2016年2月16日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック
エペソ
1:20 神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、
1:21 すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。
1:22 また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。
4:1 さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。
4:2 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、
4:3 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
このエペソ書4章3節のみことばを取り上げて、一緒に考えてみたいと思います。とくに、3節後半の「御霊の一致を熱心に保ちなさい」というみことばについて、一緒に考えてみたいと思います。
御霊の一致は、御霊が我々の内に住み、そして、私たちを全く支配したもう時においてのみ、可能なのではないでしょうか。私たちが、この霊、聖霊に全く包まれ、支配される時に、新約聖書で言っているあの御霊の一致が与えられます。御霊の一致を私たちに教えるために、聖書は、人間の体を例にとって述べています。体の各肢体、また、体に備わっているすべての器官は、神経系統によって結び合わせられ、すべて納められています。そして、その神経を支配しているのが頭です。全器官、各肢体は、神経を通し、頭によって支配されています。コントロールされています。
五十数年前に生まれた私たちのニ番目の娘が、生まれつきのいわゆるシュピーナ・ビフィダー(二分脊椎症)という病気を持って生まれたのです。これは脊椎骨のひとつが縦に割れるという、奇妙な病気だそうです。この病気を通して、人体の神経系統が、いかに大切なものであるかを良く知ることができたのです。
私たちの場合、その骨の割れ目から、神経がニ、三本、外へ流れ出したから、胃の働きも腸の働きも鈍くなり、その当時の医者――ドイツのお医者さんだったのですけど――アイデル先生という医者が、足をピンで突いていても感じないといった有様でした。
今日のキリスト者で、次のような状態の中に生きている人がいるのではないかと思います。すなわち、御霊のささやきに、全く鈍感になっています。御霊の導きに、心の目が閉ざされています。そのようなわけで、これらの人々はみことばによって生きる、絶えざる前進の信仰生活に破綻をきたしてしまっています。
イエス様の御心は、伝道や信者の生活の世界ばかりではなくて、イエス様のからだなる教会にあると、聖書は強調しています。もしイエス様が、聖書の中の中心人物であり、主役であるならば、イエス様の御心は、主イエス様ご自身のからだにして、いっさいのものを、いっさいのものによって満たす方の満ちておられるところである教会に集中されているに違いない。
イエス様のからだなる教会の神経系統は、御霊であるということができましょう。御霊のいかなる小さなささやきに対しても、直ちに反応を示す、敏感なる魂を持ち、また、頭(かしら)なるイエス様の御心にいつも従う、砕かれた従順なる魂のあるところにのみ、御霊の一致があると、聖書は言っています。三つの事柄に目を留めたいと思います。
第一番目、聖書に、先ほどのエペソ書4章3節に、務め、御霊の一致を守れと書いてあります。けれども、まず、御霊の一致が存在しなければ、これを守ることもできないのは、言うまでもありません。したがって、御霊の一致を守るということには、まず、私たちが御霊を宿し、御霊の全き支配とコントロールの内に、己が身を投じているということが、前提となっていなければならない。
ニ番目、この御霊の一致は、人間の手で作ることができないということです。信仰告白を同じくすること、教会、教派を同じにすること、聖書解釈の上で妥協し、実際的なご奉仕の面で同調したとしても、人間的な一致は生まれてきても、御霊の一致は、決して、やってきません。
三番目に、御霊の一致には、パラドックス、すなわち、逆説が伴う場合があるということです。聖書にある平和は、ハーモニーすること、和合すること、また、一致することを意味します。また、イエス様は、平和の君と唱えられていることも、私たちのよく知るところです。ですから、私たちの愛する主イエス様が心の内に住みたもう時、主なる神による平和も、私たちの心に訪れます。けれども、パラドックスがあります。イエス様が来たりたもうところには、剣も置かれると聖書は申します。
マタイ
10:34 わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。
