2025年6月2日月曜日

主イエス・キリストを着なさい

主イエス・キリストを着なさい
2025年6月1日、吉祥寺福音集会
黒田 禮吉兄

マタイ
22:2 「天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。
22:3 王は、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、彼らは来たがらなかった。
22:4 それで、もう一度、次のように言いつけて、別のしもべたちを遣わした。『お客に招いておいた人たちにこう言いなさい。「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ宴会にお出かけください。」』
22:5 ところが、彼らは気にもかけず、ある者は畑に、別の者は商売に出て行き、
22:6 そのほかの者たちは、王のしもべたちをつかまえて恥をかかせ、そして殺してしまった。

2025年6月1日日曜日

年老いた私を背負ってまでして、御業を見せてくれる主

年老いた私を背負ってまでして、御業を見せてくれる主
2025年6月1日、吉祥寺福音集会
重田定義兄

イザヤ
46:3 わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。
46:4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。

聖書には主なる神様、主なるイエス様が人を選び、その者を導き、その者に御業を見せることによって、ご自分が生きて働かれる神であることをお示しになった例が数多く記されています。そして、主は、今も同じように生きて働いておられるのです。そのことは、集会の兄弟がたによって語られるメッセージや、多くの兄弟姉妹の証しなどからも知ることができます。

2025年4月27日日曜日

慰めの子であるバルナバ

慰めの子であるバルナバ
2025年4月27日、秋田福音集会
翻訳虫

使徒の働き
4:36 キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、
4:37 畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。

新約聖書に出てくるバルナバという人のことをお話ししたいと思います。バルナバは、初代教会の時代に活躍した使徒であり、主の教えを広めることに生涯を捧げた方であります。

以前のメッセージでパウロのことをお話ししましたが、バルナバさんはパウロとも深いかかわりのあるかたです。教会を迫害してきたサウロが、使徒たちの仲間として受け入れられるために、このバルナバさんが大きな役割を果たしています。私は、このことから興味をもって、バルナバとはどんな人だったのか、いろいろと調べてみました。

2025年4月6日日曜日

主によって強くされる

主によって強くされる
2025年4月6日、町田福音集会
重田定義兄

ピリピ
4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

今日は、今、読んでいただいたみ言葉、すなわち、これは、パウロが、ピリピの教会の信者に宛てた手紙の中で、言っておりますが、この御言葉の意味を、ご一緒に考えたいと思います。したがって今日のメッセージは、どちらかといえば、信者向きと言ってもいいと思います。

人間、誰でも自分が強くなりたいということを考えている。そう思って、願望しているのではないでしょうか。それはスポーツに限らず、この世を生きていく上で、何ごとにおいても弱いよりも強い方が有利だからであります。強者は弱者に勝つのが、この世の常識だからであります。ですから、どうすれば自分が強くなれるか、人間はあらゆる知恵を絞って、また努力を尽くしてがんばります。

2025年3月16日日曜日

もしそうでなくても

もしそうでなくても
2025年3月16日、市川福音集会
井上浩一兄

ダニエル
3:17 もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。
3:18 しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。

今、お読みいただいたこのみ言葉は、皆さん、何度も聞いて、よくご存知だと思います。大帝国バビロニアのネブカデネザル王は、自らの巨大な権威と力を示すため、高さはおよそ27メートル、幅は2.7メートルの巨大な金の像を作らせました。そのお披露目の儀式の時に、王はその場に召された全員に、ひれ伏してこの金の像を拝めと命じます。そして、拝まない者がいたら、燃える火の炉に投げ込むとさえ命じました。

2025年1月25日土曜日

ベタニヤのマリアの信仰

ベタニヤのマリアの信仰
2025年1月26日、秋田福音集会
翻訳虫

マルコ
14:9 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。

新約聖書にはマリヤという名前の人が三人、出てきます。一人は、イエスさまのお母さんであるマリヤです。その他に、イエス様の復活を見届けたマグダラのマリヤがおり、もう一人、ベタニヤのマリヤという人がいます。

2025年1月5日日曜日

しらがになってもわたしを背負ってくださる主の恵み

しらがになってもわたしを背負ってくださる主の恵み
2025年1月5日、町田福音集会
重田定義兄

イザヤ
46:3 わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。
46:4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。

それではこれから、しばらくのあいだ、聴いていただきたいと思います。あらためて、新しい年をともに迎えました。今年もよろしくお願いいたします。