2016年2月25日木曜日

主に委ねられた人生

主に委ねられた人生
2016年2月24日、春日部家庭集会
ゴットホルド・ベック

詩篇
37:1 悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。
37:2 彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。
37:3 主に信頼して善を行なえ。地に住み、誠実を養え。
37:4 主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
37:5 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
37:6 主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。
37:7 主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。
37:8 怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。
37:9 悪を行なう者は断ち切られる。しかし主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。
37:10 ただしばらくの間だけで、悪者はいなくなる。あなたが彼の居所を調べても、彼はそこにはいないだろう。
37:11 しかし、貧しい人は地を受け継ごう。また、豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。

37:34 主を待ち望め。その道を守れ。そうすれば、主はあなたを高く上げて、地を受け継がせてくださる。あなたは悪者が断ち切られるのを見よう。
37:35 私は悪者の横暴を見た。彼は、おい茂る野生の木のようにはびこっていた。
37:36 だが、彼は過ぎ去った。見よ。彼はもういない。私は彼を捜し求めたが見つからなかった。
37:37 全き人に目を留め、直ぐな人を見よ。平和の人には子孫ができる。
37:38 しかし、そむく者は、相ともに滅ぼされる。悪者どもの子孫は断ち切られる。
37:39 正しい者の救いは、主から来る。苦難のときの彼らのとりでは主である。
37:40 主は彼らを助け、彼らを解き放たれる。主は、悪者どもから彼らを解き放ち、彼らを救われる。彼らが主に身を避けるからだ。

人間に一番、素晴らしいものとは言うまでもなく、聖書です。聖書は神の言葉と呼ばれています。けれど、イエス様ご自身も神の言葉と呼ばれています。聖書を大切にするものが、イエス様を大切にするものであり、イエス様を大切にするものは、もちろん、聖書を大切にします。

人間は確かにいろいろなことで悩んでいるし、どうしましょうか、言えることとは、聖書だよ。聖書を読んでください。答えとして、どこを?マタイ伝から読むとおもしろくない。系図ですからね。知らない名前ばかり書いてあるし、ユダヤ人にとっては一番、大切ですけど、我々にとって、系図だってそんなに大切じゃない。

そうすると、マルコ伝を読んだら?マルコ伝はローマ帝国の時の人々のために書かれたのです。すなわち、旧約聖書を知らない人々なんです。ですから、マルコ伝の中で旧約聖書から引用されている箇所はあまりない。

けれど、今、言いたいのは、『詩篇』を読んだら?もっとも古い言葉です。3000年前に書かれた言葉です。だいたいダビデの祈りの言葉です。古いものですけど、時代遅れになりません。どういう悩みがあっても、苦しみがあっても、詩篇を読めば、答えとして、やっぱり、『祈れば、違う。』詩篇を読んで祈って、祈りながら詩篇を読めば、やっぱり元気になります。今、読みました箇所も詩篇の箇所でしょう。ダビデの勧めの言葉といってもいいでしょう。

詩篇
37:4 主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
37:5 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

ダビデがどうしてそんなことを書くことができたかといいますと結局、経験したからです。ダビデとは、もちろん、完全ではなかったけど、御心にかなう人と呼ばれるようになったんです。どうして?祈る人になったから。助けを求めるようになった男であったからです、

イエス様に委ねられた人生の必要性、可能性、大切さ、また、素晴らしさについて、ちょっと一緒に考えてみたいと思います。主に信頼する者は、どういうものでしょうか?主に信頼する者の人生とは、どういうものでしょうか?主に信頼する者の人生は、聖書の中でいろいろと記されています。まず、7つの箇所を開きましょうか。まず、ヨハネ伝、良く知られている箇所です。イエス様の述べ伝えた約束です。

ヨハネ
7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。

このことばによると、イエス様を信じる者、イエス様に自分自身を委ねる者の人生は、あふるるばかりの人生であります。2番目、同じくヨハネ伝10章10節です。

ヨハネ
10:10 わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。

このことばによると、イエス様に信頼する者の人生は、豊かな人生です。3番目、15章の8節、

ヨハネ
15:8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。

このことばによると、イエス様につながっている者の人生は、多くの実を結ぶ人生である。4番目のことばは、ローマ人への手紙の12章、

ローマ
12:1 私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

パウロはこう、ローマにいる兄弟姉妹に書き送ったのです。このみことばを見ると、イエス様に信頼する者の人生は、イエス様に明け渡され人生であります。5番目、今度は第2コリント6章17節、

