2025年3月2日日曜日

とこしえの岩

とこしえの岩
2025年3月2日、秋田福音集会
藤田匡

イザヤ
26:3 志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。
26:4 いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから。

皆さん、おはようございます。吉祥寺集会の方に集わせていただいております藤田です。また、秋田、また、各地の皆様とお会いでき、このようにご一緒に礼拝、また、その後、御言葉をこのように味わわせていただきますことを感謝しております。

今、お読みいただきましたイザヤ書でありますけれども、『志の堅固なもの』というふうに最初に書いております。ここに書かれている人は、『全き平安のうちに守られる』、あなたは全き平安のうちに守られると、このように主は約束してくださっております。そして、この人は、あなたに信頼しているというふうに書いております。

堅固なものと、ここに書かれておりますけれども、この人は主に固く信頼を置いているもの、また、主から離れないものであるということが書かれております。

この人は、自分自身は何も持たないことを徹底的に見せられたものであります。そして、主イエス様のうちには全てがあるということを、同時に知らされたものであります。この人は、いつも主のもとにおりました。そして、固く主により頼んでおりました。主なしではやっていくことができないものでありました。主イエス様こそが、ここに書かれている人の全てであられました。

4節に、『いつまでも主に信頼せよ』と書かれております。彼は、ここに絶えずとどまり続ける必要がありました。主は常しえの岩だからと書いております。主イエス様のみが、永遠に決して揺るがされることのない確かな土台であります。詩編の55編から見させていただきたいと思います。

詩篇
55:22 あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。

この詩編は、イスラエルの王のダビデによって書かれたものであります。このダビデは多くの重荷を負っておりました。彼自身では解決できない出口の見えない困難ばかりでありました。しかし、ダビデは自分の無力さを見せられた時、万軍の主であられる主イエス様に信頼し、この重荷を全て主にお委ねしました。ここで、ダビデは、『主は、あなたのことを心配してくださる』というふうに証ししております。

主イエス様に支配権をおゆだねしたこの時、ダビデはこの困難のただなかで、全き平安で満たされました。ダビデは主イエス様が、ダビデのことを考えられないほど大切に思ってくださり、心から心配してくださっているということを知りました。主はあなたのことを心配してくださると、このように彼は証ししております。

主ご自身がダビデをこの困難の中にあえて置かれました。ダビデの上に起こされる全てのことに、主イエス様ご自身は責任を取ってくださるということをダビデは知りました。主イエス様は、ダビデに絶えず目を注いでいてくださいました。そして、この起こされた困難を通して、ダビデは新たに主を知るようになりました。

主イエス様は、ダビデの上に間違いなく、最善のことを行ってくださいました。ダビデはこの22節の後半で、『主は決して正しい者が揺るがされるようにはなさらない』と書いております。『正しい者』とありますけれども、ここではダビデ自身の正しさにつきましては何も触れられておりません。すなわち、主に信頼し、主により頼み、主に明け渡すものを正しいものと、ダビデはここに書いております。

主イエス様は、決してこの人が揺るがされるようにはなさらないと、ダビデは証ししております。これが彼の体験でありました。一つ一つの与えられた問題を通して、主ご自身が働いてくださり、困難は主イエス様がご栄光を表される場へと変えられました。

また、イザヤ書を見させていただきたいと思います。

イザヤ
12:2 見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。

主ご自身が、主に信頼する者の救いそのものでありました。神は私の救いそのものですと、この筆者は証ししております。主ご自身が救いそのものとなられました。そして、『主は、私の力、私のほめ歌』とあります。主ご自身が、彼の力であり、ほめ歌そのものでありました。

マタイによる福音書の8章の23節をお読みしたいと思います。イエス様がなされた御業が書かれております。

マタイ
8:23 イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。
8:24 すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。
8:25 弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」
8:26 イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。
8:27 人々は驚いてこう言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」

ここで弟子たちは、船を飲み込もうとする大波を見て恐れました。しかし、主イエス様は眠っておられました。イエス様の平安は、人の常識や想像を遥かに超えておりました。弟子たちは、主イエス様を目の前にして、共に歩んでおりましたが、主イエス様を自分のすべてを負ってくださるお方とは見ていなかったようであります。

