめすことがあります。先ほどふれたマルコの場合もそうでした。人の過ちを赦すことなく、時には、非常に苛烈なことばで、仲間たちの言動を批判します。
対照的に、バルナバは、人の過ちに固執せず、使徒たちが神のために生きることを願った人であると思います。
私たちのまわりにも、この人には、尻込みすることもなく、自分が悩んでいることを素直に打ち明けられる、または、いろいろと相談してみたいと思うような兄弟、姉妹の方がいると思います。バルナバは初代の教会の中でそのような人物だったのではないかと、私は想像します。
私たちは、パウロのような人にはなれないし、なる必要もないと思います。しかし、慰めに満ちたバルナバのような存在にはなれるかもしれないし、少なくとも目指すことはできるのではないでしょうか。
福音を広める器としての集会が成長するためには、何が正しいかを追求したり、知識を増やしたりするだけではなく、慰めをもって互いを思いやる心が必要なのではないかと思います。そのためには、そこに慰めの心があるかどうかが決定的なことではないでしょうか。
先ほどもご紹介したメッセージ、『祈りの大切さ』の最後の部分で、ベックさんは、次のように語られていました。
『信ずる者の無関心によって悪魔は勝利を得ます。エルサレムの教会では、兄弟姉妹の熱心な祈りが神にささげられました。私たちもひとつになって熱心に、悩んでいる、困っている兄弟姉妹のために祈っているのでしょうか。・・・・私たちは、悩んでいる、困っている兄弟姉妹に無関心なのでしょうか。あるいは、彼らのために熱心な祈りをささげるのでしょうか。』
悩んでいる、苦しんでいる人たちに寄り添って、その話を聞き、慰めの心を持って接することの大切さを、ベックさんは繰り返して語られています。
ベックさんご自身が生涯を通して実践されたことでもあります。
ベックさんが聖書のメッセージを語るだけではなく、礼拝の後も、試練の中にいる人たちに寄り添って、何時間でも話を聞き、手帳にびっしりメモをして、その人のために祈る、また、他の人にも同じことで祈ってもらうように求める姿を、私たちは皆、覚えていると思います。
現在の集会にも、聖書から拾ったみ言葉を並べて、息をするように吐き出す人はたくさんいます。しかし、その同じ人が、悩んでいる兄弟姉妹の声は聞こうともせず、さっさと立ち上がって、背中を向けてしまうところも目にすることがあります。兄弟姉妹の苦しみには、全く無関心なように見えます。
これは、先ほどのベックさんのメッセージにあった『信じる者の無関心によって悪魔が勝利を得』るという状態を生み出しているのではないかと思います。
『慰めの子』と呼ばれたバルナバは、助けを必要としている人がいれば、そばによって、主は必ずあなたの味方であると勇気を与える人でした。これは、ベック兄がこの集会に求めていたことであり、ベック兄が望まれた集会の在り方ではないかと思います。
私たちも、困っている人、悩んでいる人に主の思いやりをもって接することができるようになるためには、『慰めの子』という呼び名に表されたバルナバの性質を培うことが求められるのではないかと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