2015年5月26日火曜日

罪の創設者である悪魔(三)

罪の創設者である悪魔(三)
2015年5月26日、吉祥寺学び会
ゴットホルド・ベック

マタイ
4:1 さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
4:2 そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
4:3 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」
4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
4:5 すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、
4:6 言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」
4:7 イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」
4:8 今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、
4:9 言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」
4:10 イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」
4:11 すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。

今日は、引き続いて「罪の創設者である悪魔」について、ちょっと考えたいと思います。今、聖書の中に悪魔の存在するということは明らかです。すなわち、イエス様も使徒たちもみな、悪魔が存在することを信じました。ヤコブは、次のように言ったのです。

ヤコブ
2:19 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。

4:7 ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

ヤコブは、こう当時の信じる者に、書き記したのであります。もちろん、ヤコブだけではなく、ペテロも同じ確信をもって書いたのです。

第一ペテロ
5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

もちろん、ヤコブ、ペテロだけではなく、パウロも同じように、悪魔との格闘、戦いについて書いたのです。

エペソ
6:10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
6:11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
6:12 私たちの格闘は血肉(・・・・すなわち、人間・・・・)に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

パウロは、こう書いたのです。もちろん、ヤコブ、ペテロ、パウロだけではなく、ヨハネも同じように書いたのです。

第一ヨハネ
3:8 神の子が現われたのは(・・・・結局、主イエス様が現れたのは・・・・)、悪魔のしわざを打ちこわすためです。

悪魔とは、罪の創設者であります。私たちは、イエス様を信じ、悪魔は信じないなどとは、あり得ないことです。悪魔は、一つの人格であります。いわゆる、単なる影響ではない、単なる悪い力でもない。人格です。そして今、兄弟がお読みになりましたマルコ伝4章の中で、イエス様は、御霊に導かれた。どこまで?荒野まで。どうして導かれたかと言いますと、悪魔の試みを受けるためです。

最後に、イエス様は、もちろん、勝利者として明らかになったのです。悪魔はイエスを離れて行き、「見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた」とあります。イエス様は勝利者です。おそらく、私たちがみな、イエス様の血潮は、あらゆる罪、咎を拭い去ることができると、体験したから信じています。

けれども、罪、咎を赦していただくためには、ひとつの条件があります。主が赦してくださる前に、その条件を満たさなければなりません。悪魔が、今まで自分のものとしていた人の魂を、主なる神の手に渡す前に、この条件が満たされなければなりません。

いったい、どういう条件なのでしょうか。二、三、見てみましょう。第一番目です。

第一ヨハネ
1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

何を書いているかと言いますと、私たちは光である主のところへ行くと、自分の罪を告白すると赦されるということです。告白しなければ、主は赦すことができません。私たちは、言い表さなければならない。私たちは、隠そうと思うのでしょうか。あるいは、本当に正直に告白するのでしょうか。

二番目の条件は、マタイ伝六章に書かれています。

マタイ
6:14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。
6:15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。

そうしたら、おしまいです。もし、他の人を赦さないなら、平安がやってきません。

三番目、隣人に対する不正、盗みやそしりなどをした場合、謝ることが、もちろん必要です。不正を矯正するならば、赦してもらえます。そうするならば、悪魔は、本当のことを言って、我々を主に訴えることができなくなります。

四番目、手相見、トランプ占い、易占い、これらは、危険な事柄です。これらの事柄を通じて、悪魔は人間の内に力を持ちます。悪魔は、本当のことを言って訴えることができます。悪魔から、その権利の要求を奪い取らねばなりません。もし、私たちが罪を告白するならば、それを果たしたことになります。

どうでしょうか。私たちは、一つの罪でも、しっかりと持ったままでいるのでしょうか。私たちは、他の人に対する恨みを持っているのでしょうか。もし、持っていれば、悪魔が権利の要求を持っていることになります。確かにイエス様は、我々のために生きていて、とりなしていてくださいますけど、もし人間が、心の中にまだ赦されていない罪を持っているならば、イエス様といえども、悪魔にその人の支配を任せるより、仕方がありません。

ヨブ記の中で、悪魔について書かれています。

ヨブ
1:6 ある日、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンも来てその中にいた。

2:1 ある日のこと、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンもいっしょに来て、主の前に立った。

ゼカリヤ書の中でも、サタン、悪魔について書かれています。

ゼカリヤ
3:1 主は私に、主の使いの前に立っている大祭司ヨシュアと、彼を訴えようとしてその右手に立っているサタンとを見せられた。

黙示録
12:10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。」

これは、もちろん、まだ実現されていない。けれども、将来は事実になります。悪魔の働きをなくするにはどうしたらいいのでしょうか。答えは、十一節ですね。

黙示録
12:11 「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った(・・・・悪魔に打ち勝った・・・・)。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。」

悪魔を退ける方法です。すなわち、彼らは小羊の血によって、悪魔に打ち勝ちました。もし、悪魔が我々を訴えるならば、その時、私たちがイエス様の血潮に感謝することが、非常に大切です。

悪魔は、権威を要求して、神の御前に出て、次のように言うでしょう。「吉祥寺のあの兄弟、あの姉妹は、罪を犯しましたよ。私は彼らが、日々、聖書を読まないようにします。祈らないようにします。集会に出席しないようにします。」これに対し、主は、反対することができません。主なる神は、聖なるお方であり、罪を耐え忍ぶことはできないお方です。