弟子たちは、ここでこの大波を目の前にして、彼ら自身の持つ力に目を止めました。この大波は、彼らの力を遥かにしのぐものでありました。彼らには、平安はもはやありませんでした。彼らはただ恐れ叫びました。

ここでイエス様は、『信仰の薄い者たちだ』とおっしゃいました。この何の平安もありえないような時に、主イエス様に信頼することが求められました。この大波の上にも、主のご支配があることを見るように、主イエス様は、弟子たちに求められました。

風と湖をしかりつけられると大なぎになったと書いております。弟子たちは、彼らの力を遥かに超えた大波をも、さらにご自身の下におさめておられる主イエス様の権威を見ました。自分たちと共におられる主イエス様が、まさに全てを支配しておられるということを見せられました。弟子たちは主を恐れる者となりました。

ピリピ書の4章の6節をお読みしたいと思います。

ピリピ
4:6 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

ここで、『何も思い煩わないで』とあります。ここでも主にお委ねすること、支配権を完全に主に委ねること、主に信頼することが求められております。この6節に、『あらゆるばあいに』と書いております。人の目によく見える時も、悪く見える時も、出口が全く見えないような時にも、あらゆるばあいにおいてと、このように主はここで約束してくださっております。

7節には、『人のすべての考えにまさる神の平安』というふうに書いております。困難のただ中で、主は奇蹟的に想像を遥かに超えた、考えられないような平安のうちに、私たちを守ってくださいます。私たち一人一人は、主イエス様ご自身により頼むことが許されております。

ヨハネによる福音書の14章の27節から、イエス様ご自身が語られた言葉について、見させていただきたいと思います。

ヨハネ
14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
14:28 『わたしは去って行き、また、あなたがたのところに来る。』とわたしが言ったのを、あなたがたは聞きました。あなたがたは、もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くことを喜ぶはずです。父はわたしよりも偉大な方だからです。

主イエス様は、『わたしの平安を与えます』と、ここで言っておられます。そして、『世が与えるのとは違います』と書いております。ものごとがうまくいっているから平安なのではないわけであります。また、問題がないから、また、自分に力があるから平安ということではないわけであります。この世のものを根拠にする平安とは違うと、イエス様は語っておられます。

主イエス様がおられるから、そして、全てを支配される主イエス様、また、同時に、いのちをお捨てになるほどまでに私たちを愛してくださる主イエス様が、共におられるから平安が与えられるわけであります。

私たちは、揺るぐことのない土台、主イエス様ご自身を与えられております。心を騒がしてはなりません。恐れてはなりませんと、このような命令の形で、ここに主イエス様は語っておられます。この平安は、全てを支配され、死にも打ち勝たれた主イエス様の固く揺るぐことのない約束であると、また、この命令は、この固い主イエス様からの約束であるというふうに、受け取ることができるのではないかと思います。

そして、28節に、『わたしは去っていき、またあなた方のところに来る』と書いてあります。主イエス様はここで、この平安の根拠として、『わたしは去っていき、また、あなた方のところに来る』と、十字架の御業を示しておられます。主イエス様は、私たち一人一人の罪を贖うために、一度、死なれ、そして、死に打ち勝たれた完全な勝利者として、よみがえってくださいました。

また、あなた方のところに来ると書いております。主イエス様は、十字架の御業を終えられ、よみがえりのいのちをもって、私たち一人一人のうちに、生きて働いてくださいます。へだての壁を、主はご自身を捨てて、取り除いてくださり、私たちを暗やみの圧制から、贖い出してくださり、私たちを主イエス様ご自身のものとしてくださいました。

私たち一人一人が、この主イエス様により頼むことが許されておりますことは、計り知れない恵みであります。最後に、御言葉を読ませていただいて終わりたいと思います。

イザヤ
30:15 神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」

また、黙示録の1章4節、途中から読ませていただきます。

黙示録
1:4 ・・・・常にいまし、昔いまし、後に来られる方から、・・・・
1:5 また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。

どうもありがとうございました。

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