サタンに侵された病んだ集会、みからだなる集会を主が治療される
2019年5月12日、町田福音集会
重田 定義
エペソ
4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。
私たち、人間の体は研究すればするほど、実に巧妙にできております。ここで、人間の体の仕組みを、改めてみてみたいと思います。
人間の体には、何十億もの細胞があります。そして、これらの細胞は、各々の役割に応じて、例えば、心臓の細胞は、心臓が正常に機能するように、心臓を支えるために働きます。同じように、肝臓の細胞は、肝臓が正常に機能するよう、肝臓を支えるために働きます。このように、体の全ての臓器、器官は、それぞれの細胞の働きに支えられて、正しく働くことができるのです。さらに、細胞の働きに支えられた多くの臓器、器官は、身体全体が正常に働くために、それぞれの機能を用い、互いに密接に協力し合い、調和を保ち、秩序正しく働くことによって、人間は生きているのです。小さな細胞も、大きな臓器も皆、決して、自分だけのために生きているのではありません。ですから、もしある臓器や器官の細胞に異変が起これば、その臓器、器官も正常に働くことができなくなり、その影響は身体全体に及び、病気になってしまいます。
このように見てきたことからもわかりますように、いくら研究が進んでも、私たち人間が、人間と同じ体を作ることは、決して、できません。人間の体は、神様ご自身が、ご自分に似たものとして、特別にお造りになったからであります。創世記の一章の二十六節に、神が、『われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう』と、あるとおりであります。
使徒パウロは、この主の生ける御体なる教会を、人間の体を例にとって、実に上手に解説しております。第一コリントの一二章から、少し長いですけれども、お読みしたいと思います。
第一コリント
12:12 ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。
キリストの御体なる教会も、それと同様ですということですね。
第一コリント
12:14 確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。
12:15 たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
12:16 たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
12:17 もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところ(・・・・すなわち、耳・・・・)であったら、どこで(・・・・匂いを・・・・)かぐのでしょう。
12:18 しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。
12:19 もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。
12:20 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。
12:21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。
12:22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
12:23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、
12:24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。
12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。
12:26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
こういうふうにパウロは、私たち人間の体に例えて、教会は御体なる教会であって、ひとつひとつの器官が、一人一人の信者であると説明をしております。
小さい見栄えのしない細胞から、大きな立派な臓器まで、密接に協力し合い、完全な調和を保って生きている。これが、健康な体の特徴であるのと同様に、キリストの御身体を形成している信者一人一人が、力の弱いもの、強いものを問わず、互いに一致協力して助け合い、支え合い、ひとつとなって、頭なるイエス様にお従いする時に、御体なる教会は生きた教会として機能し、主の御栄光をあらわすことができるのです。
私はかつて、日本で最大の教派と言われる日本キリスト教団に属する教会に集っておりました。しかし、そこでは一度も牧師から――私が集っておりました時に、三人、牧師が変わったんですけども、その三人すべての牧師から――パウロが教会を人間の体に例えた、この聖書の箇所についての説教、あるいは、学びを聞いたことがありませんでした。このことは、この教会が、イエス様を頭とする生きた教会ではなくて、牧師を実質的に頭とした死んだ教会であるということを示しております。
また、皆さんご存知の内村鑑三さんは、聖職者による教会支配の弊害を指摘して、信仰に教会はいらない、イエス・キリストとの個人的な結びつきがあれば良いという考えを打ち出しまして、この考えに、東大総長の矢内原忠雄さんなどの多くの知識人が賛同いたしました。いわゆる無教会派がそれであります。けれども、無教会派は、ご存知のように、大きく伸びることはありませんでした。
信仰にとって、教会は必要なんです。しかしながら、それは死んだ教会ではなくて、主の御体なる生きた教会であります。私は、この集会に集うようになりまして、初めて、この集会が主の御体なる行ける教会であることを知りました。そして、自分がこの教会の部分に組み込まれ、兄妹姉妹と、主にあってひとつとなって、霊的な親しい交わりをすることができるということに感動し、喜びを覚えました。かつての教会では、喜びなどはなかったのであります。