私たちは、罪の赦しに必要な条件を満たさなければなりません。すなわち、罪を告白し、隣人を赦さなければなりません。罪を矯正し、色々なまじない、占い、偶像礼拝などを止めなければなりません。もし、私たちが、これらのことを行うならば、イエス様の血潮を自分のものとして、罪の赦しを得、聖めにあずかることができます。

まず、条件を満たし、その次に、罪の赦しを願うことができるのです。そうすれば、我々は、十字架の力を経験することができます。なぜならば、イエス様は、我々のすべての罪のために、十字架におかかりになり、悪魔の働きは、力なきものになったのですから。

赦しと聖めは、ただ、主イエス様の流された血潮によってのみ可能です。ですから、戦う必要はありません。イエス様のところへ来て、イエス様の血潮を感謝しなさい。そうすれば、主は、喜んですべてをお赦しになります。もし、私たちがためらって、イエス様のところへ行かないならば、悪魔は本当のことを言って、我々を主なる神の前に訴えます。

どういうふうに勝ち得ることができるか。二番目の答えは、彼らは、証しの言葉によって、悪魔に打ち勝ちました。もし、私たちが主の証しを恥としたら、悪魔は権利を持ち、我々を主に訴えます。証し人と打ち勝つ者だけが、未来において、イエス様とともに支配者となります。

私たちは、いかにして悪魔に打ち勝つことができるのでしょうか。今、話したように、小羊の血によって、それから、証しの言葉によってです。
自分の信仰を隠してはいけないということです。

私は、前に非常に深い感銘を受けた歌があります。前に紹介したことがあると思いますけれども、エレミヤ書の8章20節、「刈り入れ時は過ぎ、夏も終わった。それなのに、私たちは救われない」というみことばがあります。このみことばを読みながら、一人のスイスにいる人、アレキサンデルという男は、次の歌を作ったのです。

「恵みの時は終わりに近づいている。
広い世界に、今や静かに終わりの日が近づいている。
遠い裁きの底から、不安な叫びが聞こえてくる。
私たちの真っ暗な夜には、決して、光が差し込まない。
私たちを照らす神の恵みなくして、
私たちは、苦しみと闇の中、
暗い道を行かなければならない。
永遠に、永遠に。

あなたたちは歌い、喜びに満ちて、
自分は神の子であるという。
私は死のいけにえであり、恐怖に満ち、
ひどい苦しみに満ちている。
あなたがたは何故、立ち止まっていて、
夜の始まる今、私たちを救おうとしないのか。
あなたがたは何故、
神様がそのひとり子を遣わして、
自分たちを愛していることを教えないのか。
あなたがたのおかげで、
自分たちはそれを知らずに、
希望なく、滅び行くのだ。
自分たちは、死ぬために生まれたのであり、
死は永遠から永遠に至る、我々の運命なのだろうか。

私たちには、星は輝かない。
約束の光も照らされない。
遠くの方に裁きの雷が聞こえる。

何故、何故、あなたたちは急がないのか。
神は、行って、全世界に十字架の勝利者を宣べ伝えよと言っているのに。
あなたたちは、私たちの憐れな心のために、
喜ばしい知らせを持っている。
傷を癒す薬を、苦痛を永遠に癒す薬を持っているのに。
何故、そんなに長く沈黙しているのですか。
あなたたちの信仰の岩に至る道を示す言葉を、
私たちに聞かせてください。
私たちの涙をぬぐってください。
私たちが死につくのもあなた方のせいです。

私の罪は悩ませ、夜は近づいています。
私たちは、私たちの魂をサタンの力に与えなければならない。
永遠に、永遠に。
遠くの国々から、幾百万という人々が、
「収穫の主よ、聞きたまえ」と呼んでいる。
私たち信者に、新しい恵みを与えてください。
私たちの罪を赦してください。
待ち焦がれている魂の所へ、
十字架の言葉を運ぶ者と成さしめてください。
彼らが永遠に滅びないように。」

証しすること、自分の信仰を宣べ伝えること、イエス様を紹介することが、信じる者に与えられている使命です。いのちを捨てることによって、すなわち、自分を空しくすることによっても、主を紹介することが大切なのではないでしょうか。

悪魔が現在、支配している場所は三つあります。悪魔が支配するものとは、もちろん、墓を支配している。人間は、罪人であるから死にます。

ローマ
5:12 そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです

6:23 罪から来る報酬は死です。

悪魔は、今の世界を支配しています。世界の歴史を見ることにより、悪魔がこの世界を支配していることが分かります。旧約聖書のダニエル書の中で、おもしろい箇所があります。

ダニエル
10:13 ペルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、私は彼をペルシヤの王たちのところに残してお(いたのだ。)

10:20 そこで、彼は言った。「私が、なぜあなたのところに来たかを知っているか。今は、ペルシヤの君と戦うために帰って行く。私が出かけると、見よ、ギリシヤの君がやって来る。」

私たちは、政治、宗教、文化、文明、発明、発見、これらの内に、悪魔の爪あとを見ることができます。人間は元来、独立的ではありません。人間は、悪魔の力に影響されてきました。もし、これを信じないならば、現在までの世界歴史は、全く不可解なものになってしまいます。悪魔は、この世の君です。今の目に見える世界を支配している者です。パウロは、コリントにいる兄弟姉妹に、次のように書いたのです。

第二コリント
4:4 そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。

ここで、悪魔は、「この世の神」と呼ばれています。将来、イエス様によって、反キリスト、また、にせ預言者は、打ち負かされるようになります。

黙示録
19:20 すると、獣は捕えられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕えられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。

それから、悪魔はつながれ、底知れぬところへ投げ込まれたとありますね。

20:1 また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。
20:2 彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って、
20:3 底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。

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