2025年12月23日火曜日

2014年元旦メッセージ

2014年元旦メッセージ
2014年1月1日、御代田よろこびの集い
ゴットホルド・ベック

おめでとうございます。

今年こそイエス様に来てもらいましょう。今年というより、できたら今日、来てもらえば!結局、待ち望みの生活をすることこそが、もっとも大切なのではないでしょうか。今年は、勝利の生活になるか、敗北の生活になるかのどちらかです。

勝利の生活の秘訣とはいったい、何なのでしょうか。パウロは、ローマの刑務所の中で手紙を書いたんです。刑務所に入ったおかげで暇人になって、ピリピの手紙に彼は書いたのです。

ピリピ
1:21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。

損ではない。私にとっては、生きることは、父の御心がかなうことである。私の思いは全然、大切ではない。私の思っていることも大切ではない。私の気持ちも大切ではない。これこそが、イエス様の告白でした。ですから、イエス様は、我々のように考えて行動するお方ではなかったのです。一回も!

祈ってから、初めて行動なさいました。

ヨハネ
4:31 そのころ、弟子たちはイエスに、「先生。召し上がってください。」とお願いした。
4:32 しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしには、あなたがたの知らない食物があります。」

4:34 ・・・・「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」

すごい告白であり、証しなのではないでしょうか。このイエス様は、ヨハネ伝10章30節によると、『わたしと父とは一つです。』父から離れたら、わたしは何でもできません。父が離れたら、わたしは何も知りません。これこそがイエス様の告白でした。 

また、パウロはピリピの手紙の中で、次のように言うことができたのです。

ピリピ
2:20 テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、ほかにだれもいないからです。
2:21 だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。

これはいわゆる未信者に書かれたものではない。一度、イエス様を信じ、受け入れた人々についてです。誰もみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいない。これこそ悲劇的です。

テモテは、パウロと全く一つになりました。同じ心を持つことこそが、全てなのではないでしょうか。信じる者にとってもっとも大切なのは、本当の意味で一つになることです。

ピリピ
2:5 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。

イエス様の心構えはどういうものであったかといいますと、父とひとつにならないとおしまいです。父なしに、わたしは何でもできません。これは、イエス様の正直な告白でした。

私たちは、何かできるかできないかは問題ではありません。もし、私たちが何でもできるお方、何でもしておられる方とつながっていなければ、我々の生活は的外れなものとなり、実を結ばない生活になります。けれども、つながっていると、我々の人生とは、あふれるばかりの人生となり、豊かな人生となり、多くの実を結ぶ人生となり、十字架につけられた人生となり、そしてまた、勝利の人生となります。

イエス様との交わりは、もっとも完全な満足を与えてくれます。まことの喜びと本当の平安は、目に見える世界とは全く無関係です。

まことの喜びと本当の平安は、目に見える世界とは、今、話したように無関係です。イエス様ご自身が、あなたの喜びと満足の源です。イエス様は、あなたの切なる願いを、全て満たしてくださり、イエス様を知ること、イエス様を良い牧者として持つことは、あなたの永遠の幸せとなります。

同じ思いを持つ大切さについて、二、三箇所を読んで終わりたいと思います。

出エジプト記
17:12 しかし、モーセの手が重くなった。彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いたので、モーセはその上に腰掛けた。アロンとフルは、ひとりはこちら側、ひとりはあちら側から、モーセの手をささえた。それで彼の手は日が沈むまで、しっかりそのままであった。

意味は、モーセは祈り続けた。けれども、共になる同じ気持ちを持つ人々もいたから、やはり、主は間違いなく、大いに喜んだに違いない。

第一サムエル
14:6 ヨナタンは、道具持ちの若者に言った。「さあ、あの割礼を受けていない者どもの先陣のところへ渡って行こう。・・・・大人数によるのであっても、小人数によるのであっても、主がお救いになるのに妨げとなるものは何もない。」
14:7 すると道具持ちが言った。「何でも、あなたのお心のままにしてください。さあ、お進みください。私もいっしょにまいります。お心のままに。」

マタイ
18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。

嘘を知らない忠実なるイエス様の一人一人に対する呼びかけであり、また約束です。パウロは、また、ローマの刑務所の中で告白しました。書きました。

ピリピ
4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

パウロがこういうふうに言うようになっただけではなく、我々も同じように言うべきなのではないでしょうか。なぜならばイエス様は、昨日も今日も、いつまでも変わらないお方であるからです。

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