2004年7月11日日曜日

祈りの大切さ

祈りの大切さ
2004年7月11日、金沢よろこびの集い
ゴットホルド・ベック

使徒の働き
11:19 さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。
11:20 ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。
11:21 そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。
11:22 この知らせが、エルサレムにある教会に聞こえたので、彼らはバルナバをアンテオケに派遣した。

2003年4月13日日曜日

慰めよ。慰めよ。わたしの民を。

慰めよ。慰めよ。わたしの民を。
ディーター・シェーファー兄(通訳ベック兄)
御代田喜びの集い、2003年4月13日

イザヤ
40:1 「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」とあなたがたの神は仰せられる。
40:2 「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けたと。」
40:3 荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。
40:4  すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。
40:5  このようにして、主の栄光が現わされると、すべての者が共にこれを見る。主の口が語られたからだ。」

2001年2月1日木曜日

祝福の結婚

祝福の結婚
2001年2月、ある結婚式でのメッセージ
ゴットホルド・ベック

キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。(聖書ヨハネの手紙第一、三章十六節)

今日このように愛するみなさんといっしょに、神のみことばである聖書について考えることができるのはほんとうに感謝です。

新郎である愛するEさんと、新婦である愛するKさんが結ばれるということは、ほんとうに喜ばしいことです。「結婚式」と言われていますけれど、私はほんとうはいわゆる儀式そのものを大切にしたくないのです。なぜならば儀式とは表面的なものであり、形式的なものだからです。その意味で、今日のいわゆる結婚式は、一つの儀式というよりもイエス様を紹介するための集いであります。

2000年12月1日金曜日

病気に対する心構え

病気に対する心構え
2000年12月1日
辻 陽一郎

ヨハネ
9:1 またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。

2000年11月19日日曜日

島根よろこびの集い

島根よろこびの集い

2000年11月19日、島根よろこびの集い
ゴットホルド・ベック

ヘブル
4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

おとといの晩、神楽坂で家庭集会がありました。すごい人。もう、人が多くて。ある方は、息子さんと来ました。でも、次から次、人が来てるうち、息子さん帰ちゃった。麻薬をやって、自分はダメ。ダメだから、帰る。また麻布で会いましょうと言いましたが、これは大きな誤解です。この集会はダメな人のためのものですよ。私は、ちゃんとした立派な人のために集会を開きたくありません。まったく無意味です。聞く耳を持たないからです。自分がダメだとわかれば、喜びの救いへ行けます。イエスさまは、ダメな者を決してお捨てにならない。このイエスさまのことを考えると、うれしくなります。

1999年8月1日日曜日

最後まで従いとおす

最後まで従いとおす

1999年8月1日、御代田キャンプ
ゴットホルド・ベック

黙示録
3:21 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。

民数記
14:24 ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者と違った心を持っていて、わたしに従い通したので、わたしは彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。

ヨシュア
14:6 ときに、ユダ族がギルガルでヨシュアのところに近づいて来た。そして、ケナズ人エフネの子カレブが、ヨシュアに言った。「主がカデシュ・バルネアで、私とあなたについて、神の人モーセに話されたことを、あなたはご存じのはずです。
14:7 主のしもべモーセがこの地を偵察するために、私をカデシュ・バルネアから遣わしたとき、私は四十歳でした。そのとき、私は自分の心の中にあるとおりを彼に報告しました。
14:8 私といっしょに上って行った私の身内の者たちは、民の心をくじいたのですが、私は私の神、主に従い通しました。

1999年1月13日水曜日

あなたもあなたの家族も救われます

あなたもあなたの家族も救われます

1999年1月13日、春日部
ゴットホルド・ベック

ヤコブ
1:6 ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
1:7 そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。

この箇所にあるみ言葉は、信ずる大切さについて述べられています。一つの教えを信ずることではなく、祈りの聞き手に信頼することこそが大切です。

日本にある多くの宗教も同じことを言います。同じことばばをよく使います。例えば文部省には、一万六千の宗教が登録されているそうです。それらの多くは、神様、神様と言っています。また、それらは皆、信仰の大切さを述べています。しかし、一つ一つの宗教の神の概念は違うので、分からなくなります。多くのの宗教の強調しているのは、一つの特定の教えです。この教えを勉強して、納得し、信じ込まなければならないと主張します。

1994年1月1日土曜日

平安がなくなる時

平安がなくなる時
故・酒井千尋兄、すごく古いテープ聞き取り

ローマ人への手紙
9:16 したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。

今日は、平安がなくなる時っていうことについて少し、ご一緒に聖書から学んでみたいと思います。平安がなくなる時ってのはどういうことかなって...、結構、ぼくたち普段、多いと思うんですよ。主にあって、主を確信してて、救いの確信も持っていて、永遠のいのちの確信も持っていて、それでも、何かした拍子に平安がなくなるっていうことは、日々、経験することではないかなと思います。

1987年1月1日木曜日

心を騒がしてはなりません

心を騒がしてはなりません
昭和62年後半のテープから聞き取り
故・酒井千尋兄

ヨハネ
14:1 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。

今日はたいへんいいお天気で、こちらに私は自転車で来るんですけど、来ます時にモクセイの花が咲いておりますね。この辺の住人の方は非常に花だとか、木だとかがお好きなようで、自転車で走っておりますと、いろんな花だとか、また、木ですとか、その辺の何ていうんでしょう、自然の恵みというのがいろんなお庭から漂って来ます。