第2コリント
6:17 それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れる。

このことばによると、イエス様に信頼する者の人生は、分離され、聖め、分かたれた人生であるとあります。6番目、信じる者にとって最も大切な箇所のひとつは、ガラテヤ書2章20節ですね。パウロの証しでもあり、告白です。

ガラテヤ
2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。

このことばによると、主に信頼する者の人生は、主イエス様とともに十字架につけられた人生です。そして、もう一か所、7番目ですね。テモテ第2の手紙。愛弟子であるテモテに書かれた、パウロの証し、告白です。素晴らしいものです。

第2テモテ
4:7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
4:8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。

このことばによると、イエス様に信頼する者の人生は、勝利の人生であると言えます。けど、今日、私たちはイエス様を信じる者の人生の別の側面について、すなわち、主に委ねられた人生についてちょっと考えてみたいと思います。

我々の人生は、イエス様に委ねられた人生であるべきです。その際、私たちは、3つの事柄に注意しなければ、覚えなければならないのではないかと思います。まず第1に、ここで大切なことは、意識的に行われた行動であります。前に読みました詩篇37編の5節、

詩篇
37:5 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

ここで、委ねるということは、信頼すること、明け渡すこと、手放すことを意味します。自分の道、また、人生をイエス様に委ね、自分自身をイエス様に明け渡す者は、このことを一瞬のうちに行います。私たちが贈り物を渡す時、そのために多くの時間は別にいりません。私はあなたに、その贈り物を渡し、あなたはそれを受け取ります。意識的に行われることであります。

第2に、『主に信頼せよ。』これもまた、明白な命令です。もちろんここで、大切なのは、短期間に行われる行動ではなく、継続的に続けられるべき態度です。イエス様にすべてを委ねて、行われた行動の後で、絶えざる信頼の態度が、持ち続けられなければなりません。

ここで大切なのは、意識的にイエス様にゆだね、より頼むことであり、私たちの全信頼は、イエス様に集中されなければなりません。私たちが、我々の道、そして、全生涯を主イエスに委ねた後、すなわち、この意識的に行われた行動の後、私たちの人生の終わりに至るまで、意識的な信頼の態度が続けられなければなりません。

そして、第3のすばらしい約束は、意識的に主に委ね、意識的に主に、全き信頼を置く人々に与えられます。すなわち、主は成し遂げてくださいます。主が成し遂げてくださる。これは決して破られない約束です。手放すこと、主に明け渡すことは、一瞬の行動です。イエス様により頼み、意識的に信頼することは、人生の終わりに至るまで、持ち続けられなければならない態度です。

そして、イエス様ご自身が、御心を必ず実現されると約束しておられます。すなわち、イエス様ご自身が、成し遂げてくださり、イエス様ご自身が、奇跡をなしてくださるお方であることを、我々も絶えず覚えるべきなのではないでしょうか?イエス様はまた、次のように言われたことがあります。

マタイ
16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。

不滅の魂は、自分の手の中にあるのでしょうか。それとも、それをすでにイエス様に委ねたのでしょうか。それがまだ自分の手の中にあるなら、きわめて、危険な状況にあります。ですから、イエス様は、呼びかけておられました。もちろん、今日も、今も呼びかけておられます。

マタイ
11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

箴言
23:26 わが子よ。あなたの心をわたしに向けよ。

聖書は言ってるのです。これは全く、主の個人的な呼びかけです。主は誰に対しても無関心ではない。ひとつのことは間違いなく、確実です。すなわち、自分の人生を主イエス様に委ね、自分自身をイエス様に明け渡す者は、決して後で後悔しません。イエス主ご自身が責任をとってくださる方であるからです。

ヨハネ
6:37 わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。

何でもできるお方は、結局、願っておられます。「わたしに委ねなさい。わたしにあなたの人生を明け渡しなさい」と、主は招いておられます。決して強制しません。けど、私たち1人ひとりが、意識的にこの行動を行い、自分自身を主に、委ねることを、主はもちろん強制はしませんけども、待っておられます。

そして、このことは、もちろん、一瞬のうちに行われます。もし、そのことをまだ、しなかったのならば、今日そのことを行い、自分の聖書に、次のように書き込むこともできるでしょう。今日、何月何日、「私は、私の道、私の全生涯を、私を愛し、ご自身を私のために捨ててくださったイエス様に委ねます」と、これは意識的に行われるべき行動です。

