2025年12月22日月曜日

2013年元旦メッセージ

2013年元旦メッセージ
2013年1月1日、御代田よろこびの集い
ゴットホルド・ベック

新年おめでとうございます。

パウロは、次のように言ったのです。『私は、うしろのものを忘れ、目標を目ざして一心に走っているのです。』これは、彼の個人的な証しというだけではなく、他の兄弟姉妹に対する願い、また、祈りでもあったに違いない。私は後ろのものは忘れ、目標を目指して一心に走っている。

走ることとはもちろん、文字通りの走ることではなく、自分から、目に見える現実から、目をそらすことです。イエス様だけを仰ぎ、見つめることです。

十字架の上で、犠牲になられたイエス様、また、近いうちに来られるイエス様から目を離さなければ、どういうことがあっても、安心して前向きに生活することができるのではないでしょうか。

確かに、我々人間は変えられなければなりません。あらゆる束縛から、あらゆる孤独から、あらゆるみじめさから、解放されなければならない。

けど、人間は――皆さんご存知です――、いくら努力しても相変わらず、みじめで、寂しくて束縛されているものです。
人間を変えるために、イエス様はこの世に来てくださいました。すなわち、貧しくなられたイエス様を仰ぎ見るべきなのではないでしょうか。パウロはコリントにいる人々を結局、励ますために書いたのです。

第二コリント
8:9 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。

富む者となるために必要なのは、へりくだることです。すなわち、自分の貧しさ、自分の惨めさを素直に認めることです。

イザヤは、主の口になって書いたのです。

イザヤ
57:15 ・・・・わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。

へりくだるということは、たとえで言うならば、イエス様の前における哀れな乞食のようなものであり、心砕かれた人です。そして、また、イエス様の光によって、自分の惨めさ、虚しさを知っている人です。また、自分には主の御心にかなったものが一つもないことを、本当に知ることなのではないでしょうか。

例えば、ルカ伝18章に出てくる取税人こそ、本当の意味でへりくだった人でした。『神様、こんな罪人の私をあわれんでください』と祈った結果、彼は、主によって受け入れられ、安心して、将来に向かうことができたのです。

イサヤ書の66章2節に、『わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。』聖書全体の言わんとしていることは、そういうものなのではないでしょうか。

ダビデ――御心にかなうダビデも経験しました。『神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません(詩篇51:17)』と、告白するようになりました。

生まれながらの人は、誇って自分の道を歩もうとします。小さく救いのない人は、こじきよりも貧しいものです。したがって、心貧しき者となることこそが、もっとも大切なのではないでしょうか。すなわち、イエス様の霊によって、自分の本当の姿を知り、怖れおののいて、自分からは何も期待することのできない人となることが大切です。

へりくだることは、自分が強く偉大なもの、富んだものではなく、本当にみじめで哀れな存在にすぎないことを、認めることです。このことを本当に知る人だけが、思うところのすべてを超えて、豊かに施すことでできるイエス様、すなわち、イエス様のみもとに行くことができるのです。

おごり高ぶる者、本当に心砕かれていない者は、約束も望みもなく、祝福されていない。イエス様は我々のために貧しくなられました。このイエス様によって、すべてが、この大宇宙が造られました。

イエス様は永遠から、考えられないほどの栄光を持っていたのです。けど、全人類を救うために、我々一人一人のために、イエス様は三十三年間だけ、この地上におられ、ご自分の自由意志で、我々のために貧しくなられました。

イエス様の貧しさとは、どういうものでしょうかね。すなわち、父なる神に対して、ご自身がお選びになった依存です。イエス様は、父なる神から聞いたことだけを語り、父なる神が行ったことだけを、イエス様は行いました。

イエス様は決して、ご自分で勝手になさることをしなかったのです。父なる神に全くより頼んで、いつも、父の御心に服従なさったのです。すなわち、わたしの思いではなく、あなたの思いがなるように。この祈りは、まさに絶えずイエス様がとられた態度でした。

私たちはただ、救われるために、救われたのではない。主イエス様の似姿に変えられるために救われたと、聖書ははっきり言っているのです。そして、イエス様の似姿に変えられるために、本当の知識を持つ必要があります。本当の知識の内容とは、いったいどういうものでしょうか。