イエス様は、こう言われました。イエス様の十字架は、いつも悪魔の攻撃を教えるしるしとして、我々の目に映ります。もし、この十字架が信じる者の魂と霊を分かつなら、必然的な結果として多くの困難が、苦しみがやって来ます。世と肉はあらゆる形を取り、あらゆる表現を借り、霊的な一致を壊し、ダメにしてしまいます。
我々の判断、評価、動機、方法、手段など、生まれながらの性質から押し出されて、出てくるものは、御霊の一致を損ない、妨げてしまいます。我々の判断、評価、動機、方法、手段は、絶えず御霊の支配の下になければならない。イエス様の十字架が、我々の生活のうちに、はっきりと打ち建てられれば、打ち建てられるほど、反対も多く、また、大きくなってくるような気がするのです。
この戦い、魂と霊の分離、すなわち、己の考え、目的を達せんとする願いと、聖霊の考え、目的のところを譲る戦いが、また、分離が、我々自身の内に、また、家庭に、また、教会になされなければならないのです。霊、肉、あい混じった一致は、遅かれ早かれ、だめになってしまいます。
この御霊の一致に対して、悪魔が用いる武器は、この世の霊と肉です。肉は、聖い霊である聖霊に支配されざる、すべてを指します。すなわち、己が考え、己が計画、己が方法、己が動機などです。御霊のたまわる一致は、十字架によりてのみ可能です。なぜなら、私たちは、この十字架によりてのみ、常に、己を無にすることができるからです。
この十字架によって生まれる御霊のたまわる一致は、どうしても守られなければなりません。御霊の一致を熱心に保ちなさいと――提案されているのではない――命令されています。七つの事柄を一言、述べたいと思います。
第一番目、御霊は、ただ一つの目的を持ちたまいます。したがって、原則として、信者のあいだに、全く違った意見の分離が生じるということはあり得ません。どちらかが正しく、どちらかが誤っているはずです。
ニ番目、御霊は、変わらざる唯一の真理を、自ら持ちたもうお方です。ある人たちは、御霊の導きは、時代によって変わると言います。けれども、決して、そうではありません。時代が移り変わっても、真理は変わりませんし、御霊の導きも変わらないものです。
三番目、いろいろな異なった立場は、決して、御霊のたまわる一致を妨げるものではありません。すなわち、年齢の相違、霊的な成熟の差異は、決して、御霊の一致の妨げとはなりません。
四番目、もし、根本的な意見の不一致があるなら、それは、そこに制限された交わりしかないことを意味し、悪魔はそれに所を得て、乗じる隙を持っていることになります。
五番目、己の政治、また、己の益することを捨てなければならないでしょう。時に、明確な立場を取ると、私たちはあらゆる面で制限されます。けれども、それを乗り越えて、はっきりとした立場を求めなければいけないと思います。妥協したご奉仕は、行き詰まりがやってきます。バアルの膝をかがめない者と、ゆくゆくは別れることになるでしょう。
六番目、御霊のたまわる一致は、イエス様にありて可能です。恐れにありては、不可能です。私たちの自我が主に支配されるということは、私たちの霊的一致の土台です。
そして、七番目、主なる神の霊の家、すなわち、真の教会においては、主の命令と主の秩序だけが役に立ちます。
前の話に戻りまして、五十数年前に、ある夜、東京の聖母病院で働いているドイツのお医者さん、アイデル先生から電報があったのです。『ベイビー、ナオル』と言ってよこしました。すぐに東京に――その時、茨城県の那珂湊に住んでいました――電話しますと、全く信じられないことですが、今まで、骨の割れ目からリンパ液が出ていたために、背中にこぶのような物ができていたのが、急に小さくなり、裂けていた骨は、その口を閉じ、麻痺していた足が動くようになり、胃や腸の働きも元に戻ったということでした。専門医は、今まで、かつて経験したことがないので、空いた口がふさがらないと言っていたそうです。聖母病院の看護婦さんたちは、我がことのように、もう喜んでくれました。私たちは、アブラハムが一度、捧げたイサクを再び自分のものとすることができた、あの喜びを喜びました。
主は、今日なお、奇蹟を行うお方です。これを信じるべきなのではないでしょうか。願わくば、主の給う御霊の一致がここにあり、己の考え、己の願いを捨て、瞬間瞬間を御霊が導かれるものとして、その支配に身を委ね――ドイツの歌にあるように――「肉ではなく、肉ではなく、御霊だけが、御霊だけが、私たちの支配者であるように!」と歌いながら歩み、かつ、主のために共に働きたいと、心から願うものです。
もしそうなったなら、私たちは日々、己を十字架につけ、御霊による生活を知り、そして、高められた主イエス様の完成である教会、主のからだの秘密を知るに至ることを信じているものです。
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