私たちはそれをすでに行ったのでしょうか。もちろん、このことは、その始めにすぎません。あなたが1億円を銀行に預けたならば、あなたのお金は、今や安全、確実で、毎年10%の利子を受け取ることができるという確信を持って生活しますけど、私たちは自分の人生を、主に委ねたならば、私たちは永遠に安全ですということを知ることができます。イエス様は次のように約束してくださいました。非常に有名な箇所です。

ヨハネ
10:27 わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。
10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。

イエス様は、我々に教えたいと思っておられる最も大切な教訓の1つは、自分がイエス様に完全に信頼できるという事実です。イエス様はただ単に救ってくださるお方だけではなく、イエス様が救ってくださったすべての人を、間違いなく守ってくださいます。ペテロは、多くの信じる人を励ますために、力づけるために次のように書いたのです。

第1ペテロ
5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

私たちは、自分の道、全生涯を主に委ねたならば、イエス様の刺し通された御手のうちに、私たちは確実に守られ、安全であるということを知ることができます。けど、大切なことは、日々、一瞬一瞬、イエス様に完全に信頼すること、すなわち、もはや、何ものも自分で、手に入れたいと思わないこと、もはや思い煩ったり、心配したりしないことです。こうした信頼の態度は、主に栄光を帰します。パウロは、この態度をとりました。彼は愛弟子であるテモテに書いたのです。すばらしい告白でもあります

第2テモテ
1:12 私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。

イエス様を自分の人生の中に受け入れた者は、もちろん、主のものであり、主のものであり続けるのです。主の御手のうちに守られ、安全であり続けます。自分の道をイエス様に委ね、絶えずイエス様に信頼する者は、イエス様が成し遂げてくださることを、経験します。

すなわちイエス様は、人間一人一人を目標に導いてくださいます。また、イエス様は、ご自分の約束を守ってくださいます。みことばを必ず守られるお方です。一言でいえば、イエス様は、信頼できるお方です。イエス様は、成し遂げてくださる。もう一か所読みます。次のように書かれています。ペテロが質問して、イエス様が答えてくださった。

マタイ
19:27 そのとき、ペテロはイエスに答えて言った。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」
19:28 そこで、イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。
19:29 また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。

読んでくださいました詩篇の37編では、3つのことがさらに指摘されています。

詩篇
37:1 悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。

すなわち、腹を立てるな、ねたみを起こすなと指摘されています。けど、このことは、私たちが他の人を見ると、そういう状態になりやすいものです。しかし、私たちは、自分の人生を主に委ねた者の罪は、赦されているということ、そして、自分の力でイエス様に仕えたいという思いから解放されていることを、決して忘れてはなりません。なぜなら、これこそあらゆる重荷からの解放であるからです。イエス様ご自身が、成し遂げてくださる。イエス様ご自身が責任をとってくださいます。旧約聖書のイザヤ書、40章の1節を見ると次のように書かれています。

イザヤ
40:11 主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。

イザヤ
53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。

イエス様は天にお帰りになる前に、いろいろなお別れの言葉を弟子たちに話されました。

ヨハネ
14:1 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

想像できないすばらしい言葉です、『わたしのいる所に、あなたがたをもおらせる。』

詩篇
37:11 しかし、貧しい人は地を受け継ごう。また、豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。

内容的には、全く同じです。すばらしい約束です。

イザヤ
26:3 志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。
26:4 いつまでも主に信頼せよ。主は、とこしえの岩だから。

意識的に、自分の全生涯を明け渡し、イエス様に全く信頼するならば、人のすべての考えに勝る、主ご自身の平安が、我々の心と思いを主イエス様にあって、守ってくれると約束されています。私たちが、自分の人生をイエス様の御手に明け渡すならば、刺し通されたイエス様の御手は、もはや決して、自分を放しません。ヘブル書の13章5節を見るとはっきりと書かれています。

ヘブル
13:5 主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
13:6 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」

イエス様によって完全な満足が約束されています。ですから、前に読んでもらいました37編の4節にこうあります。

詩篇
37:4 主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。

イエス様との交わりは、我々に完全な満足を与えてくれます。我々のの喜びと私たちの平安は、目に見える世界とは無関係です。イエス様ご自身は我々の喜びと満足の源そのものです。イエス様は、私たちの切なる願いをすべて満たしてくださり、イエス様を知ること、イエス様を持つことは、結局、我々の永遠の幸せです。イエス様は、成し遂げてくださる、と考えると本当にありがたい。イエス様は比類なくすばらしいお方であると知ることができるに違いない。

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