まず、私たちは我々の生まれながらの罪の性質は、決して治らないことを知らなければなりません。これを知っている人は、自分でやることはできない。主により頼まなければ何もできないということも、知っているのです。

私たちは罪を赦され、主から義と認められるために、自分で何もすることができませんでした。ただ一方的な哀れみによって救われ、義と認められました。そして、私たちが清められていくのも、自分の行いではありません。このことも知るべきなのではないでしょうか。

このことを、真の知識として知っている人は、自らを清めようと努力することをやめ、ただ、よみがえられたイエス様に自らをおゆだねするはずです。しかし問題は、いかにして、この知識に至るのかということで、それはイエス様と同じ姿に変えられていくことによってのみ可能です。

けれども、イエス様の霊は、イエス様と同じ似姿に私たちを変える御業を、ただ悩みによってのみ行います。悩みと戦いの真っただ中にあって初めて、イエス様と同じ御姿に変えられていくのです。

イエス様は私たちを人間的な目で見るならば、全く望みのない状態に導いてくださいます。どうしてでしょうか?それは、私たちが、我々の生まれながらの罪の性質は、絶対に良くならないものであるということ(を知るため)です。この知識を得るためです。

私たちは、聖きに至ることについて、全く無力であるということを、真の知識が単なる教えであるか、また、我々のいのちとなっているか。これらを試し見るために、主は、悩みのうちに私たちを導いてくださいます。

我々の主とは、もちろん、考えられないほど偉大なお方です。聖書を見るとはっきり書かれます。この大宇宙がイエス様によって創造された。もちろん、材料は必要なかった。

人間は材料なしには、何もできないよ。もし、どなたかがここまで来て、ああ、あなたがたの長いベンチはいいなあ。専門家のところに行って注文します。いくら高くても、同じもの欲しい。きっと高くなるけど、約束します。けども、最後まできて、残念だけど、木も材料もないから、ごめんなさいと言って終わり。人間はそういうもの。材料がなければだめ。

主には、材料は必要ない。光よ!と言われた時、光になりました。

イエス様とは本当に、何でもできるお方です。イエス様は、何でもできるお方として叩かれました。むち打たれ、つばきをかけられ、侮られたのです。

もしイエス様がそうしようと思ったならば、それらの人たちは、イエス様の一言で、この地上から、抹殺されたはずです。たちどころに滅んでしまったのです。けどイエス様は、耐え忍んで、すべてを負われ、自ら悩みをよしとされ、両手を足に釘打たれ、十字架の上で、『お前は人を救ったのに自分を救うことができないなのか』と、罵られました。

もし、しようと思えば、イエス様は、イエス様のために十二の天の軍勢が控えていましたから、イエス様の一言で、イエス様を救うためにやってきたでしょう。けども、イエス様は、そうしませんでした。イエス様は、柔和にして、心へりくだったお方です。

私たちは、このようなイエス様と同じ姿に変えられていきたいものなのではないでしょうか。イエス様は、透き通った人格の持ち主でした。極みまで、ご真実な方であり、また、偽善を知らなかった方です。まだ、二心を持たなかった方です。向こうへ行ってあのように言い、こっちへ行って次のような良いことを言うと、言った方では、決してありませんでした。そして、私たちは、このイエス様の御姿に変えられなければなりません。

イエス様は、はっきりとした目的を持っていたお方です。イエス様は、祈りの人でした。また、勇気の人でした。柔和にして、心へりくだった方でした。平安、平和、喜びに満たされたお方だったのであります。

イエス様の苦しみに預かることなしに、成長も、実を結ぶこともありえません。日々、打ち砕かれることなしには、私たちの自我は、主の働きの妨げとなります。打ち砕かれた後で初めて、主は用いることができます。

わたしの心ではなく、あなたの御心を成してください。これが、イエス様の生涯の変わらなかった態度でした。だからこそ、イエス様から恵みの流れが、いのちの泉が、人々に分け与えられていったのです。

私たちの考え、感じ、意志、すべて、主のご支配のもとに置かれるとき、私たちの内からも間違いなく、いのちの泉が湧き出てくるはずです。

『イエス様、私は自らに絶望しています。自ら何にもすることができません。どうか、私を通して御自身の御心をなさしめてください』と祈りたいものなのではないでしょうか。

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