ところで、体の健康を犯す病気というのは、たくさんありますけれども、何かでも命を奪う恐れのある恐ろしい病気のひとつはご存知の癌(がん)であります。ここで、癌という病気がなぜ恐ろしいか、その発癌メカニズムをお話しいたします。
癌という病気にかかるには、癌を引き起こす発癌因子というものが必要です。その発癌因子とは、例えば、タバコの煙に含まれている発癌物質、あるいは、原発事故などによって発生する放射性物質、お酒などの飲食物に含まれる発癌物質など、私たちの生活環境の中には、多くの発癌因子が存在しております。これらの発癌因子は、人間の体に侵入して、免疫力の弱い細胞に襲いかかり、細胞内のDNA の配列を破壊し、その結果、今まで全体の調和のもとに生きていた細胞が、癌細胞に変化して、突然、狂ったように増殖し始め、その細胞が形成している臓器や器官を破壊するだけではなくて、他の臓器や器官の細胞にも転移して、そこでも、同じように増殖と破壊を繰り返し、ついには、体に死をもたらす。これが、癌という病気であります。
この終わりの世にあって、サタンは今や、世界にも数少ないキリストの御体なる教会である私たちの集会に対して、生きた教会から死んだ教会にしようと、攻撃を仕掛けております。その攻撃方法は、今、お話しした癌と極めて似ております。
サタンは、発癌因子、発癌物質のようなものであります。その攻撃方法とは、集会の兄妹姉妹の霊に侵入して、霊を弱らせ、肉の思いを膨らまさせて、『主の御体なる集会を形成している細胞である、臓器である』という認識を失わせ、肉による考えを義として、集会を攻撃し、次々に同調者を増やして、集会の秩序、調和を乱させ、ついには、生きた教会を死んだ教会にしてしまうというものであります。
では、私たちは、このサタンの攻撃に対して、どう対処したら良いのでありましょうか。
その前に、体の癌治療について考えてみましょう。癌の治療には、大きく二つの方法があります。ひとつは、手術によって、癌にかかっている部分を取り除くというものであります。もう一つは、化学療法や放射線治療、最近では、体の免疫力を強める免疫療法があります。この免疫療法とは、リンパ球の中のひとつの種類であるT細胞という細胞に、癌に対する攻撃力を与えて、癌組織を攻撃し、破壊するという治療法であります。どの治療法を選ぶか、あるいは、どの複数の治療法を選ぶかは、癌の進み方や癌の種類によって、医師が判断します。
では、サタンに侵入され、病んだ集会に対して、私たちは、どう対処したら良いのでありましょうか。
まず、私たちが、自分は主の御体を構成している、形成している細胞であるという強い自覚を持つこと、これがもっとも大切であります。私たちに免疫力を与えるのは、この方法なんですね。そして、御体なる教会を構成している兄妹姉妹と心を合わせて、集会を守ろうと――御体なる集会を守ろうと――、固く決意することであります。
次に、病んだ御体なる集会の治療は、主御自身がしてくださるということを確信して、主の治療に従うことであります。では、主はどんな治療をしてくださるのでありましょうか。
私たちの集会は、主が愛し、この集会を通して、御自分の御栄光を表そうとしてお作りになった、主の御体なる教会であります。その教会を、サタンの跳梁(ちょうりょう)のままにしておかれるはずはありません。集会がサタンに犯されて、苦しみ、悲しむのをそのまま見ておられるはずはありません。主は必ず、最善の治療をしてくださるはずであります。なぜなら、人間の名医とは違って、主は、どんな難病でも癒される名医、死をもよみがえらせることのできる名医だからであります。
私たちのなすべきことは、サタンを恐れず、ただ主にのみ信頼し、主が施してくださる最善の治療法に従うこと、これこそ、主の御体なる教会を構成している部分部分として組み入れられた、私たちのなすべきことであります。主は必ず、病んだ御自分の愛する集会をサタンから解放してくださいます。
私たちは、病んでいる私たちの愛する集会が、こうして健康を回復し、再び、主の御体なる生ける教会として、主の御栄光をあらわすことができるように、心を合わせて、御言葉と御霊から力をいただき、知恵をいただき、なすべきことを主から示していただいて、それを行うことができるように、ご一緒に祈り続けたいと思います。
最後にみことばを三つ、お読みして終わります。
第一ペテロ
5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。・・・・
5:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
5:11 どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。
ユダ
1:17 愛する人々よ。私たちの主イエス・キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こしてください。
1:18 彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現われる。」
1:19 この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。
1:20 しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、
1:21 神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。
エペソ
6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
6:13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。
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